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April 1642010

 車座も少しかたむく春の丘

                           長岡裕一郎

見だろうか。丘で車座になることなどそれ以外にはあまりない。車座全体がやや傾いているというふうに思える感覚がある。平地を歩いているつもりがいつしか上り坂になっていたり、眩暈かなと思ったら小さな地震だったりする。違和感といっていいのだろうか。違和感とは不安のことだ。日常に慣れ親しんだ惰性の感覚に、どこか違ったものが入り込むのは不安であって、それこそが生の実感なのにちがいない。それは「知」で得られるものではなくて肉体を通して感じられるものである。「詩」もそこに存する。「俳壇」(1986年8月号)所載。(今井 聖)


June 0362010

 階段のひとつが故郷ハーモニカ

                           長岡裕一郎

校の階段、二階へあがる家の階段、錆びた手すりのついた公園の階段。記憶の中にしまいこんでいたそれぞれの階段が胸のうちによみがえってくる。掲句には屋内に閉ざされた階段より子供の遊び場にもなる公園の階段が似つかわしい。無季の句には永遠に持続する時間と風景が隠されている。この句の場合、学校にも家にも置きどころのない心と身体を階段に寄せてハーモニカを吹いている少年のさびしさが想像される。くぐもった音色が感じやすい少年の心持ちをなぐさめてくれる。そんな感傷的なシーンには薄暮がしっくり調和する。「ハーモニカ」が引き金になって読み手の心にも二度と戻らない時への郷愁をかきたてるのだろうか、長い間手にしていないハーモニカのひやりとした感触を思い出して懐かしくなった。『花文字館』(2008)所収。(三宅やよい)


July 1772014

 やわらかくきっぷちぎられ水族館

                           長岡裕一郎

季の句だが水族館の醸し出す雰囲気が涼しげで句の雰囲気が夏を思わせる。炎天を逃れて薄暗い館内に入ると明るい水槽では魚たちが自在に泳ぎ回っている。この頃は深さによって棲み分ける魚たちの生態も見られるように数十メーターの高さのある大きな水槽が設置された水族館も多く、水族館での楽しみ方も増えた。動物園や映画館など入口でちぎって渡される半券はどこも柔らかいように思うが、ひらがなの表記に続けて接続する「水族館」の「水」の効果で手の内で湿る半券のやわらかな感触が伝わってくる。人それぞれの思い出の中に水族館はあるだろうが、掲句を読んで、私は幼い頃よく行った須磨水族館を思った。窓の外には須磨の浜が広がっていた。今も海水浴客でにぎわっているだろうか。『花文字館』(2008)所収。(三宅やよい)




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