安値は結構だが背景には必ず人員削減が。「人より企業が大事」の時代。(哲




2010ソスN4ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1742010

 からすゐてなんのふしぎぞ烏の巣

                           西野文代

がうるさくて眠れなかったと花魁がぼやいた、という江戸時代の文献があるとか。昔は神の使いだった烏もその頃から、身近な存在である反面やっかいなカラス、となってしまったのだろうか。都会のカラスが、枝のかわりに針金など光るものを選んで巣を作ると聞いてはいたが、昨年、色とりどりのハンガーらしきものでできた巣を目の当たりにして、あらためてそのたくましさと賢さに驚いた。確かにカラスといえば、ゴミ集積所で餌を漁っているとか、枯れ枝にとまっているとか、勝手に決めているふしがあり、巣におさまっている、というのはなんとなく不似合いな気がしてしまう。掲出句の作者にも同様の心持ちがあると同時に、カラスに対する視線は優しい。そしてそのおおらかな詠みぶりに、都心にしては大きい森で鳴き交わしていた、春の鳥らしいカラスを思い出した。これからの季節、少し神経質になったカラスが多少恐くてもうるさくても、ご近所に住む者同士、と思うことにしようか。『それはもう』(2002)所収。(今井肖子)


April 1642010

 車座も少しかたむく春の丘

                           長岡裕一郎

見だろうか。丘で車座になることなどそれ以外にはあまりない。車座全体がやや傾いているというふうに思える感覚がある。平地を歩いているつもりがいつしか上り坂になっていたり、眩暈かなと思ったら小さな地震だったりする。違和感といっていいのだろうか。違和感とは不安のことだ。日常に慣れ親しんだ惰性の感覚に、どこか違ったものが入り込むのは不安であって、それこそが生の実感なのにちがいない。それは「知」で得られるものではなくて肉体を通して感じられるものである。「詩」もそこに存する。「俳壇」(1986年8月号)所載。(今井 聖)


April 1542010

 くろもじで切るカステラや春の月

                           広渡敬雄

木林を散歩したとき淡い黄色の小花をつけた灌木を指差して「くろもじ」と教えてくれた人がいる。「くろもじ」は緑色の樹皮に黒い斑模様があるので、それを文字に見立ててこの名前がついたという。その木の名前そのままにフォークや小さなナイフ形の菓子楊枝に加工されたものも「黒文字」と呼ぶそうだ。ネットで調べると材質に香気があるので、水に浸して拭ってから使うといいと書いてあった。やわらかいカステラにぐっとはいる黒文字がしっとりとしたカステラ生地の弾力を感じさせる。ぼんやりと明るい春の月との調和もいい。どっしりとした「くろもじ」という言葉がカステラの軽さを引き立てている。そういえば、昭和30年代のカステラは高級菓子で、お使い物で来るカステラは桐箱に入っていた。今はケーキ一個の値段でカステラ一本買えたりするけど、あの上品な味わいは生クリームたっぷりの洋菓子にはないよさだ。食べ物の句は何より食欲をそそることが肝心、すぐにでも「カステラ」を買ってきて熱いお茶とともに食べたくなった。『ライカ』(2009)所収。(三宅やよい)




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