心無しか東京は静かです。やはりみなさんどこかにお出かけでしょうか。(哲




2010ソスN5ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0252010

 ぶらんこの人を降ろして重くなり

                           武仲敏治

語は「ぶらんこ」、春です。もともと文学というのは、人と違ったことを言いたがる傾向にありますから、ものの見方を逆にしてみるというのは、決して珍しいことではありません。それでも今日の句のように、このテクニックがまだまだ新鮮に感じられることがあるから、不思議なものです。要は、逆説的にものを見た、それだけではないものを作品が示してくれているかどうかにかかっているようです。この句では、ぶらんこは人が降りたら軽くなるのではなく、むしろ重くなるのだといわれて、ああそういう見方もあるのかと、なぜか頷いてしまいます。つまり、読み終わった瞬間に、理由はともかく、読者が頷いてくれるかどうかが作品成立の分かれ道です。長谷川櫂氏は、「今まで軽やかに揺れていたのに、もはや垂れたまま動かず」と、解説しています。なるほどそう言われてみればそうなのかと思います。ただ、擬人にとらわれてしまう私には、自分に思いを寄せてくれていた人が、突然去ったあとの心の重さのことなのだと、つい受け止めてしまうのですが。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年4月26日付)所載。(松下育男)


May 0152010

 定年はやがてくるもの花みづき

                           日下部宵三

日から五月、夏近し。とはいえ、どうもすっきりしない春だった、とぶつぶつ言っているうちに、花みづきが満開の通勤路である。花みづきは、歳時記では夏季だったり春季だったり。確かにあの眩しい白は、街を一気に初夏の景色にするけれど、春から夏へ、空の色も少しづつ変わってくる今頃の花だ。学校は当然の事ながら、皆等しく三月に定年退職となる。五十代も後半に突入して、その時がぐっと近づいてきた心地のこの頃だが、自由の身となった開放感を一ヶ月ほど味わったあと、満開の花みづきの白さに何を思うだろう。などと思いながら、やがて、を広辞苑で調べると、「本来は、間に介在するもののないさまをいう。」とあり、「すぐさま。ただちに。」が1.の意味になっている。2.の意味として、「まもなく。ほどなく。今に。」などあるが、それでも思っていたより、間近な印象だ。北米原産というこの花の、見ようによってはあっけらかんとした明るさに、急かされるような励まされるような不思議な気分になるのだった。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


April 3042010

 鴉子離れからからの上天気

                           廣瀬直人

の子別れは夏の季語。古くからある季語だが、あまり用いた句を知らない。鴉の情愛の濃さは格別である。春、雌が巣籠りして卵を温めている間は、巣を離れらない雌のために雄が餌を運び、雌の嘴の中に入れてやる。生まれた子は飛べるようになってもしばらくは親について回り、大きく嘴を開き羽ばたいて餌をねだる。しかし、夏が近づいてくるころ、親はついてくる子鴉を威嚇して追い払う。自分のテリトリーを自分でみつけるよううながすのである。親に近づくとつつかれるようになった子鴉が、少し離れたところから親を見つめている姿は哀れを催す。そのうち子鴉はどこかに消える。親が子を突き放す日。日差しの強い、どこまでも青い空が広がっている。「俳句」(2009年6月号)所載。(今井 聖)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます