May 122010
皿の枇杷つぶらつぶらの灯なりけり
和田芳恵
枇杷の白い花が咲くのは冬だが、その実は五〜六月頃に熟す。枇杷の木は家屋敷内に植えるものではない、という言い伝えを耳にしたことがある。しかし、家のすぐ外に植えてある例をたくさん目にする。オレンジ色の豆電球のような実がびっしりと生(な)るのはみごとだけれども、緑の濃い葉の茂りがどことなく陰気に感じられてならない。その実一つ一つは豆電球のようないとしい形をしていて、まさしく「つぶらつぶらの灯」そのものである。食べる前に、しばし皿の上の「つぶら」を愛でている、の図である。あっさりとした甘味が喜ばれる。皮がぺろりとむけるのも、子供ならずともうれしく感じられる。それにしても、つぶらな実のわりに種がつるりとして、不釣り合いに大きいのは愛嬌と言っていいのかもしれない。「枇杷の種こつんころりと独りかな」(角川照子)という句を想う。千葉や長崎、鹿児島のものが味がよいとされるが、千葉では種無し枇杷を開発しているようだ。あの大きめの種が無いというのは、呆気ない気がするなあ。枇杷は山ほど食べたいとは思わないけれど、年に一度は旬のものを味わいたい。樋口一葉研究でよく知られた芳恵は、志田素琴について数年俳句を学んだことがあるという。夏の句に「ほととぎす夜の湖面を鋭くす」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
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