東京で発売された無煙煙草「ZERO STYLE」を試用中。不思議な味だ。(哲




2010N522句(前日までの二句を含む)

May 2252010

 泰山木の花に身を載せ揺られたし

                           林 昌華

供の頃住んでいた病院の官舎のすぐ近くに、広っぱ、とよばれていたグランドがあった。父は脊椎損傷の専門医で、その病院は元、傷兵院と呼ばれ戦争で車椅子の生活となった患者さん達が暮らす療養所だった。グランドは、昼間はテニスコートやアーチェリー場として使われ、夕方からは、学校から帰った官舎の子供が集まって遊ぶ広っぱになった。そこに泰山木の大木があった。官舎は古かったが広い縁側があり、朝夕二十数枚の雨戸を開け閉めするのが私達子供の役目で、毎日泰山木の木を見て過ごした。花を間近で見ると、ふんわりと空気を包むような形の花弁は大きくほんとうに白く、初夏の広っぱの匂いがした。患者さん達は皆車椅子を上手に操りスポーツを楽しみ、私達官舎に住む子供とよく遊んでくれた。思い出すのは優しい笑顔ばかりだけれど、戦争で傷を負い一生をその療養所で送ることを余儀なくされたのだったとあらためて思う。掲出句の心地よさは叶わぬ願いでありどこか極楽浄土も思わせる。泰山木の花の思い出は、療養所の広っぱと父の思い出でもある。『季寄せ 草木花』(1981・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


May 2152010

 治水碑に抱きついてをり裸の子

                           原 拓也

ぜこの子は治水碑に抱きつくのだろうと思う人は先入観にアタマを支配されている。抱きつくには抱きつく理由があるのはもちろんだが、それを一句の中でなるほどと思わせる必要はない。治水碑という意味を優先させれば、感慨深げにその碑文に見入ったり、治水工事以前の民衆の苦しみを思ったり、それを作るにあたっての作業の苦労に思いを馳せたりするのは作品としては陳腐。もちろんそれは言わずともその思いを置いて渡り鳥なんかを飛ばしたりするのも同罪である。そこには常識はあっても「詩」はない。ようするに月並みである。現実は単純明快。その辺で泳いでいた子がふざけて治水碑に抱きつくこともあろう。現実は何だって起こり得るのだ。その意外感と現実感が新鮮。こういう句は、花鳥諷詠的に定番情緒の再現を狙っていてはできないし、言葉のバランスを計って「詩」を狙う作り方でもできない。意味を剥ぎ取られたひとつの「もの」を見つめる目、すなわち、自分の中の先入観を否定してまっさらなる「自分」を求める志向が必要である。「知」よりも「五感」を優先させる志向が。「俳句」(2008年10月号)所載。(今井 聖)


May 2052010

 夏来る農家の次男たるぼくに

                           小西昭夫

をわたって吹く風が陽射しに明るくきらめいている。すっかり故郷とはご無沙汰だけど来週あたりは田植えかなぁ、机上の書類に向けていた視線をふっと窓外に移したときそんな考えがよぎるのは「農家の次男」だからか。この限定があるからこそ夏を迎えての作者の心持ちが読み手に実感となって伝わってくる。高野素十の句に「百姓の血筋の吾に麦青む」という句があるが、掲句のなだらかな口語表現はその現代版といった味わい。素十の時代、家と土地は代々長男が受け継ぐ習わしだった。次男、三男は出稼ぎいくか、新天地を開発するか、街で新しい仕事へ就くほかなかったろう。自然から離れた仕事をしていても身のうちには自然の順行に従って生活が回っていた頃の感覚が残っている。青々とつらなる田んぼを思うだけ胸のうちが波立ってくるのかもしれない。今は家を継ぐのは長男と決まっているわけではないが、いったん都会へ就職すると定年になるまでなかなか故郷へ帰れない世の中。そんな人たちにとって、老いた両親だけの農村の営みは常に気にかかるものかもしれない。ゴールデンウィークや週末の休みを利用して田舎へ帰り、田んぼの畦塗りに、代掻きに忙しく立ち働いた人達も多かったかもしれない「今日からは青田とよんでよい青さ」「遠い日の遠い海鳴り夏みかん」。『小西昭夫句集』(2010)所収。(三宅やよい)




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