自分で書いた本を図書館で借りてきた。馬鹿な話だが、万やむを得ず。(哲




2010ソスN6ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0862010

 薔薇園の薔薇の醜態見てしまふ

                           嶋崎茂子

薇には愛や幸福という定番の花言葉のほかに、花の色や大きさによってそれぞれ意味を持っているらしい。小輪の白薔薇は「恋をするには若すぎる」、中輪の黄薔薇は「あなたには誠意がない」、大輪のピンクの薔薇にいたっては「赤ちゃんができました」といささか意味深長である。ユーモア小説で著名なドナルド・オグデン・ステュワートの『冠婚騒災入門』には「求婚」の項があり、「決して間違った花を贈らないよう」と書かれている。そこに並んだ花言葉、たとえば「サボテン:ひげを剃りに行く」「水仙:土曜日、地下鉄十四丁目駅で待つ」などはもちろんでたらめだが、この薔薇に付けられたてんでな花言葉を見ていると、あながち突飛な冗談とも言えないように思えてくる。これほどまで愛の象徴とされ、贈りものの定番となった薔薇の、整然と花びらが打ち重なる姿には、たしかに永遠の美が備わっているように見える。だからこそ満開を一日でも過ぎると、開ききった花によぎるくたびれが目についてしまうのだろう。美を認める感覚はまた、価値を比較する人間の必要以上に厳しい視線でもある。20代の頃に薔薇の花束をもらったその夜のうちに、ドライフラワーにするべくあっさり逆さ吊りにしたことがある。美しい姿をそのまま維持するにはこれが一番と聞いたからだ。半ば蕾みのままの状態でなんという残酷なことをしたのだろう、と40代のわたしは思うようになった。掲句の視線も、醜態という言葉のなかに、完璧から解放された薔薇への慈しみが見られ、40代半ばあたりの自然体の薔薇が浮かぶのだった。『ひたすら』(2010)所収。(土肥あき子)


June 0762010

 父の日を転ばぬやうに歩きけり

                           長澤寛一

年の「父の日」は六月二十日。まだ先だけど、六月が近づく頃からギフトのコマーシャルがけたたましい。そんな商魂はさておき、この日は「母の日」よりもよほど影が薄いようだ。身体的にも精神的にも、幼いときからの父親との交渉は、母親のほうがより具体的であるからだろう。私にしても、父との交渉が具体的と思えたのは、最近父の身体が弱ってきてからである。父に手を貸すなどという振る舞いは、それまでついぞ無かったことだ。一般的に言っても、父親は母親よりもずっと抽象的な存在だと思う。ところでそのような具合に存在している父親のほうはといえば、掲句にもあるように、当然のことだが、いつだって具体的な感覚を持って生きている。自分が子供にとって抽象的な存在だなどとは毫も考えない。交渉が希薄なことは自覚していても、生身の人間である以上、自分はあくまでも具体的な存在としてあるのだからだ。だから「父の日」にはいっそう、いかにも父親らしく振る舞うことに気を使うわけで、足腰の弱ってきた自覚を具体的に「転ばぬ」ようにしてカバーしようとしたりする。平たく言えば、まだまだ元気なことを具体的なありようで示そうとしているのだ。この句には、そうした父親としての自覚のありようとその哀しみを、若い人から見れば苦笑ものだろうが、的確に詠みきっていると読めた。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


June 0662010

 読まず書かぬ月日俄に夏祭

                           野沢節子

段は行かないのですが、今年は友人が朗読をするというので、5月末の日曜日に、「日本の詩祭」に行ってきました。会場に入ってまず驚いたのが、広い場内のほとんどの席がすでに埋まっており、その人たちがたぶん皆、詩人であることでした。日本にはこれほど多くの詩人がいるものかと思った後で、しかし「詩人」なるものの定義も、どこか曖昧だなと、あらためて思いもしました。わたしも、ものを書いて発表するときには、ほかにぴったりする呼び名もないので、名前のあとに(詩人)とつけられることがあります。しかし、言うまでもなく詩を書いて生活をしているわけでもなく、また、毎日毎日詩を書いているわけでもありません。では、読むほうはどうかといえば、これも、通勤電車で読む日経新聞と会社の書類以外には、まったく何も読まない日々もあり、月日はそれでも詩人を過ぎてゆくわけです。とはいうものの、心のどこかには、自分にはもっとすごい詩が書けるのではないのか、そのためにはきちんとした勉強を怠ってはいけないのだという気持ちはしっかりともっており、だからいつも焦っているわけです。焦って見上げる夕暮れの空からは、遠い祭囃子の音が風に乗って聞こえてきます。ああ、今年ももう夏祭の季節になってしまったのだなと、さらに人生に、焦りの心が増してくるのです。『俳句のたのしさ』(1976・講談社)所載。(松下育男)




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