選挙に向けての電話がかかってくる。この忙しいときに大迷惑なり。(哲




2010ソスN6ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2262010

 夏雲や赤子の口を乳あふれ

                           安部元気

雨さなかとはいえ、時折の晴れ間はまごうことなき夏の日差しになっている。掲句は、もくもくとした夏雲の形態が、赤ん坊の放出する生のエネルギーに重なり、ますますふくれあがっていくようだ。さらに生まれたての小さな口を溢れさせるほどの、ほとばしる乳を与える母の像も背景におさえ、圧倒的な健やかさを募らせている。いまさら母乳の味を覚えているはずもないが、ふいに口中になつかしい感触もわいてくるように思い、見回してみれば世の中にあふれる「ミルク味」たるものの多さに驚いた。アイスクリーム、キャンディーなどの菓子類はともかく、サイダーやカップ麺にまで出現している。これほどの多様さを見るとき、ふと生きる糧そのものであった乳の、あの白色を慕い、ねっとりとしたほの甘さを、今もなお求めているのだとも思えるのである。〈船虫や潮にながされつつ進み〉〈昼寝より覚めれば父も母もゐず〉『一座』(2010)所収。(土肥あき子)


June 2162010

 父に似て白き団扇の身に添へる

                           渡辺水巴

く団扇を使う。いちおう部屋には冷房装置があるのだけれど、あの冷え方は好きじゃないので、ここ三年ほどはもっぱら団扇でパタパタやっている。といっても、私が使う団扇は街頭などで配られている広告入りのものだから、風情も何もあったものではない。そこへいくと、掲句の作者が使っている団扇は、ちゃんとした商品として売られていたものだろう。毎夏いろいろな色やデザインのものを求めてきたが、いつしか白系統の団扇に落ち着いてきた。白いものが、結局は自分にしっくりくると思うようになった。思い起こせば、父の好みもそうだった。やはり親子は似て来くるものだなあと、しばし苦笑まじりの感慨を覚えている。ここでいま私が使っている団扇をつくづくと眺めてみると、表にも裏にもぎとぎとの豚骨ラーメンの写真が出ている。なんとも暑そうなデザインで、これで扇いだヒには、熱風でも巻き起こりそうな感じである。どうしてこのラーメン屋は夏にこんな暑苦しい団扇を配ったのか。涼味を呼ぶにはほど遠い絵柄の団扇を、しばし眺めて溜め息をついたのだった。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


June 2062010

 父の日の忘れられをり波戻る

                           田川飛旅子

日は父の日、ということでせっかくなので父の日の句です。手元の歳時記で父の日の句を調べてみれば、たしかに何句かはあるものの、すでに清水さんがこの欄で過去に採り上げており、選択肢はおのずと狭まってしまいます。(季語検索で「父の日」を参照してください)父の日に限らず、記念日を詠んだ句には、どうしても句の内容をその日に強引に結び付けようとする心持が働いて、どこか無理があるなと感じるものが多いようです。あるいは、記念日の意味にぴったりと付いたものになって、発想の広がりに制約ができてしまうこともあります。また、その記念日から、誰もが連想するものを素直に読者と確認しあうものもあります。本日の句は、そういった確認句のうちのひとつ。父の日がつい忘れがちになってしまうという、だれもが感じる、母の日との受け止め方の違いを詠んでいます。ただ、最近はデパートやコンビニの宣伝もあって、町のいたるところに「父の日のプレゼントは?」という文字が見られるようになってきたため、本日の句の感慨も、若干違ってきています。とはいうものの、母という文字の重さには、どんな時代になっても到底適いはしないなと、子の父であるわたしも、めずらしくプレゼントされたウイスキーを眺めながらつくづく思うわけです。『合本 俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)




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