橋下知事、大阪ゆかりの本田・遠藤表彰も…。すぐ表彰したがる悪い癖。(哲




2010ソスN6ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2662010

 四葩咲きよべの涙を忘れしむ

                           文挾夫佐恵

勤路の紫陽花、さみどりの蕾が日に日に色を見せていまちょうど雨に似合う青紫。四葩(よひら)を紫陽花の意味で使うのは、「特に俳句でいう。」(広辞苑)とのことだ。小さな花を豪華な四片の萼が囲んでいる。昨日の帰り道ご近所で、庭の紫陽花が道路まではみ出したのを一気に刈っていた。まだたくさん花がついていて、通りがかりの私達にも「よかったら持っていって」と。一輪いただいて帰りガラスの器に挿した。大きい毬がかたまって咲く割には、その深く濡れた水色といい、咲く時期といい、さびしい印象のあった紫陽花だけれど、こうして一輪と向き合ってしみじみ見ていると可憐でかわいらしい。涙色の紫陽花と見つめ合いながら、少し微笑んでいる作者の顔が見えるような気がするのだった。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


June 2562010

 母が泣く厨のマッチ火星へ発つ

                           土居獏秋

建的な夫、または婚家の姑や小姑にいびられている母が厨で煮炊きのマッチをする。点火したマッチはそのままロケットになって火星へ旅立つ。初版1965年の金子兜太著に載っている作品だから少なくともそれ以前の作。厨で泣くという設定がいかにも古い時代の「母」の典型を思わせるが、その母の手元からマッチがロケットになって火星に飛んでいくという発想はどこか泥臭くて、いびられている女の現実離脱願望が出ていてリアルだ。その現実から半世紀近く経った今は、誰がどこで泣いていて、そこで何を夢想するのだろう。泣かされているのは老人か、幼児虐待の幼児か、引きこもりの青年か、ニートの群れか。『今日の俳句』(1965・光文社)所載。(今井 聖)


June 2462010

 アロハシャツ似合へる夫の余生かな

                           木村たみ子

生を辞書で引くと「一生で(最盛期を過ぎて)残った命、生活」とある。いつからを余生と呼ぶのか、それを区切るのはあくまで本人だろうが、会社を退職し、毎日が日曜日という生活になじんでくるとこの言葉が実感として響いてくるかもしれない。現役時代はほとんどの時をネクタイと背広で過ごして、服装には無頓着な男の人も多い。退職して家にいるようになるとどんな格好をして過ごすのだろう。昔だとステテコにシャツのご隠居が夕涼みしている姿が定番として思い浮かぶが、団塊の世代はジーパンとスニーカーであちらこちら駆け回りそう。掲句のアロハシャツは夫自身の好みで選んだのか、家族からのプレゼントか。緑や赤の派手な模様の入ったアロハシャツを着こんで、籐椅子でカメラなどをいじっている夫。最後の「かな」の詠嘆にそのような静かな時間を二人で共有する喜びが表されているように思う。『水の音』(2009)所収。(三宅やよい)




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