2010N7句

July 0172010

 捨てきれぬ山靴ありし暑さかな

                           本郷をさむ

日は富士山をはじめ多くの山で山開きが行われる。歳時記によるとむかし山に登るのは修行であり信仰行事であったため、一般の人は山に登るのは禁止されていた。が、夏の一定期間だけは許されていたのでその名残だという。最近の中高年登山ブームに乗っかって、私も秩父の山に登ったりはするが、最後は息切れがして頂上へたどりつくのがやっとである。それでも山岳地図を広げ頂上を極めた山に印をつけるのは楽しい。ましてや若いときから登山を続けてきた人にとっては困難な高峰への登頂をともにした登山靴への思い入れは格別だろう。軽く歩きやすい登山靴がいくらでも出ている今、若い頃履いた重い山靴は実用に耐えそうにないが、それでも捨てきれない。そんな自分の執着を「暑さかな」と少し突き放して表現しているだけに作者のその靴に対する思い入れが伝わってくる。『物語山』(2008)所収。(三宅やよい)


July 0272010

 魚屋の奥に先代昼寝せり

                           鈴木鷹夫

よお、大将いる?」「奥で寝てますよ」「いい身分だね、昼間っから寝てるなんて」「昼間っから魚屋冷やかしてる方もいいご身分じゃないんですか」「何言ってんだ、俺は客だよ。魚買いに来てんだ」「ありがとうございます。今日はいい鰺入ってるよ」先代が昼寝しているのがわかったのは、二代目に尋ねたからだ。それで日頃の付き合いがわかる。他人が昼寝している時間に魚屋に行った方も昼間から暇なのだ。ゆったりした時間が流れる。これを晩年と呼ぶならこんな晩年がいいな。「俳句年鑑2010年版」(2009)所載。(今井 聖)


July 0372010

 凌霄花けはしきまでに空青し

                           坂口裕子

霄花(のうぜんか)、ノウゼンカズラは一日花だが花の数が多いからか、いつもたくさん咲いてたくさん散っている気がする。百日紅や夾竹桃のピンクがかった赤は、強い日差しと乾いた暑苦しさを思わせるが、黄みがかった朱色の凌霄花にはなんとなく濡れた印象がある。梅雨のイメージが重なるからか、花が大きく柔らかくぼたぼた散ってしまうからか。そんな凌霄花の朱色と夏空の青と光る雲の白がきっぱりと鮮明な掲出句。凌霄花が咲き乱れているなんとも言いがたい様が、けはしきまでに、という表現を呼び起こしたのだろうか。それにしてもこんな夏空はもう少し先だな、と思いながら、七月の声を聞くとどこかわくわくして、真夏の句に惹かれてしまうのだった。俳誌「花鳥来」(2010年夏号)所載。(今井肖子)


July 0472010

 大揚羽教師ひとりのときは優し

                           寺山修司

の句の初出は昭和29年の「蛍雪時代」ということですから、高校3年生の時の作者が、初々しく詠んだ句となります。今では、教師が優しいのはあたりまえというか、優しくなければ問題になるわけですが、当時の教師像というのは、人によって差はあっても、今よりもだいぶ厳格な印象を持たれていたものです。とはいうものの、生来の人のあり方が、たかが半世紀ほどで変わるわけもありません。生徒の前ではいかめしい表情を見せていても、一人になったときには、いつもとは違う穏やかなものをたたえていたということのようです。「大揚羽」のおおぶりな書き出しが、生徒にとっての教師の大きさに、自然とつながっています。また、「ひとり」という言葉から連想されるさびしさも、きちんと「優し」には含まれていて、この教師のこれまでの人生が、妙にいとしく感じられてきます。『寺山修司全詩歌句』(1986・思潮社)所収。(松下育男)


July 0572010

 吊革の誰彼の目の遠花火

                           相子智恵

めを辞めてから一年が経った。ほとんど電車には乗らなくなった。たまに乗ると、あまり混んでいなくてもひどく疲れる。バスにはよく乗るけれど、こちらはそんなに疲れない。何故かと考えてみるに、バスの乗客はほとんどが同じ地域に暮らす人々なので、なんとなく親近感を持てるからではないかと思う。比べて電車の乗客にはそういうことがない。つまり、電車の乗客のほうが匿名性が高いのである。その匿名性の圧力に疲れてしまうのだ。句のような帰宅客を乗せた車内では、一日の肉体的な疲れもあるのでなおさらだろう。みんなが、早く自分の駅に着かないかと、それだけを願っている。そんな乗客の目に、遠花火が写り込んできた。「誰彼」と言わず、みんなが吊革につかまりながらそちらをいっせいに見やっている。ほんの束の間だけれども、このときに匿名性が少し緩む。ばらばらの思いや感情が、花火を通してすうっと一体になるような……。思わずも口元がほころびそうになるような短い時間を巧みにとらえた句だと読んだ。「俳句」(2010年7月号)所載。(清水哲男)


July 0672010

 街で逢ふ産月らしき白日傘

                           小澤利子

ろそろ日差しも真夏を感じさせるほどの強烈さに。産月(うみづき)は臨月と同様、出産する予定の月をいう。出産を間近に控えた大きなお腹を抱えた女性が、白日傘をさしているという掲句。今や日焼けを嫌う女性にとって日傘は四季を通して使われているが、盛夏に大きなお腹の女性を思えばそれだけで「いやはやご苦労さまです」と、ねぎらいたくなる。白日傘は自分だけに傾けているのではなく、もうすぐこの世に誕生する小さな命にも「今日も暑いね」と語りかけるように差しかけているのだろう。妊婦の友人に聞いた一番愉快に思った話しは、食後に必ずお腹を蹴られるということだった。胃袋がふくれることで居場所が圧迫され、「せまーい」と不満を訴えているのだという。こっちは確かに広いけど、しんどいことも結構多いよ。でも、楽しいこともたくさんあるから、さあ、そろそろ真夏の子として生まれておいで。〈ラムネ飲み雲の裏側おもひをり〉〈まな板をはみ出してゐる新若布〉『桐の花』(2010)所収。(土肥あき子)


July 0772010

 極悪人の顔して金魚掬ひけり

                           柴田千晶

衣姿の娘っ子たちが何人かしゃがみこんで、夜店で金魚掬いを楽しんでいる――などという風情は、今やあまりにも古典的に属すると嘲笑されるかもしれない。しかし、そこへ金魚を掬おうとして割りこんで来た者(男でも女でもよかろう)がいる、とすれば「古典的」な金魚掬いの場面は、甘さから幾分は救われるというもの。「極悪人の顔して」というのだから、その者が極悪人そのものであるわけではない。たとえば、虫も殺さぬようなしとやかな女性であっても(いや、誰しも)、いざ一匹でも多くの金魚を掬いとらんとなれば、身構えも表情も真剣そのものとなるのは当然。それを「極悪人の顔」ととらえたところに、千晶らしい毒を含んだ鋭い視点が生まれた。極悪人に掬われるな! 逃げろ、金魚たち! まともな金魚掬いの情景を詠んだところで、誰も振り向いてはくれない。先般6月の余白句会で、兼題「極」を折り込んで投じられたこの一句、みごと“天”を獲得した。私は旅行中で当日欠席したが、もし出席していれば“天”を投じたに違いない。金魚はその美しさ、奇異な愛らしさなどが観賞され愛玩されるわけだが、いきなり敢えて「極悪人」をもちこんできたことで、句のテンションが上がった。千晶の「鰯雲の不思議な日暮排卵日」(句集『赤き毛皮』)から受けた衝撃は今も忘れがたい。怖い詩人である。第89回余白句会報告(2010)より。(八木忠栄)


July 0872010

 生前と死後一対に重信忌

                           高橋 龍

信は1983年7月8日に亡くなった。彼が俳句の父と仰ぐ富澤赤黄男が昭和38年 3月8日、母と仰ぐ三橋鷹女が昭和48年4月8日に逝去、自分は58年5月8日に亡くなるだろうと常々予告していた。二か月ずれたが予言したとおり昭和58年に亡くなったわけで、その不思議さに言葉の呪力のようなものを感じる。それにしても享年60歳は若いと思わずにはいられない。重信が何かの評論で時間の遠眼鏡で未来から現在を覗くと今の俳句の世界は誰もいなくなって荒涼たるもんだと書いていた一節を覚えているが、その状況は今も変っていないだろう。若いころに結核を患い、常に晩年意識を持っていたこの人は常に死後の世界から現実を見ていたのかもしれない。生前と死後が一対だからこそ物事に対して見通しのよいまなざしを持ち鋭い評論を展開し続けることが出来たのだろう。『龍編纂』(2009)所収。(三宅やよい)


July 0972010

 あぢさゐの毬の中なる隠れ毬

                           鷹羽狩行

ズムが明快で外の景の印象鮮明。機智があるけれど実感から入るために知的操作が浮き立たない。読み下して速度感がある。そしてどこか静謐な風景。抹香臭い神社仏閣などを源泉とするいわゆる俳句的情緒に依らない。内部の鬱を匂わせる戦後現代詩のモダンとは一線を画す。俳諧風流の可笑しみにも行かない。山口誓子が拓いて作者に受け継がれているこういう世界を今の流行には無い傾向として僕は見ている。あぢさゐの毬の中にある毬はあぢさゐの花の色と形から来る比喩として読めるが、同時にあぢさゐの咲いている茂みの中に置き忘れられた見えない毬を思っている内容にも思える。比喩としての毬と実際の毬が紫陽花の中で動いて重なる。『十六夜』(2010)所収。(今井 聖)


July 1072010

 まくなぎを抜け出して来て一人酒

                           星野半酔

号から推察してもお酒が嫌いではない作者だろう。〈荒塩があれば事たる霰酒〉〈ささ塩を振りて一人の小鰺かな〉などとも詠まれているので、お酒は好きなものを好きな時にじっくり一人で楽しむのを是とするタイプ。会話や酔うことを目的に飲むのではなく、お酒そのものが好きなのだ。まくなぎ、めまとひ。糠蛾とはよく言ったものだと思う。ただでさえ蒸し暑いのにともかくまとわりつき、立ち止まれば不思議と止まり、うっとおしいことこの上ない。そんなまくなぎを本当に抜けてきたのかもしれないが、何かをまくなぎになぞらえているのだとすれば、それはただの人混みなのか酒宴の喧噪か。後者だとすると、それなら大勢での酒席には行かなければいいのだが、なかなかそうもいかないし逆に、やれやれ、とその後じっくり飲む一人酒はことさらしみるのだろう。お目にかかってみたかったな、と思わせる遺句集『秋の虹』(2009)所収。(今井肖子)


July 1172010

 選挙カー連呼せず過ぐ青田道

                           日下徳一

日は参議院議員選挙投票日ということで、選挙にまつわる句です。選挙といえば選挙カーのやかましい連呼を取り上げたくなりますが、そこをひとひねりして、連呼していないところを詠んでいるのがこの句のミソです。たしかに、聞く人がいなければ連呼する必要はないのだなと、あたりまえのことに改めて納得させられてしまいます。それよりもなによりも、この句を読んでいると、なんだかくっきりとした線のイラストを思い浮かべてしまいます。選挙という、まさに人の世の生々しい出来事を詠みながら、そんなことからは離れて、盛夏に真っ白な雲が遠景に浮かび、青田の間の道をはるか遠目に通過してゆく選挙カーのすがすがしい映像が、ジブリアニメのタッチで見えてきます。車の中では、さきほどまで声をからして叫んでいた女性が、冷たいお茶を飲んでしばし休憩でもしているのでしょうか。その顔さえ、なんだかジブリ映画によく出てくる、鼻筋の通った一途な女性の横顔になっています。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年7月5日付)所載。(松下育男)


July 1272010

 梅丁寧に干し晩年と思ひけり

                           関 芳子

人はもとより、誰にもその人の「晩年」はわからない。晩年とは、その人の死後に生き残った人たちがその人のある年月を定義する言葉である。だから句の「晩年」は言葉遣いとしてはおかしいのだが、しかし主観的には死の間近さをこのように感じることはありそうだ。毎年くりかえして同じように梅を干してきたが、気がつけば今年はずいぶんと丁寧に干したのだった。このようないわばルーティンワークに、半ば無意識にせよ特別な気遣いをしたということは、死がそう遠くはないからなのかもしれない。そうでなければ、梅のひとつぶひとつぶをいとおしむような行為が自然にわいてくるはずもない。作者はそう思い、わがことでありながらあえて「晩年」という言葉を使った。この心理は若い人にはわかるまいが、高齢者には多かれ少なかれ普通についてまわるものだ。むろん、私とて例外ではない。性来がずぼらなのに、ときどきこれではいけないと何かをやり直したりするようになった。「晩年」と結びつけたくはないけれど、そうなのかもしれない。いずれにしても、年を取ってくると、これまでになかったような行為に我知らずに出ることがあるのは間違いないようだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


July 1372010

 白玉にゑくぼをつけてゐるところ

                           小林苑を

玉とは、米からできた白玉粉で作る団子のこと。真珠をさす白玉という言葉が使われたこの美しい団子は、平安時代には汚れのない白さが尊ばれ、宗教上の供物として使われていた。作り方は単純明快。1)白玉粉を同量の水でこね、2)手のひらの上でくるくると丸め、3)たっぷりのお湯に投入し、4)浮き上がってしばらくしたら引きあげる。掲句は、団子に火を通しやすくするため、十円玉くらいに丸めた白玉に指の腹で窪みをつける2の手順における作業である。これが単なる段取りに映らないのは、前述の供物的な背景が影響しているわけでもなく、ただひたすらその純白な姿かたちの愛らしさに共鳴するものである。熱湯から引きあげられた白玉は、氷水に放たれ目の前でみるみる冷えていく。手のひらの上で生まれ、指の腹でやさしく刻印されたゑくぼを持つこの菓子のおだやかな喉越しは、夏負けの身体を内側から静かな涼気で満たしてくれる。〈蟻穴を出てもう一度穴に入る〉〈爪先を立てて水着を脱ぎにけり〉『点る』(2010)所収。(土肥あき子)


July 1472010

 つめたい爪で戦争がピアノ弾いてゐる

                           天沢退二郎

ではなく、「つめたい爪」がピアノを弾いている、ととらえている。その「爪」は戦争のそれである。「つめたい」といっても、それを冬の季語などと堅苦しく限定することは、この場合むしろナンセンスであろう。戦争は「熱い」とするのが一般的かもしれないが、いっぽうで「冷たい戦争」「冷戦」という言い方がある。擬人化された戦争が鋭く尖った冷酷な爪をかまえて、ピアノの鍵盤をかきむしっているという、モンスターめいた図は穏やかではない。いや、戦争が冷たかろうが熱かろうが、穏やかであるはずがない。戦争というバケモノが恐ろしい表情と風体で、現に世界の各地で激しく、また密かにピアノを怪しく弾いているではないか。愚か者どもによるピアノ演奏を止めるのは容易ではないどころか、ますます激昂して拍手を送る徒輩さえいる。そういえばポランスキーの「戦場のピアニスト」という映画があった。また、古い記憶を遡って、粟津潔の映像作品「ピアノ炎上」(1973)を想起した。消防服を着た山下洋輔が燃えているピアノを弾いて、燃え崩れるまで弾きつづけたもので、今もパソコンで映像にアクセスすることができる。退二郎は高野民雄らと「蜻蛉句帳」を出しつづけている。同誌に「帆船考」として退二郎は掲句の他に、自在に詠んだ「列島をうそ寒き夏の這い登る」など六句と、「ふんどしを締めて五月の猫走る」など十五句を一挙に発表している。「蜻蛉句帳」44号(2010)所載。(八木忠栄)


July 1572010

 蛍待つ誰も小声になつてをり

                           浅見 百

か4年前の7月15日。増俳10周年記念句会のときに高点に選ばれた句と記憶している。私も選ばせていただきました。ハイ。「蛍」の題は難しかった。清水さんがこの題を決めたのは神保町のビヤホール「ランチョン」で、折しも「蛍の光」が流れている閉店前だったように思う。10年続いた増俳の終了と、蛍がぴかんと一致して清水さんの頭にひらめいたのかもしれない。「蛍」「蛍」とさんざん悩んだけど、うまく出来なかった。この作品に出合ったとき、蛍を直接詠むのではなく、蛍を待つ間に膨らんでゆく期待を「小声になつてをり」とさりげなく描きだしたところに惹かれた。だんだん夕暮れていく川岸でひそひそと会話を交わす人たち。待ち草臥れたころ青白い光がふっと横切り、小声で話していた人達から歓声があがる。それが合図のように草の茂みに木の枝のあちこちに蛍が光り始めることだろう。そんな感動を味わうためにも蛍見の連れには小声で話しかけることにしよう。『時の舟』(2008)所収。(三宅やよい)


July 1672010

 白団扇夜の奥より怒濤かな

                           長谷川櫂

の白団扇。白だけが鮮明に浮き上がる。その白から波の穂がイメージされ、波の穂はしだいにふくらんで怒濤となって打ち寄せる。団扇の白が怒濤と化すのだ。何が何に化すかというところが作者の嗜好。この両者の素材が作風を決する。白鷺が蝶と化すのが山口誓子。尿瓶が白鳥と化すのが秋元不死男、自分がおぼろ夜のかたまりと化すのが加藤楸邨。長谷川櫂の嗜好は自ずから明らかである。『富士』(2009)所収。(今井 聖)


July 1772010

 めつむれば炎の見ゆる滝浄土

                           角川春樹

の向こうに見える炎のようなものを描きたい、とは徳岡神泉画伯の言葉だったか。その炎は明るく燃えているというよりむしろ仄暗くゆらめいて、目を閉じればなお強く迫ってくるのだろう。句の前後から察して、この滝は那智の滝。〈夜も蒼き天をつらぬく瀑布あり〉〈はればれと滝は暮れゆく音を持つ〉〈銀漢のまつしぐらなり補陀落寺〉など、一度はこの目で那智の滝を観たい、とあらためて強く思った。ことに、夜の滝。その音と匂いに包まれているうち、滝の水が天から落ちているのか、天に向かって駆け上っているのか、自分がどこにいるのか、どこへ行くのか・・・確かなものは何ひとつ無くなっていく気がする。信ずるものにとって観音浄土は、現世よりよほど確かなものなのだろう。『夢殿』(1988)所収。(今井肖子)


July 1872010

 浴衣着て全身の皺のばしけり

                           米津勇美

読、小さく笑ってしまったのは、「全身の皺」をのばしている人の姿を思い浮かべてしまったからです。浴衣の皺かもしれませんが、むしろ本人の心身の皺のことを詠っているように感じられます。仕事着を脱ぎ、浴衣に着替えて、大きく伸びでもしたところでしょうか。もしかしたら、休暇をとって温泉宿にでも到着した時のことなのかもしれません。読んでいるだけでぐっと背筋を伸ばしてみたくなるような、心地よさを感じます。洋服の皺を伸ばすならもちろんアイロンでしょうが、体の皺をのばすとなれば、マッサージチェアーに座るか、あるいは人の手に揉みほぐしてもらうことになるのでしょう。それにしてもどうして生き物というのは、体に触れられて適度な力を加えられることが、あれほど気持ちのよいものなのでしょうか。わたしの場合、最近はもっぱら我が家の犬をそばにおいて、体中をさわってあげることに終始しています。そのうち犬は、あまりの気持ちよさに仰向けになって、脚をピンと伸ばしてきます。その姿を見ているだけで、心の中に一日たまったわたしの皺も、自然と伸びてくるようです。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年7月11日付)所載。(松下育男)


July 1972010

 半世紀前の科学誌毒茸

                           中村昭義

語は「茸(きのこ)」で秋。だが、この句は限りなく無季に近い。句の力点は、あくまでも「半世紀前の科学誌」にあるからだ。戸棚や物置の整理をしていて、子供時代に読んだ科学雑誌が出てきたのだろう。懐かしくてページを繰っていたら、たまたま毒茸の詳しい解説記事に目が止まった。写真やイラストの図解もあって、当時怖いと思いながらも熱心に見つめた記憶がよみがえってきた。誰でもそうだろうが、このように古雑誌や古新聞を眺めているうちに思いがたどり着くのは、記事そのものにまつわる事柄よりも、当時の自分のことや生活のことだ。いまは疎遠になっている友人のことや亡くなった人たちのことだったりもするのである。だから無季句に近いというわけで、熱心に接した媒体であればあるほど、その濃度は高い。句を読んで私などが思い出すのは「子供の科学」だ。田舎にいたのでめったに読む機会はなかったけれど、学校の理科の授業よりも数段面白かった。「縦に割けるキノコは食べられる」「毒キノコは色が派手で、地味な色で匂いの良いキノコは食べられる」などは迷信だ。などと書かれてあって、得意げに友人たちに触れ回ったこともある。作者の「科学誌」とは何だろうか。句に触発されて、いろいろなことが思い出され、しんみりとした良い時間が持てた。『神の意志』(2010)所収。(清水哲男)


July 2072010

 水桶に女の屈む朝曇

                           城倉吉野

日土用の入り。いよいよ日本のもっとも厳しい時節に足を踏み入れたわけだが、エアコンも扇風機もない時代から繰り返し乗り越えてきていることを思えば、暑いのは夏の取り柄なのだとわずかに開き直る心持ちにもなる。「朝曇(あさぐもり)」とは、「日照りの朝曇り」という言葉があるように、明け方どんよりと曇っていても、日中は辟易するような炎天になることをいう。高気圧に覆われていると風が弱いため、夜間は上層より下層の空気が冷え、雲ができやすくなっていて、いっとき朝方は曇っているが、日射により雲はみるみる消えてしまう、というれっきとした気象現象である。しくみはどうあれ、「ともかく今日は暑くなる」という体験による確信が伝わる季語であることから、掲句の屈む女の姿が際立つ。水桶に張った水面に映るどんよりと濁る曇天に、女のこれからの労働と、その背景に容赦なく照りつける太陽がもれなくついてまわる一日を思わずにいられない。日本人の生活感覚として確立された季語の、まさに本領発揮という一句である。〈千人の僧のごとくに夕立かな〉〈天の川ひとは小さな息をして〉『風の形』(2010)所収。(土肥あき子)


July 2172010

 楽屋着も替えて中日や夏芝居

                           中村伸郎

者は夏の稽古場では、たいてい浴衣を着ている。からだにゆるくて動きやすいからである。若い役者はTシャツだったりする。掲句は本公演中での楽屋着である。こちらも趣味のいい柄の浴衣を、ゆったりと着こなしていたりする。公演も中日(なかび)頃になれば、楽屋着も替えるのは当然である。舞台ではどんな役を演じているにしても、楽屋ではがらりとちがった楽屋着にとり替えて、楽屋仲間や訪問客と気のおけない会話をかわすひとときでもある。楽屋着をとり替えて、さて、気分も新たに後半の公演にそなえようというわけである。舞台とはちがった楽屋のゆったりとした雰囲気が、それとなく感じられるような句である。江戸時代、夏は山王や神田をはじめ祭が盛んで、芝居興行は不振だったことから、若手や地位の低い役者が一座を組んで、力試しに興行したのが夏芝居や夏狂言だった。掲句の「夏芝居」は、もちろん現代の夏興行の芝居を指している。後藤夜半に「祀りある四谷稲荷や夏芝居」がある。伸郎(のぶお)は文学座から最後は劇団「円」の代表となった。この役者の冷たいまでに端正な風貌とねじ込んだようなセリフまわしは、小津映画や黒澤映画でもお馴染みだった。随筆・俳句集『おれのことなら放っといて』がある。平井照敏編『俳句歳時記・夏』(1969)所載。(八木忠栄)


July 2272010

 ネクタイを肩に撥ねあげ泥鰌鍋

                           広渡敬雄

日は大暑。二十四節季のちょうど中間の十二番目にあたり一年のちょうど折り返し点といったところ。アスファルトが揺れるほど暑いときには熱いものを食べて汗をかくべし。泥鰌は土の中でも生きて活発に動くので「土生」とも書くと新聞に載っていた。その説によると泥鰌一匹は鰻一匹と同レベルの栄養があるという話だから、土用には持ってこいの食べ物ということだろう。泥鰌とくれば浅草だけど、関西ではあまり泥鰌を食べさせる店を見かけなかったように思う。今はどうなのだろう。ネクタイ姿で泥鰌鍋を食べるには撥ね飛ぶ汁が心配。掲句ではネクタイを「肩に撥ね上げ」という動作がいなせで、暑さに負けない勢いが伝わってくる。はふはふと息をはずませて食べる泥鰌鍋はさぞおいしいことだろう。『ライカ』(2009)所収。(三宅やよい)


July 2372010

 一雲かぶさる真夏の浜辺に村人と

                           牧ひでを

読黒田清輝の画のような平和な漁村の風景が浮ぶが、前書きを読むと様相は一変する。「広島へ四〇キロというふるさとにて原爆を受けし朝」。雲はキノコ雲であった。平和な時間を刻んでいるとしか思えない風景が実は凄惨な事実を孕んでいるというのは、まさしく近代の恐怖そのものだろう。牧ひでをさんは70年代の「寒雷」東京句会には必ず顔が見えた。楸邨の隣に座って言葉を区切りながらゆっくりと話す実に温厚な白髪の紳士であった。怒るように叫ぶように自己を表現する俳人は「寒雷」に多かったが、ひでをさんのように柔らかな言葉の語り口を持った人は稀であった。だからこそ、この句に込められた驚きと怒りの深さを思うのである。『杭打って』(1970)所収。(今井 聖)


July 2472010

 炎天の石を叩けば鉄の音

                           吉年虹二

天、見るからに熱くて暑い言葉だ。酷暑の日中の空やその天気をいう、ということで、空を眺めてみる。連日まさに猛暑だが、あらためて見ると炎天は、その中心に太陽がぎらぎら溶け出して、全体が白い光に覆われている。外に出て庭に敷いてある白い玉砂利にふれてみると、強い日差しを受けながらさほど熱くはないけれど、その横の金属のフェンスは焼けそうだ。この句は、実際石を叩いたのかどうか定かではないが、本来どこかひんやりしたイメージのある石も、炎天下で叩くと、鉄のような決して澄んで美しいとはいえない金属音がしたのだろうか。鉄の重さや、いつか見た溶鉱炉のどろどろとした炎色が思われて、ますます暑くなってくる。『狐火』(2007)所収。(今井肖子)


July 2572010

 まつすぐに行けと片陰ここで尽く

                           鷹羽狩行

陰というのは、夏の午後に家並みなどの片側にできる日陰のことです。たしかに道が伸びていれば、日差しが強ければ強いほどに、濃い陰が道にその姿を現しているわけです。普段は、陰が落ちていようといまいとなんら気になりませんが、気温が36度だ38度だという日々になれば、おのずと陰の存在感が増してくるというものです。休日の午後に、必ず犬の散歩に向かう私は、そんな日には道の端っこを、陰の中からはみ出さないようにしておそるおそる歩いています。大きな家の前はよいけれど、家と家の間であるとか、細い木が植わっている場所であるとかは、おのずと陰はひらべったくなっていて、その細い幅の中を、綱渡りでもするようにして、あくまでも陰から出ないようにして歩きます。ところが、困りました。あるところで家並みは尽き、ここから先は全く陰のない、全面に日の降り注いでいる道になっています。一瞬ためらった後、なにをそんなにこそこそと歩いていたのかと、それまでの散歩が急に恥ずかしくなってきます。降り注ぐものはあるがままに受け止めよ。そんなふうにどこかから叱咤されたように気になって、犬とともに、勇気を持って歩き出すのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


July 2672010

 カレー喰ふ夏の眼をみひらきつ

                           涌井紀夫

さには熱さと辛さで対抗だ。冷房など効いていない自宅か海の家みたいなところでか、「喰ふ」というのだから、作者の健啖ぶりが強く示されている。何度も意識的に「眼をみひらか」ないでおくと、汗が瞼を伝って目に流れ込んできてしまう。たぶんに心理的な要素がからんではいるけれど、誰にも覚えはあるだろう。こうした何でもないような身体の動きをとらえて、暑い時間にカレーを喰らう男の元気な様子を描出すると同時に、周囲の夏真っ盛りの情景までをも読者に想起させている。なかなかに巧みな「味」のある作品だ。作者の涌井紀夫は、最高裁判事として在職中の昨年暮れに、病に冒され亡くなった。煙草はまったく喫わなかったようだが、肺癌に倒れた。享年六十七。私とは少し縁があって、1960年の京大俳句会で束の間一緒だったことがある。端正な若き日の面差しを覚えている。合掌。俳誌「翔臨」(第68号・2010年6月)所載。(清水哲男)


July 2772010

 地物かと問はれ鰻が身をよぢる

                           白石めだか

日は土用の丑。どこの鰻屋もてんてこまいだったことだろう。平賀源内が夏場に鰻が売れない鰻屋に相談されて作ったコピーが発祥だったというが、「こう毎日暑いと鰻が食べたくなるね」と思うとちょうど土用の丑あたりに前後していたりするのも、不思議なことだ。姿かたちが気味悪いということで苦手な方もいるというが、先日が初めて生きている鰻に触る機会があった。といっても、ご主人がつかんでいる鰻の頭のあたりを人差し指でちょんとつつかせてもらったという程度だが、その弾力と、思いのほか明るい灰色の色合いは、大きなおたまじゃくしを思わせるものだった。地物(じもの)とはその土地で漁獲されたものをいうが、鰻においてその定義はまことに曖昧である。鰻の一生は、海で生まれ、川や湖で大きくなり、ふたたび海の中で卵を生むといわれているが、その回遊ルートはいまだはっきりしていない。天然鰻と呼ばれる川や湖で棲息している鰻も、生まれはどこかはるかなる南の海の彼方なのだ。とはいえ掲句の鰻は、どうも長旅を経た天然物ではなく、「いえ、もうそこらの養殖ものなんです」と恥じ入って、ひとかたまりに身をよじっているような、ユーモアとペーソスが交錯している姿に見える。〈やくたいもなき夜盗虫ころがしぬ〉〈そそるとは無花果の口半開き〉『婆娑羅』(2010)所収。(土肥あき子)


July 2872010

 釣りをれば川の向うの祭かな

                           木山捷平

と言えばこの時季、夏である。俳句では言うまでもなく、春は「春祭」、秋は「秋祭」としなければならない。祀=祭の意味を逸脱して、今や春夏秋冬、身のまわりには「まつり」がひしめいている。市民まつり、古本まつり、映画祭……。掲句の御仁は、のんびりと川べりに腰をおろして釣糸を垂れているのだろう。祭の輪に加わることなく、人混みにまじって汗を拭きながら祭見物をするでもなく、泰然と自分の時間をやり過ごしているわけだ。おみこしワッショイだろうか、笛や鉦太鼓だろうか、川べりまで聞こえてくる。魚は釣れても釣れなくても、どこかしら祭を受け入れて、じつは心が浮き浮きしているのかもしれない。私が住んでいる港町でも、今年は氏神様の三年に一度の大祭で、川べりや橋の欄干に極彩色の大漁旗がずらりと立てられていて、それらが威勢よく風にはためいている。浜俊丸、かねはち丸、八福丸……などの力強い文字が青空に躍っている。氏子でもなんでもなく、いつも祭の輪の外にいる当方でさえ、どことなく気持ちが浮ついて、晩酌のビールも一本余計になってしまうありさま。三年に一度、まあ悪くはないや。漁港では今日も大きなスズキがどんどん箱詰めされて、仲買人や料亭へ配送されて行く。さて、これから当地名物のバカ面踊りや、おみこしワッショイでも見物してくるか。「祭笛吹くとき男佳かりける」(橋本多佳子)。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 2972010

 夏まんなか そは 幼年の蒸気船

                           伊丹公子

つもは静かな平日の昼間に子供たちの遊ぶ声が聞こえてくると、ああ、夏休みなんだなぁと実感する。その声に40日間の暇をごろごろ持て余していたむかしを思った。今のように気楽に旅ができる時代と違い、家族で遠出する機会なんてほとんどなかった。白い煙を吐きながら未知の場所に旅立つ船や、機関車といった乗り物は子供にとっては憧憬の的だった。幼い頃、どれだけ高ぶった思いでこの大きな乗り物を見上げたことだろう。作者にとっても蒸気船は幼年の夏を印象付ける象徴的存在なのだろう。真っ青な夏空に浮かぶ雲を仰ぎ見るたび幼子の心に戻って、懐かしい蒸気船を想うのかもしれない。『博物の朝』(2010)所収。(三宅やよい)


July 3072010

 籐椅子と成りおほせたる家人なり

                           鈴木章和

りおほせたると言っているが、家人すなわち妻が亡くなられたわけではなさそうだ。籐椅子になってしまう妻にはユーモアが漂うからだ。なぜ籐椅子になったのか。それはいつも籐椅子に横たわっていたために妻の体が籐椅子と一体化してしまったのだ。いつもビールを飲んでいるためにビヤ樽になってしまった夫と家事を怠けて籐椅子になってしまった妻。その横を豚児(とんじ)すなわち豚になってしまった愚かな息子が通る。謙譲の表現は面白い。『夏の庭』(2007)所収。(今井 聖)


July 3172010

 扇風機人形劇の幕を吹く

                           牧野春駒

が家の扇風機は東芝製、購入してから四十年近く経つ。高校入学と同時に上京した夫の四畳半一間の下宿で、それこそ〈扇風機まはり熱風吹き起る〉(高濱虚子)という状態だったというが、強烈な西日の当たる部屋で彼がなんとか夏を乗り切れたのは、この扇風機のおかげだったとか。名前もある、ローマ字で「Asagao」。ややぎこちなく首を振りながら、今年も健在だ。今、首を振る、と書いたが扇風機を見ていると、一生懸命風を送る姿は健気であり、その丸顔に愛着がわく。この句の扇風機も思いきり頑張ってはいるのだが、観客に涼風を送るまでには至っていないのかもしれない。そんな扇風機一台。学校の講堂に集まって、夏休みの開放感にひたりながら、人形劇を楽しんでいる子供達の姿が見える。『青丹』(1984)所収。(今井肖子)




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