O謔「句

July 0172010

 捨てきれぬ山靴ありし暑さかな

                           本郷をさむ

日は富士山をはじめ多くの山で山開きが行われる。歳時記によるとむかし山に登るのは修行であり信仰行事であったため、一般の人は山に登るのは禁止されていた。が、夏の一定期間だけは許されていたのでその名残だという。最近の中高年登山ブームに乗っかって、私も秩父の山に登ったりはするが、最後は息切れがして頂上へたどりつくのがやっとである。それでも山岳地図を広げ頂上を極めた山に印をつけるのは楽しい。ましてや若いときから登山を続けてきた人にとっては困難な高峰への登頂をともにした登山靴への思い入れは格別だろう。軽く歩きやすい登山靴がいくらでも出ている今、若い頃履いた重い山靴は実用に耐えそうにないが、それでも捨てきれない。そんな自分の執着を「暑さかな」と少し突き放して表現しているだけに作者のその靴に対する思い入れが伝わってくる。『物語山』(2008)所収。(三宅やよい)


July 0872010

 生前と死後一対に重信忌

                           高橋 龍

信は1983年7月8日に亡くなった。彼が俳句の父と仰ぐ富澤赤黄男が昭和38年 3月8日、母と仰ぐ三橋鷹女が昭和48年4月8日に逝去、自分は58年5月8日に亡くなるだろうと常々予告していた。二か月ずれたが予言したとおり昭和58年に亡くなったわけで、その不思議さに言葉の呪力のようなものを感じる。それにしても享年60歳は若いと思わずにはいられない。重信が何かの評論で時間の遠眼鏡で未来から現在を覗くと今の俳句の世界は誰もいなくなって荒涼たるもんだと書いていた一節を覚えているが、その状況は今も変っていないだろう。若いころに結核を患い、常に晩年意識を持っていたこの人は常に死後の世界から現実を見ていたのかもしれない。生前と死後が一対だからこそ物事に対して見通しのよいまなざしを持ち鋭い評論を展開し続けることが出来たのだろう。『龍編纂』(2009)所収。(三宅やよい)


July 1572010

 蛍待つ誰も小声になつてをり

                           浅見 百

か4年前の7月15日。増俳10周年記念句会のときに高点に選ばれた句と記憶している。私も選ばせていただきました。ハイ。「蛍」の題は難しかった。清水さんがこの題を決めたのは神保町のビヤホール「ランチョン」で、折しも「蛍の光」が流れている閉店前だったように思う。10年続いた増俳の終了と、蛍がぴかんと一致して清水さんの頭にひらめいたのかもしれない。「蛍」「蛍」とさんざん悩んだけど、うまく出来なかった。この作品に出合ったとき、蛍を直接詠むのではなく、蛍を待つ間に膨らんでゆく期待を「小声になつてをり」とさりげなく描きだしたところに惹かれた。だんだん夕暮れていく川岸でひそひそと会話を交わす人たち。待ち草臥れたころ青白い光がふっと横切り、小声で話していた人達から歓声があがる。それが合図のように草の茂みに木の枝のあちこちに蛍が光り始めることだろう。そんな感動を味わうためにも蛍見の連れには小声で話しかけることにしよう。『時の舟』(2008)所収。(三宅やよい)


July 2272010

 ネクタイを肩に撥ねあげ泥鰌鍋

                           広渡敬雄

日は大暑。二十四節季のちょうど中間の十二番目にあたり一年のちょうど折り返し点といったところ。アスファルトが揺れるほど暑いときには熱いものを食べて汗をかくべし。泥鰌は土の中でも生きて活発に動くので「土生」とも書くと新聞に載っていた。その説によると泥鰌一匹は鰻一匹と同レベルの栄養があるという話だから、土用には持ってこいの食べ物ということだろう。泥鰌とくれば浅草だけど、関西ではあまり泥鰌を食べさせる店を見かけなかったように思う。今はどうなのだろう。ネクタイ姿で泥鰌鍋を食べるには撥ね飛ぶ汁が心配。掲句ではネクタイを「肩に撥ね上げ」という動作がいなせで、暑さに負けない勢いが伝わってくる。はふはふと息をはずませて食べる泥鰌鍋はさぞおいしいことだろう。『ライカ』(2009)所収。(三宅やよい)


July 2972010

 夏まんなか そは 幼年の蒸気船

                           伊丹公子

つもは静かな平日の昼間に子供たちの遊ぶ声が聞こえてくると、ああ、夏休みなんだなぁと実感する。その声に40日間の暇をごろごろ持て余していたむかしを思った。今のように気楽に旅ができる時代と違い、家族で遠出する機会なんてほとんどなかった。白い煙を吐きながら未知の場所に旅立つ船や、機関車といった乗り物は子供にとっては憧憬の的だった。幼い頃、どれだけ高ぶった思いでこの大きな乗り物を見上げたことだろう。作者にとっても蒸気船は幼年の夏を印象付ける象徴的存在なのだろう。真っ青な夏空に浮かぶ雲を仰ぎ見るたび幼子の心に戻って、懐かしい蒸気船を想うのかもしれない。『博物の朝』(2010)所収。(三宅やよい)


August 0582010

 広島や卵食う時口ひらく

                           西東三鬼

句は「広島や卵食ふ時口ひらく」掲句は『続神戸』文中引用ママ。三鬼の『続神戸』には掲句が出来たときの様子が次のように書き綴られている。「仕事が終わって広島で乗り換えて神戸に帰ることになり、私は荒れはてた広島の駅から、一人夜の街の方へ出た。〜中略〜私は路傍の石に腰かけ、うで卵を取り出し、ゆっくりと皮をむく。不意にツルリとなめらかな卵の肌が現われる。白熱一閃、街中の人間の皮膚がズルリとむけた街の一角。暗い暗い夜、風の中で、私はうで卵を食うために、初めて口を開く。−広島や卵食う時口ひらく−という句が頭の中に現れる。」ゆで卵を食べるためひらいた口に三鬼は閃光に焼かれた人達の声なき叫びを感じたのかもしれない。明日は八月六日。原爆投下から65年目の暑い朝が訪れる。『神戸・続神戸・俳愚伝』(1976)所収。(三宅やよい)


August 1282010

 卓袱台におきて宿題法師蝉

                           足立和信

師蝉が鳴きはじめると夏休みも後半にさしかかる。ツクツクホーシ、ツクツクホーシと、特徴ある声に後回しにしてきた宿題に苦しめられたむかしを思い出す。掲句の子供は怠け者の私と違って朝食を終えたあと、きれいに拭きあげた卓袱台に夏休みの宿題帳をひろげるのを日課にしていたのかもしれない。涼しいうちに宿題を済ませると午後からは虫取りやプールに、いの一番に駆けつけたが、もう宿題の仕上げに精を出さないといけない時期。朝のうちから鳴きだしたつくつく法師にせかされるように問題を解いているのだろう。ちなみにこの頃の小学校では昔に比べだいぶ宿題が少なくなったと聞くが、そうだとすると掲句の情景なども卓袱台もろとも生活から消えてしまったかもしれない。『初島』(2010)所収。(三宅やよい)


August 1982010

 あれは夢これはよくある猫じやらし

                           小林苑を

こじやらしは子供のときからおなじみの草。愛嬌のある名前がかわいらしい。「あれは」「これは」という対比で夢と現実との距離感を表現している。夢は昨晩見た夢とも今まで自分が胸に抱き続けてきた希望のようなものとも考えられるけど、あれは夢、という呟きに遠く消え去ったものへのあきらめが感じられる。そんな頼りない思いから足元にあるねこじゃらしにふっと目がとまったとき淡く消えてしまった夢のはかなさが、より強く感じられたのだろう。かすかに風にそよぐねこじゃらしを「これはよくある」とぞんざいに扱っているようで、普段の日常への親しみをこの呼びかけに滲ませている。道端に線路際に、どんなところにも「よくある」猫じゃらしはロマンチックじゃないかもしれないけど、いつ見ても「ある」安心感がある。これから涼しくなるにつれ揺れる尻尾は金色に染まり秋の深まりを感じさせてくれるだろう。『点る』(2010)所収。(三宅やよい)


August 2682010

 雀噴く百才王の破顔より

                           摂津幸彦

頃の百才は暗い話題が多いが、これだけの年月を生き抜くのは簡単ではない。長寿の記録だけが残り当人が行方知れずであったり、死を隠されていたりというのは寂しすぎる。身分制度が厳しく着るもの、食べるもの、髪型まで制限されていた江戸時代であってさえ、百才を越した老人はそんな取り決めごとは無視してよく、農民であっても武士へ文句が言えたと白土三平の『カムイ伝』で読んだことがある。百までたどりつけば人間を超越した存在になるのだから何をしても天下御免の「百才王」というわけだろう。そうした老人が皺くちゃの顔をくずして破顔一笑するならば、その僥倖を人に分け与えるかのように沢山の雀が噴き出すとは、なんて豪勢な光景だろう。雀たちの可愛く元気なありさまを百才王の笑顔に寄せたところに愛情を感じる。『摂津幸彦全句集』(1997)所収。(三宅やよい)


September 0292010

 秋暑し謝ることを仕事とす

                           西澤みず季

ったいいつまでこの暑さは続くのだろう。九月に入っても平年以上に気温の高い日が続く。と、あまりありがたくない予報が出ているが、早く秋らしく爽やかな空気を味わいたいものだ。「謝ることが仕事」と言えばデパートのお客様相談室や企業の顧客窓口を思い浮かべるが、それだけではなく、働いていれば「謝ることが仕事」と自分に言い聞かせねばならぬ場面は出てくるもの。どんな理不尽なことを言われても反論する気持ちをぐっと抑え込み。ひたすら頭を下げる。下げた額からぽたぽたと汗がしたたり落ちる。何かと弁明したい気持ちを押し殺しつつ、相手へ頭を下げ続ける割り切れなさは、長引く暑さに耐える不快さに通じるかもしれない。それでも掲句のように「謝ることを仕事とす」とさらりと表現されれば、所詮仕事ってそんなもの。と開き直った潔さも感じられて、嫌な出来事にも距離をとって考えられそうだ。『ミステリーツアー』(2009)所収。(三宅やよい)


September 0992010

 アンデスの塩ふつて焼く秋刀魚かな

                           小豆澤裕子

年の秋刀魚は不漁で例年より値が高い。10日ほど前駅前のスーパーで見た秋刀魚は一尾480円と信じられない値が付けられていた。この高騰にもかかわらず例年行われる目黒の秋刀魚祭りでは焼いた秋刀魚を無料で配ったというのだから、集まった人たちは「秋刀魚は目黒にかぎる」とその心意気に打たれたことだろう。それはさて置き、掲句にある「アンデスの塩」はボリビアから輸入されているうすいピンク色の岩塩だろう。ほんのりと甘く海塩とは違った味わいがある。銀色に光る秋刀魚にアンデス山脈から切り出されたピンク色の岩塩を振りかけて火にかける。思えば日々の食卓に上がるものはフィリッピンの海老だったり、ニュージーランドの南瓜であったり、アメリカの大豆であったり、世界各国から輸入されたものに彩られるわけで、ひとつひとつの出自を思いながら食せば胃の腑で出会うものたちがたどってきた道のりの遠さにくらくらしそうだ。『右目』(2010)所収。(三宅やよい)


September 1692010

 新しく忘れるために秋の椅子

                           窪田せつこ

いぶ前の新聞で「知らない事と忘れたという事は違う。忘れることなんか気にしないでただ覚えればいい。そもそも生まれた時からのことをみんな覚えていたら頭がどうかなってしまう」といった言葉が目にとまった。内田百ケン(ケンの表記は門構えに月)だったと思う。もっともこれは学問に関する教えで、砂時計の砂がこぼれおちるように読んだそばから内容を忘れ、薬缶を火にかけていることを忘れ、とりかかろうとしていた用事を忘れてしまう私などとはちょっと事情が違うかもしれない。掲句では「忘れる」不安を一歩進めて、「新しく忘れるために」と言い切ったところがいい。覚えたこともいずれちりちりになってしまうのだから、そんなことは気にせずに椅子に座っておしゃべりをし、本でも読みましょうよ。と、さっぱりした心持ちが秋の爽やかさに通じる。ようやく気温も落ち着いてきて本格的な秋がやってくる。さて新しく忘れるためにお気に入りの椅子に腰かけ図書館で借りてきた本でも広げてみようか。『風』(2009)所収。(三宅やよい)


September 2392010

 満月のあめりかにゐる男の子

                           小林苑を

日は満月。時差はあれ、世界中の人が同じ月を見るんだなぁ、そう思うと甘酸っぱい気持ちになる。考えれば太陽だって同じなのに、そんなふうに感じないのはなぜだろう。「空にいる月のふしぎをどうしよう」という岡田幸生の句の通り夜空にかかる月は神秘的な力を感じさせる。掲句「満月の」の「の」は「あめりか」にかかるのではなく、上五でいったん軽く切れると読んだ。自分が見上げている月をアメリカの男の子が見上げている様子を想像しているのだろう。例えばテキサスの荒野に、ニューヨークの摩天楼の窓辺にその子は佇んでいるのかもしれない。この句の作者は少女の心持ちになって、同じ月を見上げる男の子へ恋文を送る気分でまんまるいお月様を見上げている。「あめりか」の男の子にちょっと心ときめかせながら。カタカナで見慣れた国名のひらがな表記が現実とはちょっと違う童話の世界を思わせる。『点る』(2010)所収。(三宅やよい)


September 3092010

 どこまでも雨の背高泡立草

                           小西昭夫

かし国鉄と呼んでいた頃、線路脇に延々とこの雑草が茂っていた。濁った黄色の花を三角に突き立てる姿は、荒々しいばかりでちっとも好きじゃなかった。戦後進駐軍が持ち込み、爆発的に広がったという話を耳にしたことがある。今住んでいる関東近辺ではあまり見かけないが、他ではどうなのだろう。カタカナの語感で呼びならしていたこの雑草も漢字で書くと、猛々しさが消え淡く優しい秋草の雰囲気を醸し出すようだ。「どこまでも」が降り続く雨と群生する植物の両方にかかりあてどない寂しさを感じさせる。「背高泡立草」は降りしきる雨に人の群れのように立ちつくしているのだろう。それにしても晴れれば照りつけ、降ればどしゃ降りの最近の天候には可憐な表記ではなく「セイタカアワダチソウ」が似合いかもしれない。『小西昭夫句集』(2010)所収。(三宅やよい)


October 07102010

 小鳥来る驚くほどの青空を

                           中田 剛

苦しいほど太陽が照りつけていた夏空も過ぎ去り、継ぎ目のない筋雲が吹き抜ける空の高さを感じさせる。掲句では「驚くほどの」という表現で澄み切った空の青さを強調しているのだろう。そんな空を飛んできた小鳥たちが街路樹や公園の茂みにさえずっている。ちょんちょんと飛びながらしきりに尾を上下させるジョウビタキ、アンテナに止まってカン高い声で啼くモズ、赤い実をつついているツグミ。そこかしこに群れるムクドリ。鳴き声を聞くだけで素早く小鳥の種類を言い当てる人がいるが、私などは姿と名前がなかなか結びつかない。小鳥を良く知る人に比べれば貧しい楽しみ方だが秋晴れの気持ちのよい一日、可愛らしい小鳥とひょいと出会えるだけで幸せに思える。『中田剛集』(2003)所収。(三宅やよい)


October 14102010

 傷林檎君を抱けない夜は死にたし

                           北大路翼

愛は自分で制御しがたい切迫した感情であるがゆえに、定型をはみ出したフレーズに実感がこもる。二人でいる時に言葉は必要ないだろうが、相手の存在を確かめられない夜に湧きあがる不安と苛立ちがそのまま言葉になった感触がある。一見、七七の短歌的詠嘆にベタな恋愛感情が臆面もなく託されているように思えるが、そう単純でもないだろう。林檎は愛の象徴でもあるが、藤村の初恋とも、降る雪に林檎の香を感じる白秋とも違い、掲句の恋愛にほんのりした甘さや優美さはない。あらかじめ損なわれている「傷林檎」に自分の恋愛を託している。そう思えば恋愛が痛々しさから出発してやがて来る別れを予感しているようで刹那的な言葉が胸にこたえる。『新撰21』(2009)所収。(三宅やよい)


October 21102010

 とうさんの決して沸騰しない水

                           久保田紺

うさんの中にある水って何だろう。とうさんをこう定義しているぐらいだから、かあさんにも、ねえさんの内部にも水はあって、それはぐらぐらと沸騰したり、体内を忙しく駆け巡ったり、身の裡から溢れだしたりするのかもしれない。川柳は前句付から発展した詩型だから、発想の手掛かりとなる題がどこかに隠されているのだろう。その隠されたものを読み手が自分に惹きつけてあれこれと考えをめぐらすのが、句を読み解くことにつながるように思う。俳句は句を味わう、とよく言うが題ならずとも求心力として季語の存在は大きい。鑑賞においても川柳と俳句では違いがある。この句の場合、隠されているのは「かなしみ」や「怒り」といった感情や「死」や「離別」など人生で否応なく遭遇する事件へのとうさんの反応かもしれない。沸騰しないかわりに沈黙の咽喉元へ水はせりあがってきているのだ。同じ17音の韻律ではあるが、川柳は俳句とは違う言葉の働かせ方を見せてくれる。『銀色の楽園』(2008)所収。(三宅やよい)


October 28102010

 病院の廊下の果てに夜の岬

                           澤 好摩

い先日、病院の廊下に置かれた長椅子に座って順番待ちをしていたら、忘れていた記憶が次々とめぐってきた。思えば何人もの近親者を病院で見送っている。自分自身の入院もそうだけど、病院にいい思い出はない。朝の検温から始まって、抑揚のない一日が過ぎ、早い夕食が終わるとあっという間に消灯時間になってしまう。横たわって天井を見るしかない病人に長い長い夜が始まる。夏であろうと冬であろうと一定の温度に管理された空調と白い壁に閉ざされた病院に季節はない。暗い蛍光灯に照らしだされた廊下の果てには真っ暗な夜が嵌めこまれた窓がある。外へ出てゆくのも儘ならぬ身体で歩いてゆけば廊下は岬のように夜に突き出してゆくのかもしれぬ。季語のないこの句には「病院」が抱える時間と空間が濃密に感じられる。日常の世界と違う病院の内部を貫く廊下の延長線上に岬を想う感覚の鋭さが病院にいる不安と孤独を際立たせるのだ。『澤好摩句集』(2009)所収。(三宅やよい)


November 04112010

 怖い漫画朝の蒲団の中にあり

                           小久保佳世子

のむかし楳図かずおの「蛇女」やつのだじろうの「うしろの百太郎」が怖かった。漫画の中の怖いシーンが頭に浮かぶとトイレに行くのも腰が引けて、ガラス戸にうつる自分に驚く情けないありさまだった。部屋の隅に誰かがいそうな気がして蒲団にもぐり込むのに、その中に怖い漫画があったらますます逃げ場がなくなりそうだ。冬の蒲団は暖かくて、包まれていると何ともいえない安心感があるが、怖い漫画があるだけで冷え切ったものになりそう。それにしても、なぜ「朝の蒲団」なのだろう。夜読むのが恐いから朝方読んでいたということだろうか?お化けと言えば夏だけど、「怖い漫画」と蒲団の取り合わせに遥かむかしに忘れてしまった出来事をまざまざと思い出した。しかし、そんなことが俳句になるなんて! 恐れ入りました。『アングル』(2010)所収。(三宅やよい)


November 11112010

 前山を見る寄鍋のうれしさで

                           栗林千津

本気象協会によると「鍋指数」というものがあり、空気が乾き寒くなるほど鍋指数は上がるという。これから鍋のお世話になる夜が増えるだろう。この頃はキムチ鍋からトマト鍋、豆乳鍋など様々なスープがスーパーの棚に並んでいる。寄鍋は昔ながらの定番メニューだけど、鍋を前にしたうれしさが、どうして山を見る心の弾みにつながるのだろう。鍋は覗き込むものだから、掲句の場合高い場所から山々を見下ろしているのかもしれない。山は一つではなくいくつか峰が連なっていて、山あり谷ありぎゅっと押し合いながら眼前に広がる様子が寄鍋らしくていいかもしれない。ただ単に「前山」という山を指しているのかもしれないが、山を見る嬉しさが。寄鍋を囲む楽しさや健康な食欲にすっと結びつくところがこの句の面白さだと思う。『栗林千津句集』(1992)所収。(三宅やよい)


November 18112010

 熊穴に入る頃か朱肉の真っ赤なり

                           笠井亞子

も穴籠りする季節になったが、その前の餌を求めて人の住むところまで降りてくるニュース後を絶たない。猛暑でどんぐりが少ないことが原因と言うが、山の近くに住んでいる人達は気が気でないだろう。東京でも奥多摩や秩父では熊と鉢合わせするかもしれず、リュックに熊よけの鈴をつけて歩いている登山者を多く見かけた。印鑑を押す時に使う朱肉は「朱と油を練り合わせ艾(もぐさ)やその他の繊維質のものに混ぜ合わせて作る。」と広辞苑にある。考えてみれば「朱肉」とは不思議な言葉だ。黒のプラスチックケースの蓋をあけるとパカッと真っ赤な朱肉が収まっている。その色の組み合わせにふっと冬籠りする熊に思いが及んだのか。ツキノワグマがくわっと開けた口の赤さは朱肉の赤さ以上に際立つことだろう。人と熊の不幸な接近を思えば「真っ赤なり」の言葉が暗示的でもある。『東京猫柳』(2008)所収。(三宅やよい)


November 25112010

 偵察衛星大根が煮くずれる

                           櫻木美保子

近、探査機「はやぶさ」が小惑星に着陸し採集した物質を持ち帰り話題になった。掲句では煮くずれる「大根」と「偵察衛星」という摩訶不思議な取り合わせだけど、その飛躍の大きさに何となく惹かれる。なぜ作者は煮くずれる大根を見て偵察衛星に考えがいたったのだろう。「偵察衛星」だから「はやぶさ」のように未知の世界に出かけるのではなく、地球の周りを回りながら、こっそりとある場所の映像を送り続けているのだろう。その地表のイメージを煮崩れる大根に重ねているのか。作者の胸の内は想像するしかないけど、大根をことこと煮込む時間と地球を廻り続ける衛星の単調な時間が重なりあったのだろう。台所にある日常が不穏さを持った別の世界へ引き延ばされる感じがする。『だんだん』(2010)所収。(三宅やよい)


December 02122010

 わが家の二階に上る冬の旅

                           高橋 龍

ばしば雨戸で閉ざされた二階を見かけることがある。夜になると一部屋に灯りがともるので誰かが暮らしていることはわかるが、家族が減り二階へ上がることもなくなっているのだろう。掲句はシューベルトの歌曲『冬の旅』が踏まえられているように思う。『冬の旅』は失意の青年がさすらう孤独な旅がテーマだが、その響きには灰色に塗り込められた暗いイメージが漂う。遠くへ行かなくとも我が家の二階に上るのに寒々とした旅を感じるのは、そこが日々の暮らしからは遠い場所になっているからではないか。小さい頃人気のない二階にあがるのは昼でも怖かったけれど、家族がいれば平気だった。そう思えば誰も住まない二階では障子や机も人の生気に触れられることなく冬枯れてしまうのかもしれない。『異論』(2010)所収。(三宅やよい)


December 09122010

 とつくりセーター白き成人映画かな

                           近 恵

前、襟が高く立ったセーターを「とっくり」と呼んだらタートルネックとかハイネックって言うんだよと、娘にやり込められた。むかし祖母が女学校と言うと遥か昔を感じさせたように、「とっくり」もある年代以上でないとこの言葉が醸し出す雰囲気は通じないかもしれぬ。掲句は映画のワンシーンだろうか、きっちりと襟元の詰まったとっくりセーターの白が女性の初々しさを強調している。日活ロマンポルノなどが一世を風靡していた時代、青年達はちらちら回りの様子を伺いながら背をかがめて暗い劇場に入ったことだろう。今や「成人映画」はアダルトサイトやレンタルビデオにとって代わられたのか、街でもあまり看板を見かけない。そう思えば「とっくりセーター」同様「成人映画」も過ぎ去った言葉なのだろう。そんな二つの言葉を効果的に用いてある時代の雰囲気をまざまざと再現している。『きざし』(炎環新鋭叢書シリーズ5)(2010)所載。(三宅やよい)


December 16122010

 ふるさとの母には猫のお取り巻き

                           内田真理子

節を表す言葉はないが、陽のあたる縁側に何匹もの猫に取り囲まれているおばあさんの姿が思い浮かぶ。家族は遠い町へ出て行ってしまって一人でくらしているけれど、畑で採れた白菜を干したり、枯葉を掃いて焚火をしたりしているとうちの猫やら近所の猫やらが足元にすりよってくる。そんな猫たちはふるさとの母親になくてはならないお友達であり、家族なのだろう。「取り巻き」と言えば力のある人にコバンザメのようにすりよってゴマをする、あまりいい意味にはつかわれない。だけどそれが猫で、しかも「お」を付けたもったいぶった言い方が猫たちと母のほのぼのとした関係を想像させる。作者は柳人。「ともだちになれると思うなつめの木」「歳月を馬に曳かせて油売り」『ゆくりなく』(2010)所収。(三宅やよい)


December 23122010

 鬱という闇に星撒く手のあらば

                           四ッ谷龍

ら命を断つ人は10数年連続で年間3万人を超えるという。朝夕の通勤途上、人身事故での電車の遅延は日常の一部となり、その慣れがおのれの感受性を摩滅させてゆくようで恐ろしい。子供からおとなの世界にまで蔓延する「うつ」は正体不明の「もののけ」のようなもので、その閉塞感が暗雲のごとく現代社会全体を覆っている。と、宗教学者の山折哲雄がどこかに書いていた。掲句の「鬱」も行きどころをなくして淀み、人を不安に陥れてゆく闇。つなぐ手を失ったまま個々に切り離された生き難い世の中に「星撒く手」という後半部の願いが眩しく感じられる。まことに生きる希望を撒いてゆくそんな手があるならばどれだけ救われるだろう。闇に閉ざされた人を救うのは人の結びつき以外にはなく、手を差し伸べる優しさ以外ない。今ほどその煌めきが恋しい時代はないのではないか。句にこめられた切実な思いが心に響く。『大いなる項目』(2010)所収。(三宅やよい)


December 30122010

 明日より新年山頭火はゐるか

                           宮本佳世乃

年も余すところ一日となった。明日は朝から掃除、午後はおせち料理に頭を悩ませ、夜は近所の神社へ初詣に出かけることにしよう。平凡だけど毎年変わらぬやり方で年を迎えられるのを幸せに思う。それにしてもこの句「明日より新年」というフレーズに「山頭火はゐるか」と不思議な問いかけが続く。山頭火は放浪の人だからせわしない大晦日も、一人酒を飲んで過ごしていたかもしれない。だとすると家族と過ごす大晦日や正月に縁のない孤独な心が山頭火を探しているのだろうか。そんな寂しさと同時に「さて、どちらへ行かう風がふく」と常にここではない場所をさすらっていた山頭火のあてどない自由が「明日より新年」という不安を含んだ明るさに似つかわしく思える。『きざし』(2010)所収。(三宅やよい)




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