Nj句

July 0572010

 吊革の誰彼の目の遠花火

                           相子智恵

めを辞めてから一年が経った。ほとんど電車には乗らなくなった。たまに乗ると、あまり混んでいなくてもひどく疲れる。バスにはよく乗るけれど、こちらはそんなに疲れない。何故かと考えてみるに、バスの乗客はほとんどが同じ地域に暮らす人々なので、なんとなく親近感を持てるからではないかと思う。比べて電車の乗客にはそういうことがない。つまり、電車の乗客のほうが匿名性が高いのである。その匿名性の圧力に疲れてしまうのだ。句のような帰宅客を乗せた車内では、一日の肉体的な疲れもあるのでなおさらだろう。みんなが、早く自分の駅に着かないかと、それだけを願っている。そんな乗客の目に、遠花火が写り込んできた。「誰彼」と言わず、みんなが吊革につかまりながらそちらをいっせいに見やっている。ほんの束の間だけれども、このときに匿名性が少し緩む。ばらばらの思いや感情が、花火を通してすうっと一体になるような……。思わずも口元がほころびそうになるような短い時間を巧みにとらえた句だと読んだ。「俳句」(2010年7月号)所載。(清水哲男)


July 1272010

 梅丁寧に干し晩年と思ひけり

                           関 芳子

人はもとより、誰にもその人の「晩年」はわからない。晩年とは、その人の死後に生き残った人たちがその人のある年月を定義する言葉である。だから句の「晩年」は言葉遣いとしてはおかしいのだが、しかし主観的には死の間近さをこのように感じることはありそうだ。毎年くりかえして同じように梅を干してきたが、気がつけば今年はずいぶんと丁寧に干したのだった。このようないわばルーティンワークに、半ば無意識にせよ特別な気遣いをしたということは、死がそう遠くはないからなのかもしれない。そうでなければ、梅のひとつぶひとつぶをいとおしむような行為が自然にわいてくるはずもない。作者はそう思い、わがことでありながらあえて「晩年」という言葉を使った。この心理は若い人にはわかるまいが、高齢者には多かれ少なかれ普通についてまわるものだ。むろん、私とて例外ではない。性来がずぼらなのに、ときどきこれではいけないと何かをやり直したりするようになった。「晩年」と結びつけたくはないけれど、そうなのかもしれない。いずれにしても、年を取ってくると、これまでになかったような行為に我知らずに出ることがあるのは間違いないようだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


July 1972010

 半世紀前の科学誌毒茸

                           中村昭義

語は「茸(きのこ)」で秋。だが、この句は限りなく無季に近い。句の力点は、あくまでも「半世紀前の科学誌」にあるからだ。戸棚や物置の整理をしていて、子供時代に読んだ科学雑誌が出てきたのだろう。懐かしくてページを繰っていたら、たまたま毒茸の詳しい解説記事に目が止まった。写真やイラストの図解もあって、当時怖いと思いながらも熱心に見つめた記憶がよみがえってきた。誰でもそうだろうが、このように古雑誌や古新聞を眺めているうちに思いがたどり着くのは、記事そのものにまつわる事柄よりも、当時の自分のことや生活のことだ。いまは疎遠になっている友人のことや亡くなった人たちのことだったりもするのである。だから無季句に近いというわけで、熱心に接した媒体であればあるほど、その濃度は高い。句を読んで私などが思い出すのは「子供の科学」だ。田舎にいたのでめったに読む機会はなかったけれど、学校の理科の授業よりも数段面白かった。「縦に割けるキノコは食べられる」「毒キノコは色が派手で、地味な色で匂いの良いキノコは食べられる」などは迷信だ。などと書かれてあって、得意げに友人たちに触れ回ったこともある。作者の「科学誌」とは何だろうか。句に触発されて、いろいろなことが思い出され、しんみりとした良い時間が持てた。『神の意志』(2010)所収。(清水哲男)


July 2672010

 カレー喰ふ夏の眼をみひらきつ

                           涌井紀夫

さには熱さと辛さで対抗だ。冷房など効いていない自宅か海の家みたいなところでか、「喰ふ」というのだから、作者の健啖ぶりが強く示されている。何度も意識的に「眼をみひらか」ないでおくと、汗が瞼を伝って目に流れ込んできてしまう。たぶんに心理的な要素がからんではいるけれど、誰にも覚えはあるだろう。こうした何でもないような身体の動きをとらえて、暑い時間にカレーを喰らう男の元気な様子を描出すると同時に、周囲の夏真っ盛りの情景までをも読者に想起させている。なかなかに巧みな「味」のある作品だ。作者の涌井紀夫は、最高裁判事として在職中の昨年暮れに、病に冒され亡くなった。煙草はまったく喫わなかったようだが、肺癌に倒れた。享年六十七。私とは少し縁があって、1960年の京大俳句会で束の間一緒だったことがある。端正な若き日の面差しを覚えている。合掌。俳誌「翔臨」(第68号・2010年6月)所載。(清水哲男)


August 0282010

 三伏の白粥に芯ありにけり

                           小野恵美子

語「三伏(さんぷく)」は中国の陰陽五行説に由来する。詳しいことは歳時記などで調べていただきたいが、要するに、夏の暑い盛りの時期(新暦では七月中旬から八月上旬あたり)を言い、「拝啓、三伏の候」などと暑中見舞に使ったりしてきた。句の作者は、このの暑いさなかに病を得ている。食欲もあまりないのだけれど、体力をつけるために何かを食べておかなければならない。そこで粥(かゆ)を炊いてもらって食べたのだが、いささか出来損なっていて芯があったと言うのである。それだけの句だけれど、この句に隠れているのは粥を炊いた人の心持ちで、あまりの暑さに十分に火を使うことをせず、つい調理がぞんざいになってしまった。つまり、病人食にも手抜きをしてしまうほど暑い日ということで、句の作者にも作ってくれた人の気持ちはわかっている。だからそのことに怒るというよりも、むしろ何もかもがどうにもならない暑さのせいだと嘆息しているのである。暑いさなかの熱い粥。それを食べなければならない情けなさには、私にも覚えがある。まだまだ暑い日がつづきます。御身お大切に。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


August 0982010

 ダリの絵のごとき街なり残暑なほ

                           熊岡俊子

秋を過ぎても暑いのは例年のことながら、今年の暑さは格別だ。異常と言うべきだろう。だからなるべく外出を控えているが、父の病気のこともあり、いつもの年よりも出かける機会はむしろ多いのかもしれない。自宅近くのバス停まで五分ほど歩くと、もう汗だく。目に汗が流れ込んだりして、あえぎあえぎ目的地まで……。そんな具合だから、ダリの絵を持ち出した掲句の比喩はよくわかります。ダリの絵の、あの物体が解けて滴っているような奇妙な描写が現実味を帯びてくるのです。最近炎暑の街中でこの句を思い出して、なるほどと大いにうなずいたことでしたが、一方で自分の身体も溶けてゆき、どんどん暑さが身にこたえてくるようでまいりました。知らなければよかった佳句ということになるのでしょう(苦笑)。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


August 1682010

 還暦の子がパソコンの夏期講座

                           有保喜久子

齢化社会を象徴しているような句だ。親の還暦を詠んだ句ならいくらでもありそうだが、子の還暦を題材にした句にははじめて出会った。考えてみれば、いまの女性の平均寿命は九十歳に近いのだから、こういう句があっても不思議ではない理屈だ。他ならぬ私の母も九十二歳なので、子供の還暦どころか古稀にも立ち会ったことになる。そのうちに、親が子供の還暦や古稀を祝うことすら普通になってくるのかもしれない。昔からよく言われてきたことだが、いくつになっても子供は子供……。この句には、そんな親の気持ちが前面に出ている。子供が小さかった頃に夏期講習会に出かけていくのを見守ったまなざしが、六十歳になった子供にもそっくりそのまま向けられていて微笑ましい。いくつになっても、子供の向上心は親には健気と写り、また頼もしく思えるのである。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


August 2382010

 校歌まだ歌えるふしぎ秋夕焼

                           渡邊禎子

れからの季節。大気が澄んでくるので、夕焼けもいっそう美しくなってくる。眺める気持ちも爽やかなので、作者は思わず歌をくちずさんでいたのだろう。いわゆる鼻歌に近い歌い方だ。しかし、気がつけばそれは何故か校歌だった。作者の年齢はわからないけれど、若い人ではないはずだ。もうずいぶん昔に習い覚えた校歌が、どうして自然に口をついて出てきたのだろうか。大人になってからは、ほとんど忘れていた歌である。「本当にふしぎだなあ」と、作者は首をかしげている。それだけの句だが、作者の気持ちの澄んだ爽やかさがよく伝わってくる。誰にでも起きることなのだろうが、気分の良いときに不意に出てくるメロディーや歌詞は、たしかに思いがけないものであることが多いようだ。このあたりの精神作用は、どこか心の深いところで必然性につながっているとも思うのだけれど、よくわからない。そう言えば、若い頃に「鼻歌論」をどこかに書いた記憶がある。何をどう書いたのか。この句を読んだときに思い出そうとしたが、手がかりがなくて思い出せなかったのは残念だ。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)


August 3082010

 動物園の汽車ではじまる流離の秋

                           境田静代

い子供といっしょに、動物園の汽車に乗ったのだろう。まだ秋とは名ばかりの暑い日盛りのなかだ。乗っている子供たちはみな無邪気な歓声をあげたりしていて、騒々しくもほほ笑ましい。ガタゴトと揺られている作者の目には、それでも園内に注ぐ日差しに、どことなく真夏のころとは違った趣が感じられ、本格的な秋も遠くはないことを告げられているように写ってくる。やがて、徐々に寂しい季節がやってくるのだ。これを作者は「流離の秋」と表現することにより、季節と人生双方の比喩としたのである。こんなにも楽しい時期はやがて過ぎ去ってしまい、さすらいにも似た困難で長い時間が私たちのところにも訪れてくるのだろう。類想句は探せばありそうだが、動物園の汽車から季節のうつろいを想い人生の行く手を想ったところに、作者のセンスの良さが光っている。さらば、夏の光りよ。そんな感じのほど良いセンチメンタリズムが心地よい。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


September 0692010

 落蝉に一枚の空ありしかな

                           落合水尾

生句ではない。作者の眼前には、落蝉もなければ空もない。「ありしかな」だから回想句かとも思われるが、それとも違う。小さな命の死と悠久の空一枚。現実の光景をデフォルメすれば、このような景色は存在するとも言えるけれど、作者の意図はおそらくそうした現実描写にはないだろう。強いて言えば、作者が訴えているのは、命のはかなさなどということを越えた「虚無」の世界そのもの提出ではなかろうか。感傷だとか慈しみだとか、そういった人情の揺らぎを越えて、この世界は厳然と展開し存在し動かせないものだと、作者は言いたいのだと思う。このニヒリズムを避けて通れる命はないし、そのことをいまさら嘆いてみても何もはじまらないのだ。私たちの生きている世界を何度でもここに立ち戻って認識し検証し、そのことから何事かを出発させるべきなのだ……。妙な言い方をするようだが、この句は老境に入りつつある作者の人生スローガンのようだと読んだ。『日々』(2010)所収。(清水哲男)


September 1392010

 椎茸を炙っただけの夫婦かな

                           塩見恵介

卓の様子は、家庭ごとにかなり異なる。日頃は自分の家のそれはごく普通だと思っているけれど、たまに気の置けない他家を訪れたりすると、そのことがよくわかる。だから、どんな家での日常的な食卓のレポートでも、そのままその家の家族のありようや流儀などを鮮やかに告げてくれる。テレビドラマで食卓のシーンが多いのも、そのせいだろう。あれこれ説明するよりも、食卓さえ写しておけばかなりのことがわかるからである。掲句も同様で、炙っただけの椎茸という料理とも言えない料理を前にして、べつだん気にしている様子もない夫婦の姿だ。良い夫婦像かどうかなどということは読み手の判断にまかされているが、作者はそんなことよりも、あらためてこの食卓を見つめてみることにより、自分たち夫婦の関係が理解できたと思っているわけだ。新婚時の祝祭のような料理から炙っただけの椎茸に至るまでの短くはない夫婦の歴史が、皿の上の数片の椎茸によって一撃で語られているのである。俳誌「船団」(第86号・2010年9月刊)所載。(清水哲男)


September 2092010

 敬老の日のどの席に座らうか

                           吉田松籟

をとるまでは気がつかなかったが、世の中にはあちこちに高齢者のための配慮が見られる。運動会などでも敬老席があったりする。なかでいちばんポピュラーなのは電車やバスのシルバー・シートだろう。句の作者がどういう場所にいるのかはわからないけれど、どこにいるにせよ、こういう戸惑いの気持ちは理解できる。還暦を過ぎたころからはじまる戸惑いである。それくらいの年齢になると、自分では若いと思っていても、客観的にはどう見えるのかがよくわからない。わからないから、いつも「どの席に座らうか」と迷ってしまう。電車に乗ってもシルバー・シートに座るべきなのか、それとも一般席に座ればよいのかと、余計な心配をする羽目になる。一般席に座ればその分だけ若い人の席が減るわけだし、かといってシルバーに坐るのは図々しく思われるかもしれない。このようになんとも悩ましい期間が、誰にも数年はつづくのだ。そんな年齢の心情をさらりと巧くとらえている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 2792010

 日本がすつぽり入る秋の暮

                           後藤信雄

の句に抒情を感じるか否か。それは読者の年代によって分かれるところだろう。言っていることは、たとえば『百人一首』にある「寂しさに宿を立ち出でて眺むればいづこも同じ秋の夕暮」(良暹法師)に通じている。「日本中いずこも」秋の夕暮なのである。ただ両者が決定的に異なるのは、夕暮を眺める視点である。良暹法師は水平的に見ており、句の作者は俯瞰的に見ている。俯瞰的に景色などを眺める感覚は、この一世紀くらいの間に目覚ましく開発されてきた。言うまでもなく、それは人間の俯瞰能力や想像力が飛行機の発達や衛星の登場によって進化してきたからだ。飛行機のなかった時代の人は、せいぜいが鳥の目を想像するくらいでしかなかったけれど、今では「地球は青かった」と誰もが言える時代である。とはいえ、青い地球を理屈としてではなくそのまま自分の感性に取りこむ能力は、私などよりもずっと若い世代に属しているのだと思う。だから、そんな若い読者がこの句に良暹法師のような抒情を感じたとしても不思議ではない。作者の意図はどうであれ、この句をまず理屈として受けとってしまう世代の感性の限界を、少なくとも私は感じてしまった。『冬木町』(2010)所収。(清水哲男)


October 04102010

 寝ころべば鳥の腹みえ秋の風

                           大木あまり

の発見は単純だが新鮮だ。もちろん、寝ころばなくても鳥の腹は見える。いや、鳥は人間の目の位置よりも高いところを飛ぶので、いつだって私たちには鳥の腹が見えている。……というのは、しかし実は理屈なのであって、普通に立って鳥の飛ぶさまを見ているときには、私たちには鳥の腹は見えているのだが見てはいない。あらかじめ鳥の形状は知識として頭に入っているので、実際には見えていなくても、よくは見えない頭や尾や翼の形を補完して全体像を見ているような錯覚にとらわれているからだ。そういうふうに、私たちの視覚はできている。だが、寝ころんで鳥を真下から見上げてみると、さすがにいやでも腹がいちばんよく見える部分になるために、補完作業は後退してしまう。そのことをすっと書き留めたところが、作者の手柄である。爽やかな秋風の吹く野にある解放感が、この発見によってそれこそ補完されている。昨日の松下育男の言葉を借りれば、「創作というのは、多くの解説によって複雑に説明されるものがよいとも限らないのだなと、この句を読んでいると改めて認識させられ」ることになった。『星涼』(2010)所収。(清水哲男)


October 11102010

 決められた席よりみたる芒かな

                           櫻井ゆか

者は京都在住だから、日本庭園のある料亭での会合の席でのことだろうか。いささか格式ばった会なので、あらかじめ座る席は決められていたのだろう。たぶん、庭園に正対する席ではない。庭を拝見するためには、少し首を曲げねばならないくらいの位置だ。そこからそうやって庭を眺めていると、見事な芒(すすき)が風に揺れていた。けれども、作者の位置からでは芒全体の姿を見ることはできなかったようだ。そんな中途半端な見え方ではあったが、何かにつけてその折の芒の印象が鮮やかによみがえってくるというのである。人の記憶というのは面白いもので、必ずしもよく見えたものや聞こえたものを鮮明に覚えているとは限らない。むしろ部分的にとか中途半端に見たり聞いたりしたものが鮮明に思い出されることがある。そのような記憶の不思議なメカニズムを、この句はさりげなく提出している。一見なんでもないような句だけれど、なかなかに感性の鋭い作品だと受け取れた。『いつまでも』(2010)所収。(清水哲男)


October 18102010

 芋茎みな捨ててあるなり貸農園

                           吉武靖子

会の貸農園が人気だ。自治体などが貸し出すと、あっという間に借り手が殺到するという。趣味で作物を育てるのは、職業としての農業とは違って楽しいのだろうな。もっとも農家の子供だった私には、趣味といえどもきちんと育てるには、たいへんな作業があることを知っているので、借りる気になったことは一度もない。作者の心持ちは「ああ、もったいない。食べられるのに……。知らないのだろうか」といったところだろう。でも、里芋の葉柄である芋茎(ずいき)は、食べてそんなに美味いものじゃないというのが私の記憶。いまどきの都会人で口に合う人が、そんなにいるとも思えない。だから捨ててしまうのだと私などは思ってしまうが、おそらくかつての食糧難を体験したのであろう作者には、そうは考えられないのである。いずれにしても、畑の片隅に積み上げられた芋茎の姿は汚いし、無惨といえば無惨だ。が、無惨もときには風物詩になるということ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


October 25102010

 柳散る銀座もここら灯を細く

                           山田弘子

十代はじめのころ、友人と制作会社を設立して銀座に事務所を構えた。いまアップル・ストアのあるメイン・ストリートのちょうど裏側あたりのおんぼろビルの三階だった。素人商売の哀しさ、この会社は仕事の幅を広げすぎ狡猾な奴らに食い物にされたあげく、たちまち倒産してしまった。手形を落とすためのわずかな金を毎日のように工面し、私が雑誌などに書いた文章のささやかな原稿料までをつぎこんだのだが、貧すれば鈍するでうまく行かなかった。だから、銀座には良い思い出はあまりない。だから、こういう句には弱い。しんみりとしてしまう。いまでもそうだが、銀座で灯がきらきらしているのは表通りだけで、一本裏道に入ると灯はぐんと細くなる。そんな街に名物の柳がほろりほろりと散るさまは、まるで歌謡曲の情緒にも似て物悲しいものだ。私が通っていたころは、毎晩おでんの屋台も出てたっけ。客は主にキャバレーの女の子たち。顔見知りになって「そのうち店に行くからね」と言うのは口だけで、事務所の隣にあった大衆的な「白いバラ」にも行ったことはなかった。いや、行けなかった。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


November 01112010

 蓑虫を無職と思う黙礼す

                           金原まさ子

るほどねえ。言われてみれば、蓑虫に職業があるとは思えない。どこからこういう発想が出てくるのか。作者の頭の中をのぞいてみたい気がする。でも、ここまでで感心してはいけない。このユニークな発想につけた下五の、これまたユニークなこと。黙礼するのはべつに神々しいからとかご苦労さまだとかの思いからではなく、なんとなく頭が下がったということだろう。行為としてはいささか突飛なのだが、しかしそれを読者は無理なく自然に納得できてしまうから不思議だ。そしてわいてくるのは、諧謔味というよりもペーソスを含んだ微笑のような感情だ。企んだ句ではあるとしても、企みにつきまといがちなアクの強さを感じさせないところに、作者の才質を感じる。金原さんは九十九歳だそうだが、既成の情緒などとは無縁なところがまた素晴らしい。脱帽ものである。「したしたしたした白菊へ神の尿」「片仮名でススキと書けばイタチ来て」『遊戯の家』(2010)所収。(清水哲男)


November 08112010

 いちにちが障子に隙間なく過ぎぬ

                           八田木枯

者は八十代半ば。寒い日だったのか、一日中外出もせずに部屋に閉じこもっていたのだろう。時間の経過を感じるのは、ただ障子を隔てた外光の移り行きによってである。日中は日差しがあたり、木などの影も写る。それがだんだんと淡くなって薄墨色に溶けてゆき、やがて暗くなってきた。作者はべつだん意識して障子を見つめていたわけではないのだけれど、そんな一日をふり返ってみれば、目の端の障子が雄弁に時の経過を物語っていたことを知るのである。まさに時が「隙間なく」流れていることを、障子一枚で表現したところに、この句の新鮮な味わいがある。しかも作者が、この句に何の感慨もこめていないところが、かえって刺激的だ。無為の一日を惜しむ気持ちも、逆に過ぎ去った時間を突き放すような韜晦の気持ちが生れているわけでもない。作者に比べれば若造でしかない私にも、老人特有のこの淡々とした心の動きはわかるような気がする。なお「隙間なく」の「間」は、原文では門構えに「月」の字が使われている。『鏡騒(かがみざい)』(2010)所収。(清水哲男)


November 15112010

 均一の古書を漁りて風邪心地

                           遠藤若狭男

んとなく風邪を引いたような感じ。気分のよいものではない。いまの私がちょうどそんな状態にあるので、作者の心持ちがよくわかるような気がする。いつもの元気を欠いているので、古書店の前を通りかかっても、店の奥に入っていく気力がない。どんな店でもどこかで消費者を刺激するようにできているので、ふだんは地味な感じのする古書店ですらも、入るのには実はなかなかに体力を要するものなのだ。身体が弱ると、そのことが実感的によくわかる。だから、作者は店の前の百円か二百円均一のコーナーにぼんやりと目を配っている。べつに掘り出し物を発見しようという意欲も湧いてはこない。もう立ち止まったときから、何も買わないで離れていく自分がいるのだ。それでも一応背表紙くらいは読んでみる。読んでみるが、手に取るところまではいかない。そんな心持ちを書きとめている。なんということもない句だけれど、そのなんということもないところを書くのも、俳句ならではの表現と言えるだろう。『去来』(2010)所収。(清水哲男)


November 22112010

 オリオンや眼鏡のそばに人眠る

                           山口優夢

リオンは冬になると際立つ星座だから、季語「冬の星」に分類する。何の変哲もない情景を詠んでいるのだが、構図の取り方の巧みさが、情景に深い感情を添えている。単に枕元あたりに眼鏡を置いて眠っている人の様子なのだが、掲句では眼鏡をクローズアップすることによって、寝ている人がいかにも小さく思われるし、そのちっぽけな存在が天空のオリオン座に照らしてますます小さく見えてくる。そして、この存在の小ささが、この人へのいとおしさを呼び覚まし、ひいては人間存在一般へのそれを思わせてくれる。三好達治の二行詩「雪」(太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ……)に通じる世界と言ってよかろうが、三好よりも構図にひねりを効かせたところが作者の発見であり、その才能の並みでないところでもあるだろう。構図取りにあまり凝りすぎるとあざとくなりがちなものだけれど、それを少しも感じさせないさりげない詠み方に好感を持った。「週刊俳句」(2010年11月21日付)所載。(清水哲男)


November 29112010

 母すこやか寒の厨に味噌の樽

                           吉田汀史

違っているかもしれないが、まだ作者の母親が元気だった頃の回想句だろう。と言うのも、このところ私の母が歩行困難になり、ヘルパーの手を借りて生活している(現在は心不全で入院中)ので、そう思ったわけだ。ふだんは気がつきもしないのだが、専業主婦である母親の健康のバロメーターは、句のように厨(台所)の状態に表れることにいまさらのように気がついたからである。母が使わなくなった台所の様子は、食器や調味料の類いに至るまでの置き場所一つにしても、どことなく違って見える。同じような配置にはなっているが、やはり母とは微妙に物の向きが異なっていたりするので、すぐに他人の手の働いた跡が感じ取れてしまう。作者はおそらくそんな体験を経た後に、味噌の樽一つの置き場所とそのたたずまいの変化の無さが、実は母親の元気な証拠であったことを発見しているのだ。寒中の味噌の樽は、見た目には当然寒々しい。が、この句のそれは、ちっとも寒々しくもないし冷え冷えともしていない。「母すこやか」の魔法が効いているのだ。『季語別 吉田汀史句集』(2010)所載。(清水哲男)


December 06122010

 老人のかたちになつて水洟かむ

                           八田木枯

者八十代の句。身に沁みるなあ。若い読者からすれば「それがどうしたの」くらいの感想しか浮かばないかもしれない。しかし、老いを自覚した人間にとっては、はっとさせられるような句なのだ。水洟(みずばな)をかんでいるのは、他人ではなく作者当人である。背を丸くして、さほどの勢いもないかみ方である。誰でもそうだろうが、こういう「老人のかたち」はなかなか自覚しにくいものなのだ。周囲の目からはともかく、自分の老いを認めたくない意識も働くので、当人は自分がいかにも老人らしくふるまっていることにはなかなか気づかない。けれども何かの動作の折に、おやっという感じで気づくときが来る。「オレもトシだなあ」と「かたち」として自覚させられる。いったんそういうことに気がつくと、あとはいわば芋づる式に「そういえば…」と、生活のさまざまな場面での老いの「かたち」に気がついていくことになる。最初のうちこそなにがしかの悲哀感も伴うけれど、だんだんその「かたち」を受容し容認し、是認していく。このときに自分はまったき老人になったわけで、若い頃とは異なる所作にもどこか苦笑いのような感情とともに対応できていく。掲句は、そうした老いの機微を捉えたものだ。だから、最近の私などにはことさらに身に沁みるのである。『鏡騒』(2010)所収。(清水哲男)


December 13122010

 冬うらら隣の墓が寄りかかる

                           鳴戸奈菜

るで電車の座席で隣りの人が寄りかかってくるように、墓が寄りかかっている。実景であれ想像であれ、作者はその光景に微笑している。微笑を浮かべているのは、なんとなく滑稽だからという理由からではないだろう。このとき作者はほとんど寄りかかられた側の墓の心持ちになっていて、死んでもなお他人に寄りかかってくる人のありようを邪魔だとか迷惑だとかと思わずに、許しているからだと思われる。この心境は同じ句集のなかにある「冬紅葉愛を信ずるほど老いし」に通じており、老いとともに現れる特有のそれである。若ければ寄りかかってきた人を無神経だとかガサツだとかと撥ね除けたくなるのに、老いはむしろそれを許しはじめる。なにはともあれ、そんな迷惑行為ができるのも生きているからなのだと、生命の側からの思いが強くなるからなのである。それがまた、掲句では相手の墓の主は死んでまで寄りかかってきた。それを、どうして迷惑なんぞと振り払うことができようか。うららかな冬晴れのなかで、作者はしみじみと「愛」を信ずる情感に浸っている。『露景色』(2010)所収。(清水哲男)


December 20122010

 どつちみち妻が長生きふぐ白子

                           西村浩風

ぐ(河豚)には「てっぽう」の異名がある。「あたると死ぬ」からだ。毎年冬になると、ふぐの毒にあたった人の記事が新聞に乗る。運が悪いと落命する人もいるけれど、最近はずいぶん少なくなってきた。それでも、いざふぐを食べるとなると、ほとんどの人は内心で身構える。中毒で死にたくないわけだが、それなら食べなければよいのにというのは不人情な理屈であって、やはり美味いものは食べておきたいのが人情である。だから掲句のように、いちおう言い訳をしてから食べることになる。食べなくたって、人はいずれ死ぬ。それもたとえ長生きしたところで、どっちみち妻よりも先に死ぬ宿命だ。だったらいま、このふぐにあたって死ぬにしても同じことではないか。などと、自分に言い訳しながら食べるのである。この句の面白さは、よく考えてみれば理屈にも何もなっていない理屈で自己説得しているところだ。これもまた人情のうち。これだから、人間は面白い。もう少し言えば、人間には他愛無くも可愛いらしいところがある。『円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


December 27122010

 損料の史記を師走の蛍かな

                           宝井其角

角とほぼ同世代の俳人・青木春澄に「いそがしや師走もしらず暮にけり」がある。あまりに忙しくて師走であることにも気づかないうちに暮れてしまったというのだから、ただならぬ忙しさだ。私の知る限り、師走の多忙ぶりを詠んだ句のなかでは、これがナンバー・ワンである。誇張はあるけれど、昔からとにかくこのように師走は忙しいのだ。いや、いまの私のようにそんなに忙しくはなくても、世間の多忙の風に巻き込まれてしまい、やはり慌ただしい気分で過ごしている。ところが掲句では、さすがに拗ね者の作者らしく、この慌ただしい時期に悠然と『史記』など読んでいる。「損料」はいまでも使われている経済用語で「衣服・道具などを借りたとき,使用料として支払う金銭」のことだから、この場合は貸本屋に払った賃貸料だ。忙しい世間をせせら笑うように、金を払ってまで読書しているのである。前書きに「雪窓」とあるから、外は雪だ。それを「外の雪」などとせずに、「師走の蛍」としたところが其角の手柄だろう。「雪」から「蛍」への連想は、むろん例の「蛍雪の功」の故事に依っている。つまり、借りてきた本が冬の窓に蛍を呼び寄せたわけだ。想像してみると、このイメージは実に美しいではないか。これこそ並々ならぬ風流心の産物という気がする。この忙しい時期に、ゆったりとした読書は不可能だとしても、たまにこの句を思い出してみるのは精神衛生上よさそうである。其角自選『五元集』(1747)所収。(清水哲男)




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