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July 0672010

 街で逢ふ産月らしき白日傘

                           小澤利子

ろそろ日差しも真夏を感じさせるほどの強烈さに。産月(うみづき)は臨月と同様、出産する予定の月をいう。出産を間近に控えた大きなお腹を抱えた女性が、白日傘をさしているという掲句。今や日焼けを嫌う女性にとって日傘は四季を通して使われているが、盛夏に大きなお腹の女性を思えばそれだけで「いやはやご苦労さまです」と、ねぎらいたくなる。白日傘は自分だけに傾けているのではなく、もうすぐこの世に誕生する小さな命にも「今日も暑いね」と語りかけるように差しかけているのだろう。妊婦の友人に聞いた一番愉快に思った話しは、食後に必ずお腹を蹴られるということだった。胃袋がふくれることで居場所が圧迫され、「せまーい」と不満を訴えているのだという。こっちは確かに広いけど、しんどいことも結構多いよ。でも、楽しいこともたくさんあるから、さあ、そろそろ真夏の子として生まれておいで。〈ラムネ飲み雲の裏側おもひをり〉〈まな板をはみ出してゐる新若布〉『桐の花』(2010)所収。(土肥あき子)


July 1372010

 白玉にゑくぼをつけてゐるところ

                           小林苑を

玉とは、米からできた白玉粉で作る団子のこと。真珠をさす白玉という言葉が使われたこの美しい団子は、平安時代には汚れのない白さが尊ばれ、宗教上の供物として使われていた。作り方は単純明快。1)白玉粉を同量の水でこね、2)手のひらの上でくるくると丸め、3)たっぷりのお湯に投入し、4)浮き上がってしばらくしたら引きあげる。掲句は、団子に火を通しやすくするため、十円玉くらいに丸めた白玉に指の腹で窪みをつける2の手順における作業である。これが単なる段取りに映らないのは、前述の供物的な背景が影響しているわけでもなく、ただひたすらその純白な姿かたちの愛らしさに共鳴するものである。熱湯から引きあげられた白玉は、氷水に放たれ目の前でみるみる冷えていく。手のひらの上で生まれ、指の腹でやさしく刻印されたゑくぼを持つこの菓子のおだやかな喉越しは、夏負けの身体を内側から静かな涼気で満たしてくれる。〈蟻穴を出てもう一度穴に入る〉〈爪先を立てて水着を脱ぎにけり〉『点る』(2010)所収。(土肥あき子)


July 2072010

 水桶に女の屈む朝曇

                           城倉吉野

日土用の入り。いよいよ日本のもっとも厳しい時節に足を踏み入れたわけだが、エアコンも扇風機もない時代から繰り返し乗り越えてきていることを思えば、暑いのは夏の取り柄なのだとわずかに開き直る心持ちにもなる。「朝曇(あさぐもり)」とは、「日照りの朝曇り」という言葉があるように、明け方どんよりと曇っていても、日中は辟易するような炎天になることをいう。高気圧に覆われていると風が弱いため、夜間は上層より下層の空気が冷え、雲ができやすくなっていて、いっとき朝方は曇っているが、日射により雲はみるみる消えてしまう、というれっきとした気象現象である。しくみはどうあれ、「ともかく今日は暑くなる」という体験による確信が伝わる季語であることから、掲句の屈む女の姿が際立つ。水桶に張った水面に映るどんよりと濁る曇天に、女のこれからの労働と、その背景に容赦なく照りつける太陽がもれなくついてまわる一日を思わずにいられない。日本人の生活感覚として確立された季語の、まさに本領発揮という一句である。〈千人の僧のごとくに夕立かな〉〈天の川ひとは小さな息をして〉『風の形』(2010)所収。(土肥あき子)


July 2772010

 地物かと問はれ鰻が身をよぢる

                           白石めだか

日は土用の丑。どこの鰻屋もてんてこまいだったことだろう。平賀源内が夏場に鰻が売れない鰻屋に相談されて作ったコピーが発祥だったというが、「こう毎日暑いと鰻が食べたくなるね」と思うとちょうど土用の丑あたりに前後していたりするのも、不思議なことだ。姿かたちが気味悪いということで苦手な方もいるというが、先日が初めて生きている鰻に触る機会があった。といっても、ご主人がつかんでいる鰻の頭のあたりを人差し指でちょんとつつかせてもらったという程度だが、その弾力と、思いのほか明るい灰色の色合いは、大きなおたまじゃくしを思わせるものだった。地物(じもの)とはその土地で漁獲されたものをいうが、鰻においてその定義はまことに曖昧である。鰻の一生は、海で生まれ、川や湖で大きくなり、ふたたび海の中で卵を生むといわれているが、その回遊ルートはいまだはっきりしていない。天然鰻と呼ばれる川や湖で棲息している鰻も、生まれはどこかはるかなる南の海の彼方なのだ。とはいえ掲句の鰻は、どうも長旅を経た天然物ではなく、「いえ、もうそこらの養殖ものなんです」と恥じ入って、ひとかたまりに身をよじっているような、ユーモアとペーソスが交錯している姿に見える。〈やくたいもなき夜盗虫ころがしぬ〉〈そそるとは無花果の口半開き〉『婆娑羅』(2010)所収。(土肥あき子)


August 0382010

 対岸は王家の谷や牛冷やす

                           市川栄司

ジプト5句と前書のあるなかの一句。一般に「牛馬冷す」の解釈は「田畑で使役した牛馬を川に引き入れ、全身の汗や汚れを落してやること」であるが、日本大歳時記の飯田龍太による解説はこれに加えた部分がとても素敵なので少し引きたい。「浅い川瀬に引き入れられると、牛も馬もここちよげに目を細める。その全身を飼主がくまなくたんねんに洗ってやる。文字通り、人馬のこころが通うひととき。次第にたそがれていく川明りのなかで、水音だけが鮮やかにひびく。だが近頃は農山村でも、そんな情景はとんと見かけなくなってしまった」。このとんと見かけなくなってしまった光景を、作者はエジプトで見ている。かの国においても牛は重要な動物であり、約3,400年前の壁画にも家畜としての牛が描かれていた。王家の谷とは、エジプトルクソールにあるツタンカーメンを含め60を越える王族たちの墓が連なる場所である。そして、掲句の通り対岸に王家の谷を見はるかすためには、牛はナイル川で冷やされているわけで、日本のひとまたぎできるような小川をイメージした農耕風景とは異なり、途方もなくスケールの大きな「冷し場」である。景色も歴史もまったく違っていながら、一頭の牛を愛おしむ姿は国を越えて、「牛冷す」の本意に叶っているものなのだと深く共感するのである。〈天使みな翼を持てり薔薇芽ぐむ〉〈うすばかげろふむかし女は眉剃りし〉『春落葉』(2010)所収。(土肥あき子)


August 1082010

 桐の実や子とろ子とろと遊ぶこゑ

                           千田佳代

は天上に向かうような薄紫色の美しい花を付け、その実は巫女が持つ神楽鈴のようなかたちとなる。日盛りには緑陰を、雨が降れば雨宿りを提供してきた桐の樹下は、子どもたちの集合場所でもあっただろう。先日の新聞に今どきの小学生の4人に3人は「缶けり」をしたことがないという記事があった。20代以上の92%が「経験がある」という数字と比べると、あまりの低さに驚くが、周囲を見回してみればたしかに見かけない。理由は「時間がない」などを挙げるが、もはや放課後に集団で遊ぶという形態自体がまれなのだろう。掲句の「子とろ鬼」も、今はほとんど見られない遊びのひとつだろう。子とろ鬼は鬼ごっこの一種で、じゃんけんで鬼を決めたら、他の子どもは前の子の腰に手を回して一列になる。一番前にいる子が親となり、鬼が最後尾の子をつかまえようとするのを、親は両手を広げて阻止をする。親を先頭にした一列は、腰に回した手が離れないように逃げなければならず、足をもつれさせながら、蛇行を重ね逃げていく。太い幹を囲み、「子をとろ、子とろ」とはやしながら子を追う鬼の声が聞こえなくなってから、桐は幾度花を咲かせ、実を付けたことだろう。〈あれで狐か捕はれて襤褸のやう〉〈冬と思ふひとりや椀を拭くときに〉『樹下』(2010)所収。(土肥あき子)


August 1782010

 秋立つや耳三角に立ててみる

                           神戸周子

だまだ厳しい残暑ではあるが、流れる雲や木陰の風に秋の気配がしっかり感じられるようになった。顔のなかで三角にするものといえば、目だとばかり思っていたが、掲句は耳を立てるという。慣用句の「目を三角にする」とは激怒する様相のことだが、耳となると同じ三角でも少し様子が違う。どちらにしても実際に変貌するわけではなく、「そんな風であることよ」とイメージさせるものだから、ここはひとつ自由に想像させてもらう。三角に立てた耳とは、頭の上に付く動物の耳を想像し、犬や猫やウサギが、人間には聞こえない物音にじっと耳を傾けている姿が浮かぶ。とすると、動物のようにじっと耳を澄ますことが「耳を三角に立てる」であると判断する。こうして、まだ目に見えぬ秋の声に、じっと耳を傾け、目を凝らし、季節の移ろいに身をゆだねている作者が見えてくる。三角の耳は、秋の風をとらえ、小鳥たちの会話を楽しみ、行ってしまった夏の足音を聞き取っていくことだろう。〈夕ひぐらし髪を梳かれてゐるやうな〉〈盗みたきものに笑くぼとゆすらうめ〉『展翅』(2010)所収。(土肥あき子)


August 2482010

 八月のしずかな朝の出来事よ

                           鳴戸奈菜

本人にとって8月の持つ背景は深く重い。上五に置かれた「八月」の文字は、次の言葉を待つわずかな間にも胸を騒がせ、しくと痛ませる効果を持ってしまう。先の戦争がことに大きな影を落していることは確かだが、そこにとらわれ、身動きできなくなっているのではないかと、世界の8月の出来事を見渡してみた。すると、西暦79年の本日、ポンペイでは朝から不気味な地鳴りが続き、昼頃ヴェスヴィオ火山の大噴火によって消滅した日であった。この時節が持つやりきれなさと屈託は、もしかしたら全人類、世界的に共通しているのかもしれない。作品は〈山笑うきっと大きな喉仏〉〈あのおんな大の苦手と青大将〉の持ち前の明るくユニークな作品にはさまれ、饒舌のなかにおかれた静寂の一点でもあるように、ゆるぎない光りを放っている。俳誌「らん」(2010年・季刊「らん」創刊50号記念特別号)所載。(土肥あき子)


August 3182010

 骨壺をはみだす骨やきりぎりす

                           杉山久子

月始めに亡くなった叔母はユーモアのある女性で、遊びに行くたびに飼っていた文鳥の会話をおもしろおかしく通訳してくれ、幼いわたしは大人になれば難しい漢字が読めるように鳥の言葉がわかるようになるのだと信じていたほどだった。70歳になったばかりだったが、40代からリウマチで苦しんだせいか、火葬された骨は骨壺をじゅうぶんに余らせて収まった。しかし掲句は、はみだすほどであったという。それは、厳粛な場所のなかでどうにも居心地悪く存在し、まさか茶筒を均らすようにトントンとするわけにもいかぬだろうし、一体どうするのだろうという不安を骨壺を囲む全員に与えていたことだろう。俳人としては、死ときりぎりすといえば思わず芭蕉の〈むざんなや冑の下のきりぎりす〉を重ねがちだが、ここは張りつめた緊張のなかで、「りりり」に濁点を打ったようなきりぎりすの鳴き声によって、目の前にある骨と、自身のなかに紡ぐ故人の姿との距離に唐突に気づかされた感覚が生じた。「はみだす」という即物的な言葉で、情念から切り離し、骨を骨としてあっけらかんと見せている。〈かほ洗ふ水の凹凸揚羽くる〉〈一島に星あふれたる踊かな〉『鳥と歩く』(2010)所収。(土肥あき子)


September 0792010

 新涼や持てば生まるる筆の影

                           鷹羽狩行

象庁では2日、今年の夏を異常気象と発表した。異常気象とは「過去30年の観測に比して著しい偏りを示した天候」と定義されているという。尋常でないと公認された暑さではあるが、それでも夕方はめっきり早く訪れるようになり、朝夕には季節が移る用意ができたらしい風が通うようになった。先送りにしていたあれこれが気になりだすことこそ、ようやく人心地がついたということだろう。酷暑のなかでも日常生活はあるものの、要返信の手紙類は「とりあえず落ち着いたら…」の箱に仕分けられ、そろそろかなりの嵩になっている。掲句では、手紙の文面や、送る相手を思う前に、ふと筆の作る影に眼がとまる。真っ白な紙の上に伸びた影が、より目鼻のしっかりした秋を連れてくるように思える。書かねばならないという差し迫る気持ちの前で、ふと秋を察知したささやかな感動をかみしめている。やがて手元のやわらかな振動に従い、筆の影は静かに手紙の上を付いてまわることだろう。『十六夜』(2010)所収。(土肥あき子)


September 1492010

 なみなみと大きく一つ芋の露

                           岩田由美

の露とは、七夕の朝、里芋の葉の露を集めて墨をすり、短冊に願いを書くと美しい文字が書けるようになるという故事からなるが、飯田蛇笏の〈芋の露連山影を正しうす〉以降、写生句として扱われることの方が多くなった。それでも「露」が背景に色濃く持つ、はかなく変化の多い世という嘆きが、芋の露に限って薄まるのは、つややかな里芋の葉に溌剌とした大粒の露がころんと転がる姿に、健康的な美しさを見出すからだろう。里芋の葉の表面にはごく細かなぶつぶつがあり、これにより超撥水性と呼ばれる効果を発揮する。水滴は球体でありながら葉にはぴったりと吸い付いて、なかなかこぼれ落ちないという不思議な仕組みがあるらしい。そしてなにより、いかにも持ちやすそうな茎の先に広がるかたちは、トトロやコロボックルたちの傘や雨宿り場所としても定番であったことから、どこか懐かしく、童話的な空気が漂う。句集のなかの掲句は〈追ひあうて一つになりぬ芋の露〉につづき、きらきらとした露の世界を広げている。芋の葉の真ん中に収まる露は、未来を占う水晶玉のごとく、朝の一番美しいひとときを映し出していることだろう。『花束』(2010)所収。(土肥あき子)


September 2192010

 鹿の眼の押し寄せてくる月の柵

                           和田順子

日の夜が十五夜で仲秋の名月。そして満月は明後日。十五夜が満月と限らないのは、新月から満月までの平均日数は約14.76日であるため、15日ずつでカウントする旧暦では若干のずれが生じることによる。理屈では分かっていても、どことなく帳尻が合わないような気持ち悪さがあるのだが、来年2011年から2013年の間は十五夜と月齢満月が一致するというので、どんなにほっとしてこの日を迎えられることだろう。掲句は前書に「夜の動物園」とある。光る目が闇を漂いながら迫ってくる様子は、鹿の持つ愛らしい雰囲気を拒絶した恐怖でしかないだろう。浮遊する光りは、生きものの命そのものでありながら、異界への手招きのようにも見え、無性に胸を騒がせる。安全な動物園のなかとはいえ、月の光りのなかで、あちらこちらの檻のなかで猛獣の目が光っているかと思うと、人間の弱々しく、むきだしの存在に愕然と立ちすくむのだ。タイトルの『黄雀風(こうじゃくふう)』とは陰暦五、六月に吹く風。この風が吹くと海の魚が地上の黄雀(雀の子)になるという中国の伝承による。〈波消に人登りをり黄雀風〉〈海牛をいふけつたいを春の磯〉『黄雀風』(2010)所収。(土肥あき子)


September 2892010

 こほろぎとゐて木の下に暮らすやう

                           飯田 晴

の声を聞きながら夜を過ごすのにもすっかり慣れてきたこの頃である。都内のわが家で聞くことができるのは、青松虫(アオマツムシ)がほとんどだが、夜が深まるにつれ蟋蟀(コオロギ)や鉦叩(カネタタキ)の繊細な声も響いてくる。掲句にイメージをゆだね、眼をつむってしばし大好きな欅にもたれてみることにした。一本の木を鳥や虫たちと分け合い、それぞれの声に耳を傾ける。昼は茂る葉の向こうに雲を追い、夜は星空を仰いで暮らしている。食事はいろんな木の実と、そこらへんを歩いている山羊の乳など頂戴しよう。ときどきは川で魚も釣ろう。などと広がる空想のあまりの心地の良さに、絶え間なく通過する首都高の車の音さえ途絶えた。束の間の楽園生活を終えたあとも、虫の声は力強く夜を鳴き通している。〈空蝉のふくらみ二つともまなこ〉〈小春日の一寸借りたき赤ん坊〉『たんぽぽ生活』(2010)所収。(土肥あき子)


October 05102010

 電灯の紐に紐足す夜長かな

                           喜多杜子

の季題である夜長だが、一年でもっとも夜が長いのは冬至なのだから、真実というより、厳しい夏を越えてきた実感として生まれた言葉である。粘り強い残暑が続いた今年は、夜を夜として楽しめるひとときをことにありがたく思う。掲句は電灯から下がる紐に、さらに紐を足したという。それは、ベッドで読書をしながら眠くなったら手元で電気が消せるためになのか、または夜中にトイレに起きるときにも手元に紐があればすぐに灯すことができるという意味なのか。どちらにしても、自身を持て余すことなく向き合う作者の姿が表れるのは、人間の生活が昼間中心に動いているなかで、このように昼には邪魔になるかもしれないものを夜の時間のために設けるという行為だろう。長くなった夜を意識させ、日常というものがわずかに変化することに気づかされているのだ。『貝母の花』(2010)所収。(土肥あき子)


October 12102010

 爽やかに鼻あり顔の真ん中に

                           小西昭夫

目漱石や芥川龍之介といった時代の小説に、時折「中高(なかだか)な顔」という形容が登場する。これが鼻筋の通った整った面差しを表すと知ったとき、細面(ほそおもて)やぱっちりした瞳という従来の美形とはひと味違った、立体的な造作が浮かぶ。フランスの哲学者パスカルの「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史が変わっていた」という一節も、顔という看板の中心に位置する鼻であるからこそ、一層のインパクトを与えたのだろう。掲句の通り、たしかに鼻は顔の中央にあり、もっとも高い場所をかたち作っているため、夏の熱気も冬のこがらしにも、一等先にさらされている。そして、嗅覚は人間の五感のなかで唯一、誕生してから機能する器官だというが、この時期、ある朝突然金木犀の香りにあたり一面が包まれている幸せを感じられるのも鼻の手柄である。深く呼吸すれば、広がる香りが頭の先まで届き、そして体中に行き渡る。老若男女すべからく顔の真ん中に鼻を据え、いまもっとも心地よい日本の秋を堪能している。『小西昭夫句集』(2010)所収。(土肥あき子)


October 19102010

 アクセル全開秋愁を振り切りぬ

                           能村研三

つもはごく温厚な人がハンドルを握ると、とたんに性格が変貌し大胆になるというタイプがあるらしい。常にないスピード感やひとりだけの空間が心を解放させるのだろう。掲句が荒っぽい運転とは限らないが、どこかいつもとは違う攻めの姿勢を感じさせる。秋の心と書く「愁」が嘆きや悲しみを意味させるのに対し、春の心と書く「惷」には乱れや愚かという意味となる。それぞれの季節に芽生える鬱々とした気分ではあるが、春は軽はずみなあやまちを招くような心を感じさせ、一方、秋の気鬱は全身に覆いかぶさるような憂いを思わせる。常にない向こう見ずなことをしなければ、到底振り切ることなどできない秋愁である。猛スピードで振り切った秋愁のかたまりをバックミラーの片隅に確認したのちは、わずかにスピードをゆるめ軽快な音楽に包まれている作者の姿が浮かぶのだった。〈男には肩の稜線雪来るか〉〈里に降りる熊を促へし稲びかり〉『肩の稜線』(2010)所収。(土肥あき子)


October 26102010

 日おもてに釣船草の帆の静か

                           上田日差子

釣船草
細い茎からモビールのように下がる花が船のかたちに見えるということから釣船草という名がついたという。先日、姨捨の棚田を歩いたおり、日当りのよい斜面にキツリフネが一面に咲いていた。花を支える茎があまりに細いため、強い風が吹いたら、ちぎれてしまうのではないかという風情は、壊れやすい玩具のように見える。また、あやういバランスであることが一層あたりの静けさを引き寄せていた。掲句の景色は、日射しのさざ波に浮く船溜まりのように、釣船草の立てた華奢な帆になによりの静寂を感じているのだろう。花の魅力は後方にもある。写真を見ていただければわかるが、どの花にもくるんとしたくせっ毛みたいな部分があって、これが可愛くてしかたがない。種は鳳仙花のように四散するという。静かな花の最後にはじけるような賑やかさがあることに、ほんの少しほっとする。〈寒暮かな人の凭る木と凭らぬ木と〉〈囀りの一樹ふるへてゐたるかな〉『和音』(2010)所収。(土肥あき子)


November 02112010

 実ざくろの裂けたき空となりにけり

                           下村志津子

の上では晩秋となったが、残暑の疲れも取れぬ間に、冬が横顔を見せているような今年に、明度の高い秋の晴天は数えるほどだった。あらゆる果実は美しい秋の空に冴える。ことにざくろの赤といったら。中七の「裂けたき」は、ざくろの心地といったところなので、「分かるわけない」と両断されてしまえばそれまでだが、それでもざくろにはそんな思いがあるのではないかと意識させる果実である。言わずと知れた鬼子母神を悲しい母の姿が背景に見え隠れしながら枝をしなわせるほどの重さにも屈託を感じる。「裂けたき」によって、ざくろの赤々と光りを宿した内部を思わせ、秋天の芯に向かって、今にもめりめりとまるで花開くように裂けてゆくのではないかと思わせる。句集名の可惜夜(あたらよ)とは、明けるのが惜しい夜。すごい言葉だ。〈可惜夜の鳴らして解く花衣〉〈連翹のさわがしき黄とこぼれし黄〉『可惜夜』(2010)所収。(土肥あき子)


November 09112010

 からたちに卍掛けなる鵙の贄

                           斎藤夏風

は秋から冬にかけて、蜥蜴や蛙などの獲物を木の枝などに串刺しにする。鵙の早贄(はやにえ)などと呼ばれるこの残酷な習性は、冬にかけて不足する食糧の確保や、縄張りの目印などと考えられている。そして掲句の卍掛けとはいかなるものなのであろうかと調べると、姿三四郎の世界に見つけることができた。合気道の技の一種で、相手の腹を突き蹴りで打ちつけ、前屈みになったところを内掛けにして、背中に飛び乗り、頸の後ろ側に膝を掛けて固め、次に相手の右腕を自分の左腕の脇固によって絞め上げるものだという。ともかく苦しそうなかたちであることだけは確かだ。鈎状になっている鵙の嘴によって、壮絶な死を迎えたであろう獲物の姿を目の当たりにしながら、吉祥の象徴である「卍」に掛けられた贄には、鵙の食糧確保というより、どこか青空に捧げた供物のように見せている。柑橘系のからたちの混み合った緑の棘が、決して触れてはならない神聖な祭壇を思わせる。〈これよりは辻俳諧や花の門〉〈クリスマスケーキ手向けてまだ暮れぬ〉『辻俳諧』(2010)所収。(土肥あき子)


November 16112010

 初冬や触るる焼きもの手織もの

                           名取里美

ャサリン・サンソムの『LIVING IN TOKYO』は、イギリスの外交官である夫とともに昭和初期に日本に暮らした数年をこまやかな視線で紹介した一冊である。そのなかで、ある日本人の姿として店に飾られている一番高価な着物を、買えるはずもない田舎の女中のような娘があかぎれの手で触れているのを見て驚く。そして「日本では急き立てられることもなく、娘は何時間でも好きなだけ着物に触ったりじっと眺めていることができます」と、誰もが美しいものに触れることのできる喜びを書いている。布の凹凸、土のざらつき、どれも手から伝わる感触が呼び起こすなつかしさがある。わたしたちはそれぞれの秘めたる声に耳を傾けるように手触りを楽しむ。初冬とは、ほんの少し寒さが募る冬の始まり。まだ震えるほどの寒さもなく、たまには小春のあたたかさに恵まれる。しかし、これから厳しい冬に向かっていくことだけは確かなこの時期に、ふと顔を出す人恋しさが「触れる」という動作をさせるのだろう。動物たちが鼻先を互いの毛皮にうずめるように、人間はもっとも敏感な指先になつかしさを求めるのかもしれない。〈産声のすぐやむ山の花あかり〉〈つぎつぎに地球にともる螢の木〉『家』(2010)所収。(土肥あき子)


November 23112010

 襟巻のうしろは闇の中なりし

                           高倉和子

ード付きのコートを脱いで、なんの気なしにハンガーに掛けようとしたとき、うしろに垂らしたフードからふわっと冷たい空気が流れてきて驚いたことがあった。襟元をかき合わせたり、火があれば手をかざしたり、なにかにつけいたわっている身体の前面と違い、冷気にさらされ放題の背面の存在を意識させたできごとだった。わが身の背後に放り出され、しんしんと冷えていたもの。襟巻きでも同様だろう。首という身体のどこよりも華奢なところに巻き付けるものであるだけに、その先が無防備に闇の中に放り出されている図は、なんともあやうくあぶなっかしい。掲句の「うしろ」とは、単なる場所を意味するだけでなく、背後に広がる空間という不安の象徴としても存在する。暗がりのなかでずっと揺れ続けていたと思うと、その冷えきった襟巻きの尻尾の部分がやけにさみしく、また愛おしく思えるのだった。〈ふるさとに居れば娘や福寿草〉〈汀長し胸より乾く海水着〉『夜のプール』(2010)所収。(土肥あき子)


November 30112010

 鉄筆をしびれて放す冬の暮

                           能村登四郎

写版の俗称であるガリ版の名は、鉄筆が原紙をこするときにたてる音からきているというが、この名に郷愁を覚える世代も40代以上になるだろうか。鉄筆は謄写版に使用する先端が鉄製のペンである。用紙には薄紙にパラフィンなどが塗ってあるロウ紙を用い、鉄筆で文字を書くと塗料が削られることで、インクが収まる溝ができる。ちょっとした彫刻にも似て、指先にかかる筆圧はおしなべて均等でなければならず、ペンで書く場合とは大きく異る。学校のテストやお知らせ、文集などに活躍したが、コピー機やパソコンという技術にあっという間にその座は奪われた。テスト以外では、生徒を数人呼んで時折手伝わせることもあり、職員室に満ちるかりかりという乾いた音のなかに入ることはほこらしくもあった。子どもにとっては、慣れない文具はどれも新鮮で、間違ったときの修正液のマニキュアのようなボトルを使うとき、なんだかとっても大人になったような気がしたものだ。あっという間に暗くなる冬の日に、先生たちは学生の姿が消えた放課後の運動場を眺めながら、疲れた腕を伸ばすのだろう。鉄筆から生まれた文字は、読みにくい字であれ、きれいな字であれ、どれも先生の匂いがするようなぬくもりがあった。『能村登四郎全句集』(2010)所収。(土肥あき子)


December 07122010

 この濠にゐる二百羽の白鳥よ

                           青山 結

とあって、即座に皇居の濠を思ったが、そこは白鳥は野生の渡り鳥ではなく、外苑を管理する団体が飼育しているものだった。個体数も、昭和28年にドイツの動物園から24羽を購入してより、残念ながら増えることなく年々減少。現在ではたったの12羽だという。当然皇居の濠に、白鳥が埋め尽くすほどいるとはおよそ考えられないのに、強く想像をさせるのは、最後の最後に付いている「白鳥よ」に込められた詠嘆に違いない。この詠嘆で、読者は身近な濠を眼前に引き寄せ、まぼろしの白鳥をずらりと配置させるのだ。とはいえ、掲句ははたして実際に白鳥を目の前にしているのだと思う。二百羽という一面の白鳥の存在の迫力と、遠くから渡ってきた大きな白い翼へのねぎらいもまた、「白鳥よ」の持つ呼びかけに反応する。ことほどさように「よ」の一文字で広がる余韻は、情熱的で、想像力をかきたてる。〈ちちははの墓に入りたし白木槿〉〈青大将乳房二つを固くして〉『桐の花』(2010)所収。(土肥あき子)


December 14122010

 枯るるとは縮むこと音たつること

                           大木あまり

れに対し、中七の「縮む」までは負のイメージをまとうが、続く「音たつること」には一切のしがらみを断ち切ったような救いを感じる。先日一面の枯葉に風が渡り、むくむくと動く風の道を目の当たりにした。背後から迫り来る海鳴りのような音が、髪をなぶり背中を押して通り過ぎ、彼方まで駆け抜けていった。またあるときは、残っていた桐の大きな葉が視界の先で「ぷつん」と音をたてて梢から離れた。風は乾いてゆがんだ葉をくるんと空中で一回転させ、つーつーすとん、とやわらかに着地させた。木の葉が目の前で生まれたての落葉となる一部始終を、うっとりと見守った。万象は枯れることで音を手にいれる。それはまるで声を与えられたかのように、高く低く、こすれ合い、ささやき合う。香りや柔らかさを手放し、声を手にした枯れものたちに、思わず人間を重ねてしまうほどの風貌が加わる。『星涼』(2010)所収。(土肥あき子)


December 21122010

 つまりただの菫ではないか冬の

                           金原まさ子

句のおしまいに投げ出されたような「冬の」のつぶやきがすてきだ。春のきざしである菫や蒲公英が、身を切るような冬に咲いていれば、そのけなげな様子に思わず足を止める。それを切なさと見るか、愛おしさと見るか、はたまた自然の摂理として受け止めるか。「つまりただの菫」には、大げさに騒ぎ立てることなく、静かにしておいてやれと押し殺した声で言い渡されるような冷淡ささえも感じさせるが、続く「冬の」に込められたつぶやきで、こらえていた気持ちはとめどない愛おしさに変換される。冬の日だまりのなかに咲いた菫は、一層可憐な存在として、読者の胸に刻印される。つれなく非情に書かれているからこその冬の菫への愛が、火のような情熱を帯びて読者の胸のずっと深いところにおさまっていく。一輪の菫は一句とともに、忘れられない映像となって永遠に生き続ける。『遊戯の家』(2010)所収。(土肥あき子)


December 28122010

 数へ日のどこに床屋を入れようか

                           仁平 勝

え日が12月の何日からかとはっきり表記されている歳時記はないが、どれともなく指折り数えられるほどになった頃という言い回しを使っている。実際には、クリスマスが終わり、焦点が年明けに絞られた26日からの数日に強く感じられる。唱歌の「もういくつ寝ると…」には、子どもらしく新しい年を楽しみに指折り数える様子が歌われているが、こちらは切羽詰まった大人の焦燥感を表す言葉である。正月をさっぱりして迎えようというのは、家の片付けなどとともに姿かたちにもいえること。とはいえ、慌ただしく迫り来る年末に、自分の身を振り返ることはどんどん後回しになっていく。大晦日の湯に浸かりながら「あっ爪を切ってなかった」などと最後の最後になって小さな後悔が生まれたりもする。掲句は、歳末のスケジュールがぎっしりと書き込まれた手帳を前に頭を抱える作者である。晴れの日を迎えるためには、この散髪の二文字をどうにか入れなければならないのだ。〈冬木みなつまらなさうにしてをりぬ〉〈買初のどれも小さきものばかり〉『黄金の街』(2010)所収。(土肥あき子)




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