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July 1272010

 梅丁寧に干し晩年と思ひけり

                           関 芳子

人はもとより、誰にもその人の「晩年」はわからない。晩年とは、その人の死後に生き残った人たちがその人のある年月を定義する言葉である。だから句の「晩年」は言葉遣いとしてはおかしいのだが、しかし主観的には死の間近さをこのように感じることはありそうだ。毎年くりかえして同じように梅を干してきたが、気がつけば今年はずいぶんと丁寧に干したのだった。このようないわばルーティンワークに、半ば無意識にせよ特別な気遣いをしたということは、死がそう遠くはないからなのかもしれない。そうでなければ、梅のひとつぶひとつぶをいとおしむような行為が自然にわいてくるはずもない。作者はそう思い、わがことでありながらあえて「晩年」という言葉を使った。この心理は若い人にはわかるまいが、高齢者には多かれ少なかれ普通についてまわるものだ。むろん、私とて例外ではない。性来がずぼらなのに、ときどきこれではいけないと何かをやり直したりするようになった。「晩年」と結びつけたくはないけれど、そうなのかもしれない。いずれにしても、年を取ってくると、これまでになかったような行為に我知らずに出ることがあるのは間違いないようだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)




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