総じて喫茶店のコーヒーの質が低下してきた。インスタントは向上。(哲




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July 1572010

 蛍待つ誰も小声になつてをり

                           浅見 百

か4年前の7月15日。増俳10周年記念句会のときに高点に選ばれた句と記憶している。私も選ばせていただきました。ハイ。「蛍」の題は難しかった。清水さんがこの題を決めたのは神保町のビヤホール「ランチョン」で、折しも「蛍の光」が流れている閉店前だったように思う。10年続いた増俳の終了と、蛍がぴかんと一致して清水さんの頭にひらめいたのかもしれない。「蛍」「蛍」とさんざん悩んだけど、うまく出来なかった。この作品に出合ったとき、蛍を直接詠むのではなく、蛍を待つ間に膨らんでゆく期待を「小声になつてをり」とさりげなく描きだしたところに惹かれた。だんだん夕暮れていく川岸でひそひそと会話を交わす人たち。待ち草臥れたころ青白い光がふっと横切り、小声で話していた人達から歓声があがる。それが合図のように草の茂みに木の枝のあちこちに蛍が光り始めることだろう。そんな感動を味わうためにも蛍見の連れには小声で話しかけることにしよう。『時の舟』(2008)所収。(三宅やよい)


July 1472010

 つめたい爪で戦争がピアノ弾いてゐる

                           天沢退二郎

ではなく、「つめたい爪」がピアノを弾いている、ととらえている。その「爪」は戦争のそれである。「つめたい」といっても、それを冬の季語などと堅苦しく限定することは、この場合むしろナンセンスであろう。戦争は「熱い」とするのが一般的かもしれないが、いっぽうで「冷たい戦争」「冷戦」という言い方がある。擬人化された戦争が鋭く尖った冷酷な爪をかまえて、ピアノの鍵盤をかきむしっているという、モンスターめいた図は穏やかではない。いや、戦争が冷たかろうが熱かろうが、穏やかであるはずがない。戦争というバケモノが恐ろしい表情と風体で、現に世界の各地で激しく、また密かにピアノを怪しく弾いているではないか。愚か者どもによるピアノ演奏を止めるのは容易ではないどころか、ますます激昂して拍手を送る徒輩さえいる。そういえばポランスキーの「戦場のピアニスト」という映画があった。また、古い記憶を遡って、粟津潔の映像作品「ピアノ炎上」(1973)を想起した。消防服を着た山下洋輔が燃えているピアノを弾いて、燃え崩れるまで弾きつづけたもので、今もパソコンで映像にアクセスすることができる。退二郎は高野民雄らと「蜻蛉句帳」を出しつづけている。同誌に「帆船考」として退二郎は掲句の他に、自在に詠んだ「列島をうそ寒き夏の這い登る」など六句と、「ふんどしを締めて五月の猫走る」など十五句を一挙に発表している。「蜻蛉句帳」44号(2010)所載。(八木忠栄)


July 1372010

 白玉にゑくぼをつけてゐるところ

                           小林苑を

玉とは、米からできた白玉粉で作る団子のこと。真珠をさす白玉という言葉が使われたこの美しい団子は、平安時代には汚れのない白さが尊ばれ、宗教上の供物として使われていた。作り方は単純明快。1)白玉粉を同量の水でこね、2)手のひらの上でくるくると丸め、3)たっぷりのお湯に投入し、4)浮き上がってしばらくしたら引きあげる。掲句は、団子に火を通しやすくするため、十円玉くらいに丸めた白玉に指の腹で窪みをつける2の手順における作業である。これが単なる段取りに映らないのは、前述の供物的な背景が影響しているわけでもなく、ただひたすらその純白な姿かたちの愛らしさに共鳴するものである。熱湯から引きあげられた白玉は、氷水に放たれ目の前でみるみる冷えていく。手のひらの上で生まれ、指の腹でやさしく刻印されたゑくぼを持つこの菓子のおだやかな喉越しは、夏負けの身体を内側から静かな涼気で満たしてくれる。〈蟻穴を出てもう一度穴に入る〉〈爪先を立てて水着を脱ぎにけり〉『点る』(2010)所収。(土肥あき子)




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