梅雨明け十日。これからは暑い日がつづきます。ご自愛ご専一に。(哲




2010ソスN7ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1872010

 浴衣着て全身の皺のばしけり

                           米津勇美

読、小さく笑ってしまったのは、「全身の皺」をのばしている人の姿を思い浮かべてしまったからです。浴衣の皺かもしれませんが、むしろ本人の心身の皺のことを詠っているように感じられます。仕事着を脱ぎ、浴衣に着替えて、大きく伸びでもしたところでしょうか。もしかしたら、休暇をとって温泉宿にでも到着した時のことなのかもしれません。読んでいるだけでぐっと背筋を伸ばしてみたくなるような、心地よさを感じます。洋服の皺を伸ばすならもちろんアイロンでしょうが、体の皺をのばすとなれば、マッサージチェアーに座るか、あるいは人の手に揉みほぐしてもらうことになるのでしょう。それにしてもどうして生き物というのは、体に触れられて適度な力を加えられることが、あれほど気持ちのよいものなのでしょうか。わたしの場合、最近はもっぱら我が家の犬をそばにおいて、体中をさわってあげることに終始しています。そのうち犬は、あまりの気持ちよさに仰向けになって、脚をピンと伸ばしてきます。その姿を見ているだけで、心の中に一日たまったわたしの皺も、自然と伸びてくるようです。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年7月11日付)所載。(松下育男)


July 1772010

 めつむれば炎の見ゆる滝浄土

                           角川春樹

の向こうに見える炎のようなものを描きたい、とは徳岡神泉画伯の言葉だったか。その炎は明るく燃えているというよりむしろ仄暗くゆらめいて、目を閉じればなお強く迫ってくるのだろう。句の前後から察して、この滝は那智の滝。〈夜も蒼き天をつらぬく瀑布あり〉〈はればれと滝は暮れゆく音を持つ〉〈銀漢のまつしぐらなり補陀落寺〉など、一度はこの目で那智の滝を観たい、とあらためて強く思った。ことに、夜の滝。その音と匂いに包まれているうち、滝の水が天から落ちているのか、天に向かって駆け上っているのか、自分がどこにいるのか、どこへ行くのか・・・確かなものは何ひとつ無くなっていく気がする。信ずるものにとって観音浄土は、現世よりよほど確かなものなのだろう。『夢殿』(1988)所収。(今井肖子)


July 1672010

 白団扇夜の奥より怒濤かな

                           長谷川櫂

の白団扇。白だけが鮮明に浮き上がる。その白から波の穂がイメージされ、波の穂はしだいにふくらんで怒濤となって打ち寄せる。団扇の白が怒濤と化すのだ。何が何に化すかというところが作者の嗜好。この両者の素材が作風を決する。白鷺が蝶と化すのが山口誓子。尿瓶が白鳥と化すのが秋元不死男、自分がおぼろ夜のかたまりと化すのが加藤楸邨。長谷川櫂の嗜好は自ずから明らかである。『富士』(2009)所収。(今井 聖)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます