暦を見ると「大暑」。見なくても大暑。今日は終日原稿書き。(哲




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July 2372010

 一雲かぶさる真夏の浜辺に村人と

                           牧ひでを

読黒田清輝の画のような平和な漁村の風景が浮ぶが、前書きを読むと様相は一変する。「広島へ四〇キロというふるさとにて原爆を受けし朝」。雲はキノコ雲であった。平和な時間を刻んでいるとしか思えない風景が実は凄惨な事実を孕んでいるというのは、まさしく近代の恐怖そのものだろう。牧ひでをさんは70年代の「寒雷」東京句会には必ず顔が見えた。楸邨の隣に座って言葉を区切りながらゆっくりと話す実に温厚な白髪の紳士であった。怒るように叫ぶように自己を表現する俳人は「寒雷」に多かったが、ひでをさんのように柔らかな言葉の語り口を持った人は稀であった。だからこそ、この句に込められた驚きと怒りの深さを思うのである。『杭打って』(1970)所収。(今井 聖)


July 2272010

 ネクタイを肩に撥ねあげ泥鰌鍋

                           広渡敬雄

日は大暑。二十四節季のちょうど中間の十二番目にあたり一年のちょうど折り返し点といったところ。アスファルトが揺れるほど暑いときには熱いものを食べて汗をかくべし。泥鰌は土の中でも生きて活発に動くので「土生」とも書くと新聞に載っていた。その説によると泥鰌一匹は鰻一匹と同レベルの栄養があるという話だから、土用には持ってこいの食べ物ということだろう。泥鰌とくれば浅草だけど、関西ではあまり泥鰌を食べさせる店を見かけなかったように思う。今はどうなのだろう。ネクタイ姿で泥鰌鍋を食べるには撥ね飛ぶ汁が心配。掲句ではネクタイを「肩に撥ね上げ」という動作がいなせで、暑さに負けない勢いが伝わってくる。はふはふと息をはずませて食べる泥鰌鍋はさぞおいしいことだろう。『ライカ』(2009)所収。(三宅やよい)


July 2172010

 楽屋着も替えて中日や夏芝居

                           中村伸郎

者は夏の稽古場では、たいてい浴衣を着ている。からだにゆるくて動きやすいからである。若い役者はTシャツだったりする。掲句は本公演中での楽屋着である。こちらも趣味のいい柄の浴衣を、ゆったりと着こなしていたりする。公演も中日(なかび)頃になれば、楽屋着も替えるのは当然である。舞台ではどんな役を演じているにしても、楽屋ではがらりとちがった楽屋着にとり替えて、楽屋仲間や訪問客と気のおけない会話をかわすひとときでもある。楽屋着をとり替えて、さて、気分も新たに後半の公演にそなえようというわけである。舞台とはちがった楽屋のゆったりとした雰囲気が、それとなく感じられるような句である。江戸時代、夏は山王や神田をはじめ祭が盛んで、芝居興行は不振だったことから、若手や地位の低い役者が一座を組んで、力試しに興行したのが夏芝居や夏狂言だった。掲句の「夏芝居」は、もちろん現代の夏興行の芝居を指している。後藤夜半に「祀りある四谷稲荷や夏芝居」がある。伸郎(のぶお)は文学座から最後は劇団「円」の代表となった。この役者の冷たいまでに端正な風貌とねじ込んだようなセリフまわしは、小津映画や黒澤映画でもお馴染みだった。随筆・俳句集『おれのことなら放っといて』がある。平井照敏編『俳句歳時記・夏』(1969)所載。(八木忠栄)




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