図書館で一ヶ月待っている福田和代『オーディンの鴉』が今週には…。(哲




2010ソスN8ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0282010

 三伏の白粥に芯ありにけり

                           小野恵美子

語「三伏(さんぷく)」は中国の陰陽五行説に由来する。詳しいことは歳時記などで調べていただきたいが、要するに、夏の暑い盛りの時期(新暦では七月中旬から八月上旬あたり)を言い、「拝啓、三伏の候」などと暑中見舞に使ったりしてきた。句の作者は、このの暑いさなかに病を得ている。食欲もあまりないのだけれど、体力をつけるために何かを食べておかなければならない。そこで粥(かゆ)を炊いてもらって食べたのだが、いささか出来損なっていて芯があったと言うのである。それだけの句だけれど、この句に隠れているのは粥を炊いた人の心持ちで、あまりの暑さに十分に火を使うことをせず、つい調理がぞんざいになってしまった。つまり、病人食にも手抜きをしてしまうほど暑い日ということで、句の作者にも作ってくれた人の気持ちはわかっている。だからそのことに怒るというよりも、むしろ何もかもがどうにもならない暑さのせいだと嘆息しているのである。暑いさなかの熱い粥。それを食べなければならない情けなさには、私にも覚えがある。まだまだ暑い日がつづきます。御身お大切に。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


August 0182010

 炎天へ打つて出るべく茶漬飯

                           川崎展宏

れだけ暑い日が続くと、自然と水分をとる機会も多くなり、徐々に胃の働きも弱ってきます。今日の夕飯はいったい何なら口に入るだろうといった具合に、消去法で献立が決まるようになります。そうめんとか冷やし中華なら入るな、と思いつつも、でも昨日もそうだったわけだし、たまにはお米を食べなければ、という思いから頭に浮かぶのは、手の込んだ料理ではなく、たいていおにぎりとかお茶漬け。日本人たるもの、おにぎりやお茶漬けだけは、よっぽどのことがない限りいつだって食べられるのです。本日の句では、暑い盛りの外へ出かける前に、力をつけるために茶碗に口をつけてお茶漬けをかきこんでいる様子を描いています。おそらく汗をだらだらたらしながらの食事と見受けられます。「打って出る」という言葉が、どこか喧嘩か討ち入りにでも出かけるようで、たすきがけでもして食事をしているようなおかしさを、感じさせてくれます。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


July 3172010

 扇風機人形劇の幕を吹く

                           牧野春駒

が家の扇風機は東芝製、購入してから四十年近く経つ。高校入学と同時に上京した夫の四畳半一間の下宿で、それこそ〈扇風機まはり熱風吹き起る〉(高濱虚子)という状態だったというが、強烈な西日の当たる部屋で彼がなんとか夏を乗り切れたのは、この扇風機のおかげだったとか。名前もある、ローマ字で「Asagao」。ややぎこちなく首を振りながら、今年も健在だ。今、首を振る、と書いたが扇風機を見ていると、一生懸命風を送る姿は健気であり、その丸顔に愛着がわく。この句の扇風機も思いきり頑張ってはいるのだが、観客に涼風を送るまでには至っていないのかもしれない。そんな扇風機一台。学校の講堂に集まって、夏休みの開放感にひたりながら、人形劇を楽しんでいる子供達の姿が見える。『青丹』(1984)所収。(今井肖子)




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