ちょっとした「武蔵野うどん」ブームだそうな。三鷹駅で食べられる。(哲




2010ソスN8ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0482010

 秋めくや貝ばかりなる土産店

                           久米正雄

れほど賑わっていた海浜も、秋に入って波は高くなり、客も減ってくる。砂浜を初秋の風が徐々に走り出す。土産店もすっかり客足が途絶えてしまった。どこでも売っているような、子ども相手のありふれた貝細工くらいしか今は残っていない。この土産店は海水浴客相手の、夏場だけの店なのかもしれない。店内は砂埃だけが目立って、もはやあまり商売にならない時季になってしまった。海浜の店で売っているから、貝のおみやげはすぐそこの海で採れた貝であるという、整合性があるように感じられても、たいていはその海であがった貝ではない。各地から集められた貝が画一的に加工され、それを店が仕入れてならべているのだ。だから、自分が遊んで過ごした浜で拾った何気ない貝こそが、記念のおみやげになるわけである。売れ残って店にならぶ貝殻が、いかにももの淋しい秋を呼んでいるような気配。何年か前、秋めいた時季に九十九里浜へ出かけたことがあった。すでに海水浴客はほとんどいなくて、浜茶屋もたたみはじめていた。辛うじてまだ営業している浜茶屋に寄ると、何のことはない、従業員たち数人が暇をもてあまし、商売そっちのけで花札に興じていた。真っ黒い青年が「今度の日曜日あたりにはたたむだよ」と言っていた。「秋めくや売り急ぐものを並べけり」(神谷節子)。掲句の店では、もう「売り急ぐもの」などない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


August 0382010

 対岸は王家の谷や牛冷やす

                           市川栄司

ジプト5句と前書のあるなかの一句。一般に「牛馬冷す」の解釈は「田畑で使役した牛馬を川に引き入れ、全身の汗や汚れを落してやること」であるが、日本大歳時記の飯田龍太による解説はこれに加えた部分がとても素敵なので少し引きたい。「浅い川瀬に引き入れられると、牛も馬もここちよげに目を細める。その全身を飼主がくまなくたんねんに洗ってやる。文字通り、人馬のこころが通うひととき。次第にたそがれていく川明りのなかで、水音だけが鮮やかにひびく。だが近頃は農山村でも、そんな情景はとんと見かけなくなってしまった」。このとんと見かけなくなってしまった光景を、作者はエジプトで見ている。かの国においても牛は重要な動物であり、約3,400年前の壁画にも家畜としての牛が描かれていた。王家の谷とは、エジプトルクソールにあるツタンカーメンを含め60を越える王族たちの墓が連なる場所である。そして、掲句の通り対岸に王家の谷を見はるかすためには、牛はナイル川で冷やされているわけで、日本のひとまたぎできるような小川をイメージした農耕風景とは異なり、途方もなくスケールの大きな「冷し場」である。景色も歴史もまったく違っていながら、一頭の牛を愛おしむ姿は国を越えて、「牛冷す」の本意に叶っているものなのだと深く共感するのである。〈天使みな翼を持てり薔薇芽ぐむ〉〈うすばかげろふむかし女は眉剃りし〉『春落葉』(2010)所収。(土肥あき子)


August 0282010

 三伏の白粥に芯ありにけり

                           小野恵美子

語「三伏(さんぷく)」は中国の陰陽五行説に由来する。詳しいことは歳時記などで調べていただきたいが、要するに、夏の暑い盛りの時期(新暦では七月中旬から八月上旬あたり)を言い、「拝啓、三伏の候」などと暑中見舞に使ったりしてきた。句の作者は、このの暑いさなかに病を得ている。食欲もあまりないのだけれど、体力をつけるために何かを食べておかなければならない。そこで粥(かゆ)を炊いてもらって食べたのだが、いささか出来損なっていて芯があったと言うのである。それだけの句だけれど、この句に隠れているのは粥を炊いた人の心持ちで、あまりの暑さに十分に火を使うことをせず、つい調理がぞんざいになってしまった。つまり、病人食にも手抜きをしてしまうほど暑い日ということで、句の作者にも作ってくれた人の気持ちはわかっている。だからそのことに怒るというよりも、むしろ何もかもがどうにもならない暑さのせいだと嘆息しているのである。暑いさなかの熱い粥。それを食べなければならない情けなさには、私にも覚えがある。まだまだ暑い日がつづきます。御身お大切に。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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