ポカリスエットでコーヒーを淹れてしまった。真夏の珍味也。(哲




2010ソスN8ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0882010

 熱出す子林間学校一日目

                           林 和子

だまだ貧しい時代に学生だった私には、修学旅行以外に旅行などに行く機会はありませんでした。長い夏休みも、だから基本的にはなにもやることもなく、毎日ごろごろしていた記憶があります。それでもどういった加減か、中学一年生のときに一度だけ、林間学校へ行かせてもらったことがあります。今考えれば、親もたくさんの子供を抱えて生活も大変だったろうに、よくそんなお金を出してくれたものだなと、ありがたくも思い出すのです。たった一度の林間学校だから、今でも鮮明に八ヶ岳に登ったことを覚えています。旅行の前の数日間は、待ち遠しくて仕方がなく、どうしてこんなに楽しいことが自分の人生に起こるのだろうと、わくわくしていました。おそらく繊細な感受性の子供であったなら、本日の句のように、そんなときにはなぜか熱などを出して楽しみも台無しになってしまうのでしょうが、生来鈍感なわたしは、幸せをそのまま欠けるところもなく、まるごと受け取ることができたのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


August 0782010

 みんみんを仰げる人の背中かな

                           酒井土子

らしい夏がないまま立秋を迎えた昨年と違い、今年はいやというほど真夏を実感。まだまだ暑い東京だけれど、八月に入ってからは朝から空がすっきり青い。そこに、ほわっと軽そうな雲の群が静かに流れて行くのを、ここ数日夏期講習の合間に9階の教室の窓から眺めている。空から少しづつ秋へ動いているのかもしれない。勤め先のある千代田区は、みんみん蝉が目立って多い。同じ東京でも家の近くは、にいにい蝉と油蝉が主流。時に耳鳴りのようにべったり聞こえるそれらの蝉と違い、みんみん蝉は一匹が主張して鳴くので、蝉の声に立ち止まって思わず木を見上げる、というのもみんみん蝉だから。緑蔭に立つその人の背中を少し離れて見ている作者。そこに同じ郷愁が通い合っているようにも感じられる。『神送り』(1983)所収。(今井肖子)


August 0682010

 山羊の怪我たのまれ診るや葉鶏頭

                           三嶋隆英

診のあと、「先生、うちの山羊が岩場で肢切りよったんでちょっと診てごしないや」「おいおい、俺は人は診るけんど、山羊は診たことねえな」「同じ生き物でしょうが。ちょこちょこっと頼みますけん」出雲弁ならこんなところか。作者は医師。地方だとこんなこともあるのだろう。僕の場合はちょうど逆、獣医師だった父にお尻にペニシリンを打ってもらった。肺浸潤の自宅療養中にどうしても医者に注射されるのが嫌だと暴れたせいだ。あとで父は、あれは危なかったなと反省しきり。僕は豚用のビタミン剤も舐めたことがある。自慢にはならないけど。『自註現代俳句シリーズ・三嶋隆英集』(1996)所収。(今井 聖)




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