この季節にはこの歌を。ちあきなおみ「祭りの花を買いに行く」。(哲




2010ソスN8ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1482010

 魚減りし海へ花火を打ちに打つ

                           沢木欣一

の句は、春陽堂の俳句文庫『沢木欣一』(1991)に、写真と共に掲載されている。彼方にうすく富士の影を置き、切り立った断崖に波が打ち寄せるモノクロームの写真、おそらく伊豆の西海岸だろう。伊豆の花火というと、熱海の海上花火大会。特に目立った演出はないのだが、広い熱海湾ならではの、どーんとお腹に響く単純な打ち上げ花火を、本当にこれでもかというほど連発するその素朴な迫力が好もしい。まさに、打ちに打つ、なのだが、こう詠まれると、そのひたすらな音と光が果てた後、どこまでも続く暗い海の、寂寥感を越えた静けさが思われる。盆行事に通じるという花火、鎮魂の意もこめられているというが、魚の減った海はまた多くの御霊の眠る海でもある。(今井肖子)


August 1382010

 懸巣飛び老いし伊昔紅踊るなり

                           水原秋桜子

昔紅(いせきこう)は「馬酔木」の俳人で「雁坂」主宰。兜太の父。京都府立医専出の医師で独協中学では秋桜子と同級。地元秩父で廃れかけていた秩父音頭を埼玉を代表する民謡として再生復活させたのも伊昔紅の功績である。この俳人のエッセー『雁坂随想』が長男兜太や二男千侍(せんじ)らの手によって刊行されているが、これがものすごい代物。あまりの破天荒に抱腹絶倒というより唖然として空いた口がふさがらない。例えば「芳草記」と題した文章は、野糞について自分の体験談が延々と語られる。「有名な《夏草やつはものどもが夢のあと》の夏草の代りに《夏クソ》を置き換へてみても結構筋が通る。》」この調子である。他にエロ話も随所に出てくる。それらきわどい話が混然として、全体としては秩父の風土と人間に対する愛情に満ちた一巻となっている。まさに兜太の原型を見る思い。この句、秋桜子の同級生をみつめる眼が温かい。秩父山中を飛ぶ鳥や秩父音頭も何気なく盛られている。こういうのを本物の挨拶句というのだろう。『雁坂随想』(1994)所収。(今井 聖)


August 1282010

 卓袱台におきて宿題法師蝉

                           足立和信

師蝉が鳴きはじめると夏休みも後半にさしかかる。ツクツクホーシ、ツクツクホーシと、特徴ある声に後回しにしてきた宿題に苦しめられたむかしを思い出す。掲句の子供は怠け者の私と違って朝食を終えたあと、きれいに拭きあげた卓袱台に夏休みの宿題帳をひろげるのを日課にしていたのかもしれない。涼しいうちに宿題を済ませると午後からは虫取りやプールに、いの一番に駆けつけたが、もう宿題の仕上げに精を出さないといけない時期。朝のうちから鳴きだしたつくつく法師にせかされるように問題を解いているのだろう。ちなみにこの頃の小学校では昔に比べだいぶ宿題が少なくなったと聞くが、そうだとすると掲句の情景なども卓袱台もろとも生活から消えてしまったかもしれない。『初島』(2010)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます