今日の東京の日の出は5時6分。夜明けは遅くなったが暑さは衰えず。(哲




2010ソスN8ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2482010

 八月のしずかな朝の出来事よ

                           鳴戸奈菜

本人にとって8月の持つ背景は深く重い。上五に置かれた「八月」の文字は、次の言葉を待つわずかな間にも胸を騒がせ、しくと痛ませる効果を持ってしまう。先の戦争がことに大きな影を落していることは確かだが、そこにとらわれ、身動きできなくなっているのではないかと、世界の8月の出来事を見渡してみた。すると、西暦79年の本日、ポンペイでは朝から不気味な地鳴りが続き、昼頃ヴェスヴィオ火山の大噴火によって消滅した日であった。この時節が持つやりきれなさと屈託は、もしかしたら全人類、世界的に共通しているのかもしれない。作品は〈山笑うきっと大きな喉仏〉〈あのおんな大の苦手と青大将〉の持ち前の明るくユニークな作品にはさまれ、饒舌のなかにおかれた静寂の一点でもあるように、ゆるぎない光りを放っている。俳誌「らん」(2010年・季刊「らん」創刊50号記念特別号)所載。(土肥あき子)


August 2382010

 校歌まだ歌えるふしぎ秋夕焼

                           渡邊禎子

れからの季節。大気が澄んでくるので、夕焼けもいっそう美しくなってくる。眺める気持ちも爽やかなので、作者は思わず歌をくちずさんでいたのだろう。いわゆる鼻歌に近い歌い方だ。しかし、気がつけばそれは何故か校歌だった。作者の年齢はわからないけれど、若い人ではないはずだ。もうずいぶん昔に習い覚えた校歌が、どうして自然に口をついて出てきたのだろうか。大人になってからは、ほとんど忘れていた歌である。「本当にふしぎだなあ」と、作者は首をかしげている。それだけの句だが、作者の気持ちの澄んだ爽やかさがよく伝わってくる。誰にでも起きることなのだろうが、気分の良いときに不意に出てくるメロディーや歌詞は、たしかに思いがけないものであることが多いようだ。このあたりの精神作用は、どこか心の深いところで必然性につながっているとも思うのだけれど、よくわからない。そう言えば、若い頃に「鼻歌論」をどこかに書いた記憶がある。何をどう書いたのか。この句を読んだときに思い出そうとしたが、手がかりがなくて思い出せなかったのは残念だ。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)


August 2282010

 早口な介護士が来て秋暑し

                           芦田喜美子

るほど、こんな情景も句になるのだなと、感心してしまいました。介護士が来たのだからこの家には病人か老人がいるわけです。畳敷きの狭い部屋には、背中の持ち上がるベッドが置いてあります。秋とはいえ暑い日が続いている間は、部屋の中にはけだるい空気が漂い、家族の話す言葉も静かでゆったりしたものになっています。そんなところにいきなり、外のにおいを全身に身につけて、威勢良く部屋に上がりこんで若い介護士が来たのでしょう。次から次へてきぱきと手順を説明する声は早くて大きく、日本語なのに、その意味をとらえることができません。おそらく病人とは対極にあるようなこの元気のよさは、住んでいるものだけではなく、部屋全体にとっての驚きであるわけです。そういえば、老いた母を病院に付き添ったときに、お医者さんの前で、にわかに自分の年齢や健康が気恥ずかしくなる感覚を持つのは、なぜなのでしょうか。つね日ごろは、仕事や人事のことであれこれ悩んでいる身も、親のそばに立つと、単に健康で、単純な生き物に自分が感じられてくるのです。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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