August 292010
サイロより人が首出し秋晴るる
木村凍邨
ずんどうの形の建物の、高いところに単純な窓がくりぬかれていて、そこから人が首を出しているというのです。おそらくその人は、秋に収穫した農産物か、あるいは家畜の飼料を収蔵する作業でもしていたのでしょう。この句を読んでいると、理屈ぬきにすがすがしい気持ちになります。その理由はおそらく、遠くへ放り投げられた視線にあるのではないかと思います。作者はあくまでもこちら側にいて、詠われている対象は適度な距離と、適度な高さのところ置かれています。まさに、対象に近づきすぎるなという、創作の基本を思い出させてもくれます。サイロの中は真新しい植物の匂いに満ち、むせ返るような命の熱に、思わず外の空気を吸いたくなったのでしょう。確認するまでもなく、秋の空は見事に晴れ、そのかけらがきらきらと、窓から入り込んで来ているのでしょうか。『合本 俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)
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