September 012010
二百十日馬の鼻面吹かれけり
高田 保
今日は二百十日。立春からかぞえて二百十日目にあたる。今夏は世界的に異常気象だったけれど、厄日とされてきたこの日、果たして二百十日の嵐は吹き荒れるのかどうか……。「二百十日」や「二百二十日」といった呼称は、近年あまり聞かれなくなった。かわって「エコ」や「温暖化」という言葉が、やたらに飛びかう時代になりにけり、である。猛暑のせいで、すでに今年の米の実りにも悪しき影響が出ている。さらに早稲はともかく、今の時季に花盛りをむかえる中稲(なかて)にとっては、台風などが大いに気に懸かるところである。ところで、馬の顔が長いということは今さら言うまでもない。長い顔の人のことを「馬づら」どころか、「馬が小田原提灯をくわえたような顔」というすさまじい言い方がある。馬の長い顔は俳句にも詠まれてきた。よく知られている室生犀星の傑作に「沓かけや秋日に伸びる馬の顔」がある。馬はおとなしい。その「どこ吹く風」といった長い鼻面が、二百十日の大風に吹かれているという滑稽。さすがの大風も、人や犬の鼻面に吹くよりは吹きがいがあろう、と冗談を言いたくもなる句ではないか。意外性の強い俳句というわけではないけれど、着眼がおもしろい。小説家・劇作家として活躍した保は、多くの俳句を残している。他に「広重の船にも秋はあるものぞ」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
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