ちょっとした書類書きを一日延ばしに。太陽のせいだ。(哲




2010ソスN9ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0392010

 鰯雲レーニンの国なくなりぬ

                           原田 喬

ルリンの壁が崩れて米ソ二大国による世界支配が終りアメリカの一国世界制覇が始まった。勝負がついたのである。史実の歴史的評価は勝者の側に味方するから正義はアメリカに集中する。戦争映画やスパイもので残虐の限りを尽くしたあげく負けるのはいつもドイツと日本そしてソ連。作者は大正二年生まれ。敗戦後長くシベリアに抑留された。横浜高商時代にマルクスを学び左翼運動に関わる。抑留時代は数千人の俘虜の代表としてソ連側との折衝に当たった。共産主義国家に抑留されたマルキストというのはなんとも皮肉な印象がある。そういえば天安門前に毛沢東の温容の額が飾ってあるが、文化大革命も紅衛兵も歴史的評価は今は最悪。主導者である毛主席だけを称揚するのはまさに政策。逆に言えばそれらすべての評価は将来覆る可能性もあるということだ。『長流』(1999)所収。(今井 聖)


September 0292010

 秋暑し謝ることを仕事とす

                           西澤みず季

ったいいつまでこの暑さは続くのだろう。九月に入っても平年以上に気温の高い日が続く。と、あまりありがたくない予報が出ているが、早く秋らしく爽やかな空気を味わいたいものだ。「謝ることが仕事」と言えばデパートのお客様相談室や企業の顧客窓口を思い浮かべるが、それだけではなく、働いていれば「謝ることが仕事」と自分に言い聞かせねばならぬ場面は出てくるもの。どんな理不尽なことを言われても反論する気持ちをぐっと抑え込み。ひたすら頭を下げる。下げた額からぽたぽたと汗がしたたり落ちる。何かと弁明したい気持ちを押し殺しつつ、相手へ頭を下げ続ける割り切れなさは、長引く暑さに耐える不快さに通じるかもしれない。それでも掲句のように「謝ることを仕事とす」とさらりと表現されれば、所詮仕事ってそんなもの。と開き直った潔さも感じられて、嫌な出来事にも距離をとって考えられそうだ。『ミステリーツアー』(2009)所収。(三宅やよい)


September 0192010

 二百十日馬の鼻面吹かれけり

                           高田 保

日は二百十日。立春からかぞえて二百十日目にあたる。今夏は世界的に異常気象だったけれど、厄日とされてきたこの日、果たして二百十日の嵐は吹き荒れるのかどうか……。「二百十日」や「二百二十日」といった呼称は、近年あまり聞かれなくなった。かわって「エコ」や「温暖化」という言葉が、やたらに飛びかう時代になりにけり、である。猛暑のせいで、すでに今年の米の実りにも悪しき影響が出ている。さらに早稲はともかく、今の時季に花盛りをむかえる中稲(なかて)にとっては、台風などが大いに気に懸かるところである。ところで、馬の顔が長いということは今さら言うまでもない。長い顔の人のことを「馬づら」どころか、「馬が小田原提灯をくわえたような顔」というすさまじい言い方がある。馬の長い顔は俳句にも詠まれてきた。よく知られている室生犀星の傑作に「沓かけや秋日に伸びる馬の顔」がある。馬はおとなしい。その「どこ吹く風」といった長い鼻面が、二百十日の大風に吹かれているという滑稽。さすがの大風も、人や犬の鼻面に吹くよりは吹きがいがあろう、と冗談を言いたくもなる句ではないか。意外性の強い俳句というわけではないけれど、着眼がおもしろい。小説家・劇作家として活躍した保は、多くの俳句を残している。他に「広重の船にも秋はあるものぞ」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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