rq句

September 1992010

 まげものを洗へばひかる秋の水

                           小池文子

社の昼休みに、人事のことなどで悩みながら歩いていると、街中の看板に目を奪われることがあります。「てびねりの楽しさ」と書いてある「てびねり」とは何だろうと、その看板を目にするたびに思います。でも会社に戻れば、待っている仕事に追われて、そんなことはすぐに忘れてしまうのです。もっとも、「てびねり」がどのような意味をもっていようと、わたしにはそれほどに興味がないのです。惹かれているのは、その語のたたずまいなのです。語は、すっとわたしの中に入ってきて、頭の中をきれいに冷やしてくれます。本日の句にも、同じような感想を持ちました。「まげもの」という言葉の響きのおおらかさに、なんだかあらゆるものの心が、素直に背中を曲げてくつろいでゆくような気持ちがします。ネットで調べれば「まげもの」とは、「檜(ひのき)・杉などの薄い板を円筒形に曲げ、桜や樺(かば)の皮でとじ合わせ、これに底をつけて作った容器。わげもの。」とあります。洗って光るまげものの曲線にそって、流れてゆく次の季節に、だれもがうっとりと見とれてしまいます。『合本 俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます