咋朝6時半に本家のサーバーがダウン。ご迷惑をおかけしました。(哲




2010ソスN10ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 06102010

 台風の去つて玄海灘の月

                           中村吉右衛門

右衛門は初代(現吉右衛門は二代目)。今年はこれまで、日本列島に接近した台風の数は例年にくらべて少ない。猛暑がカベになって台風を近づけなかったようなフシもある。九州を襲ってあばれた台風が福岡県西方の玄海灘を通過して、日本海か朝鮮半島方面へ去ったのだろう。玄海灘の空には、台風一過のみごとな月がぽっかり出ている。うたの歌詞のように「玄海灘の月」がどっしりと決まっている。「ゲンカイナダ」の響きにある種のロマンと緊張感が感じられる。「玄海灘」は「玄界灘」とも書くが、地図をひらくと海上に小さな玄界島があり、玄海町が福岡県と佐賀県の両方に実在している。玄海灘には対馬海流が流れこみ、世界有数の漁場となっている。また1905年には東郷平八郎率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を迎え撃った、知る人ぞ知る日本海海戦の激戦地でもある。海戦当時、吉右衛門は19歳。何ごともなかったかのような月に、日本海海戦の記憶を蘇らせ重ねているのかもしれない。高浜虚子と交流があり、「ホトトギス」にも顔を出した吉右衛門には『吉右衛門句集』がある。俳句と弓道を趣味としたそうである。浅草神社の句碑には「女房も同じ氏子や除夜詣」、修善寺梅林の句碑には「鶯の鳴くがままなるわらび狩」が刻まれている。台風の句には加藤楸邨の「颱風の心支ふべき灯を点ず」がある。平井照敏編『新歳時記』(1996)所収。(八木忠栄)


October 05102010

 電灯の紐に紐足す夜長かな

                           喜多杜子

の季題である夜長だが、一年でもっとも夜が長いのは冬至なのだから、真実というより、厳しい夏を越えてきた実感として生まれた言葉である。粘り強い残暑が続いた今年は、夜を夜として楽しめるひとときをことにありがたく思う。掲句は電灯から下がる紐に、さらに紐を足したという。それは、ベッドで読書をしながら眠くなったら手元で電気が消せるためになのか、または夜中にトイレに起きるときにも手元に紐があればすぐに灯すことができるという意味なのか。どちらにしても、自身を持て余すことなく向き合う作者の姿が表れるのは、人間の生活が昼間中心に動いているなかで、このように昼には邪魔になるかもしれないものを夜の時間のために設けるという行為だろう。長くなった夜を意識させ、日常というものがわずかに変化することに気づかされているのだ。『貝母の花』(2010)所収。(土肥あき子)


October 04102010

 寝ころべば鳥の腹みえ秋の風

                           大木あまり

の発見は単純だが新鮮だ。もちろん、寝ころばなくても鳥の腹は見える。いや、鳥は人間の目の位置よりも高いところを飛ぶので、いつだって私たちには鳥の腹が見えている。……というのは、しかし実は理屈なのであって、普通に立って鳥の飛ぶさまを見ているときには、私たちには鳥の腹は見えているのだが見てはいない。あらかじめ鳥の形状は知識として頭に入っているので、実際には見えていなくても、よくは見えない頭や尾や翼の形を補完して全体像を見ているような錯覚にとらわれているからだ。そういうふうに、私たちの視覚はできている。だが、寝ころんで鳥を真下から見上げてみると、さすがにいやでも腹がいちばんよく見える部分になるために、補完作業は後退してしまう。そのことをすっと書き留めたところが、作者の手柄である。爽やかな秋風の吹く野にある解放感が、この発見によってそれこそ補完されている。昨日の松下育男の言葉を借りれば、「創作というのは、多くの解説によって複雑に説明されるものがよいとも限らないのだなと、この句を読んでいると改めて認識させられ」ることになった。『星涼』(2010)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます