ときどき旧暦を見る。見たら、今日はちょうど九月朔日だった。(哲




2010ソスN10ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 08102010

 我を捨て遊ぶ看護婦秋日かな

                           杉田久女

性看護士への悪口。「芋の如肥えて血うすき汝かな」同時期にこんな句もある。僕の友人だった安土多架志は長く病んで37歳で夭折したが、神学校出で気遣いのある優しい彼でさえ、末期の病床で嫌な看護婦がいるらしかった。その看護婦が来るとあからさまに嫌な顔をした。病院という閉鎖的な状況に置かれた人の気持ちを思えばこういう述懐も理解できる気がする。同じように長く病んだ三好潤子には「看護婦の青き底意地梅雨の夜」ある。それにつけても看護の現場に生きる人は大変だ。閉鎖的空間に居ることを余儀なくさせられた病者の気持ちに真向かう職業の難しさ。俳句は共感というものを設定し、それに適合するように自己を嵌め込むのではなくて、まず、自分の思うところを表現してみるということをこういう俳句が示唆してくれる。「詩」としての成否はその次のこと。『杉田久女句集』(1951)所載。(今井 聖)


October 07102010

 小鳥来る驚くほどの青空を

                           中田 剛

苦しいほど太陽が照りつけていた夏空も過ぎ去り、継ぎ目のない筋雲が吹き抜ける空の高さを感じさせる。掲句では「驚くほどの」という表現で澄み切った空の青さを強調しているのだろう。そんな空を飛んできた小鳥たちが街路樹や公園の茂みにさえずっている。ちょんちょんと飛びながらしきりに尾を上下させるジョウビタキ、アンテナに止まってカン高い声で啼くモズ、赤い実をつついているツグミ。そこかしこに群れるムクドリ。鳴き声を聞くだけで素早く小鳥の種類を言い当てる人がいるが、私などは姿と名前がなかなか結びつかない。小鳥を良く知る人に比べれば貧しい楽しみ方だが秋晴れの気持ちのよい一日、可愛らしい小鳥とひょいと出会えるだけで幸せに思える。『中田剛集』(2003)所収。(三宅やよい)


October 06102010

 台風の去つて玄海灘の月

                           中村吉右衛門

右衛門は初代(現吉右衛門は二代目)。今年はこれまで、日本列島に接近した台風の数は例年にくらべて少ない。猛暑がカベになって台風を近づけなかったようなフシもある。九州を襲ってあばれた台風が福岡県西方の玄海灘を通過して、日本海か朝鮮半島方面へ去ったのだろう。玄海灘の空には、台風一過のみごとな月がぽっかり出ている。うたの歌詞のように「玄海灘の月」がどっしりと決まっている。「ゲンカイナダ」の響きにある種のロマンと緊張感が感じられる。「玄海灘」は「玄界灘」とも書くが、地図をひらくと海上に小さな玄界島があり、玄海町が福岡県と佐賀県の両方に実在している。玄海灘には対馬海流が流れこみ、世界有数の漁場となっている。また1905年には東郷平八郎率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を迎え撃った、知る人ぞ知る日本海海戦の激戦地でもある。海戦当時、吉右衛門は19歳。何ごともなかったかのような月に、日本海海戦の記憶を蘇らせ重ねているのかもしれない。高浜虚子と交流があり、「ホトトギス」にも顔を出した吉右衛門には『吉右衛門句集』がある。俳句と弓道を趣味としたそうである。浅草神社の句碑には「女房も同じ氏子や除夜詣」、修善寺梅林の句碑には「鶯の鳴くがままなるわらび狩」が刻まれている。台風の句には加藤楸邨の「颱風の心支ふべき灯を点ず」がある。平井照敏編『新歳時記』(1996)所収。(八木忠栄)




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