今日は朝から太陽が拝めそう。秋って意外に天気が悪いものだ。(哲




2010ソスN11ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 02112010

 実ざくろの裂けたき空となりにけり

                           下村志津子

の上では晩秋となったが、残暑の疲れも取れぬ間に、冬が横顔を見せているような今年に、明度の高い秋の晴天は数えるほどだった。あらゆる果実は美しい秋の空に冴える。ことにざくろの赤といったら。中七の「裂けたき」は、ざくろの心地といったところなので、「分かるわけない」と両断されてしまえばそれまでだが、それでもざくろにはそんな思いがあるのではないかと意識させる果実である。言わずと知れた鬼子母神を悲しい母の姿が背景に見え隠れしながら枝をしなわせるほどの重さにも屈託を感じる。「裂けたき」によって、ざくろの赤々と光りを宿した内部を思わせ、秋天の芯に向かって、今にもめりめりとまるで花開くように裂けてゆくのではないかと思わせる。句集名の可惜夜(あたらよ)とは、明けるのが惜しい夜。すごい言葉だ。〈可惜夜の鳴らして解く花衣〉〈連翹のさわがしき黄とこぼれし黄〉『可惜夜』(2010)所収。(土肥あき子)


November 01112010

 蓑虫を無職と思う黙礼す

                           金原まさ子

るほどねえ。言われてみれば、蓑虫に職業があるとは思えない。どこからこういう発想が出てくるのか。作者の頭の中をのぞいてみたい気がする。でも、ここまでで感心してはいけない。このユニークな発想につけた下五の、これまたユニークなこと。黙礼するのはべつに神々しいからとかご苦労さまだとかの思いからではなく、なんとなく頭が下がったということだろう。行為としてはいささか突飛なのだが、しかしそれを読者は無理なく自然に納得できてしまうから不思議だ。そしてわいてくるのは、諧謔味というよりもペーソスを含んだ微笑のような感情だ。企んだ句ではあるとしても、企みにつきまといがちなアクの強さを感じさせないところに、作者の才質を感じる。金原さんは九十九歳だそうだが、既成の情緒などとは無縁なところがまた素晴らしい。脱帽ものである。「したしたしたした白菊へ神の尿」「片仮名でススキと書けばイタチ来て」『遊戯の家』(2010)所収。(清水哲男)


October 31102010

 天高し洗濯機の海荒れてゐる

                           日原正彦

者は詩人。透明感のある美しい詩を、これまでに何編も生み出しています。初めてこの詩人の詩に出会ったときには、言葉の尋常でないきらめきに、強い衝撃を受けた記憶があります。ああ、日本の詩でもこれほどに胸をうつものが作品として成立するのだなと思い、それ以来わたしにとっては、詩を作るときの目標にもなっています。たとえば、「訪ねる人」という作品。「君は脱いだ帽子をあおむけにテーブルにおく/するとその紺青の深さに きらきらと/白い雲が浮かんでいたりして…/すると突然それは金魚鉢であったりして/ぼんやりした赤い色彩が/しだいに金魚の命を塑造し始める」(「訪ねる人」より)。ここに全編引用するわけにもいきませんから、このへんでやめておきます。この作者の名を、朝日俳壇で時折に見るようになったのは、いつごろのことだったでしょうか。詩人が句を詠むときにありがちな、鮮やかさに偏ることなく、句を作るときには句のよさを追求してゆくのだという姿勢が見られます。洗濯機は室内ではなく、秋空の見えるベランダにでも置いてあるようです。洗濯機の中を覗く詩人の目が、何を見つめ、この後、句をどのように育て上げようとして行くのか、楽しみではあります。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年10月25日付)所載。(松下育男)




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