すでに喪中はがきが3通。人は死ぬものだと、あらためて思う。(哲




2010ソスN11ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 21112010

 柔道着で歩む四五人神田に冬

                           草間時彦

とさら作者のことを調べなくても、句を読んでいれば、草間さんはサラリーマンをしていたのだろうなということが想像されます。俳人にしろ、詩人にしろ、作品からその人のことが思い浮かべられる場合と、そうでない場合があります。つまり、作品を人生に添わせている人と、引き離している人の2種類。もちろんどちらがいいとか悪いとかの問題ではなく、でも、僕は年をとってくるにつれ、前者の作品に心が動かされる場合が多くなってきたように感じます。本日の句は、まさに俳句でしか作品になりえない内容になっています。神田という地名から、やはり柔道着を着ているのは大学生なのかなと、感じます。ランニング練習のあとで、ほっとして校舎にもどる途中ででもあるのでしょうか。四五人分の汗のにおいと呼吸の白い色が、すぐそばに感じられる、そんな句になっています。『合本 俳句歳時記 第三版』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


November 20112010

 バス発てば君居なくなる寒くなる

                           辻田二章

は寒くても気持ちはあたたかい時もあればその逆もある。この句が生まれたのは、小春の休日だろうか。一緒に過ごしている間は、まさに賜った今日の日差しが何倍にも輝きを増して二人を包み、身も心もほわっとしているけれど、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。小さな今日だけの別れでも別れはさびしいものであり、それは会った時から、さらに会う前からわかっていたこと。バスが発ってしまって君がいなくなってだからさびしい、のではない。バスを見送りながら、わかっていたさびしさを今さらのようにかみしめていると、いつのまにか日は暮れていてさっきまで感じなかった寒さに急に襲われたのだろう。そして、今日一日の幸せな時間を思い出して、心にぬくもりを感じつつ家路をたどる作者である。『枇杷の花』(2001)所収。(今井肖子)


November 19112010

 冬の日と余生の息とさしちがふ

                           斎藤 玄

日がこちらに向って差してくる。こちらの余生の息を向こう側に向って吐く。冬日と息が交差する。真剣な冬日との対峙がここにある。はかない人の生と、太陽がある限りの冬日の永遠性が序の口と白鵬のように激突する。永遠という巨人に対峙して勝てるわけもない。しかしそのときその瞬間にそこに存在したという実感が得たいからさしちがえるのだ。他ジャンルと比べたとき俳句に誇りがもてるのはこういう句に出会ったときだ。まさに捨身の一句。『雁道』(1979)所収。(今井 聖)




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