冬らしい冬になるという予報。なってくれなくてもいいんですが。(哲




2010ソスN11ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 27112010

 猫の目に海の色ある小春かな

                           及川 貞

っ越して一年足らず、さすがにもう段ボールはないけれど、捨てられなかった古い本や雑誌がとりあえず棚に積まれている。それを少しずつ片付けていて「アサヒグラフ」(1986年7月増刊号)に遭遇した。女流俳句の世界、という特集で、美しい写真とともに一冊丸ごと女性俳人に埋め尽くされ、読んでいるときりもなく結局片付かない。そのカラーグラビアにあったこの句に惹かれ、後ろの「近影と文学信条」という特集記事を読みますます惹かれた。今ここに書けないのが残念だが、淡々とした語り口に情熱がにじんでいる。句帳を持たず、その時々の句は頭の中にいくつもありそれで十分、とあるが、この句もそんな中のひとつなのか。小さな猫の目の中に広がる海は、作者の心の奥にある郷愁の色を帯びて、さまざまな思いごと今は日差しに包まれている。(今井肖子)


November 26112010

 冬の鹿に赤き包を見せてゆく

                           長谷川かな女

覚の句。冬から連想されるモノクロのイメージに実際の色である赤を合わせた。つまり白と赤の対照である。食いしん坊の鹿の興味を引くような包みをみせるという「意味」ももちろん内容としてのテーマだが、それ以上に色調に対するセンスを感じさせる。70年以上も前の句なのに古さを感じさせないのは俳諧風流や花鳥諷詠的情緒といったツボに執心することなく目の前の「日常」を写し取ったからだ。そのときその瞬間の「現実」こそが普遍に到る入口である。『雨月』(1939)所収。(今井 聖)


November 25112010

 偵察衛星大根が煮くずれる

                           櫻木美保子

近、探査機「はやぶさ」が小惑星に着陸し採集した物質を持ち帰り話題になった。掲句では煮くずれる「大根」と「偵察衛星」という摩訶不思議な取り合わせだけど、その飛躍の大きさに何となく惹かれる。なぜ作者は煮くずれる大根を見て偵察衛星に考えがいたったのだろう。「偵察衛星」だから「はやぶさ」のように未知の世界に出かけるのではなく、地球の周りを回りながら、こっそりとある場所の映像を送り続けているのだろう。その地表のイメージを煮崩れる大根に重ねているのか。作者の胸の内は想像するしかないけど、大根をことこと煮込む時間と地球を廻り続ける衛星の単調な時間が重なりあったのだろう。台所にある日常が不穏さを持った別の世界へ引き延ばされる感じがする。『だんだん』(2010)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます