十二月。毎日が日曜日の私も周囲につられて気ぜわしくなる月。(哲




2010ソスN12ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 01122010

 凩や何処ガラスの割るる音

                           梶井基次郎

内を吹き抜けて行く凩が、家々の窓ガラスを容赦なくガタピシと揺らす。その時代のガラスは粗製でーーというか、庶民の家で使われていたガラスは、それほど上等ではなかっただろうし、窓の開け閉めの具合もあまりしっかりしていなかったから、強風に揺さぶられたら割れやすかったにちがいない。聞こえてくるガラスの割れる音が「何処(いづこ)」という一言によって、情景の広がりを生み出していて一段と寒々しい。目の前ではなく、どこぞでガラスの割れる音だけ聞こえてハッとさせられたのだ。同じ凩でも、芥川龍之介の「凩や東京の日のありどころ」とはまたちがった趣きをもつパースペクティブを感じさせる。三好達治がこんなエピソードを残している。あるとき基次郎に呼ばれて部屋へ行ったら、「美しいだろう」と言ってコップに入った赤葡萄酒をかかげて見せられた。なるほど美しかった。しかし後刻、それは今しがた基次郎が吐いたばかりの喀血だったとわかったという。「ガラスの割るる音」にも、基次郎の病的世界を読みとることができる。他に「梅咲きぬ温泉(いでゆ)は爪の伸び易き」がある。この句も繊細で基次郎らしい着眼である。三十一歳の若さで亡くなったゆえ、残された小説は代表作「檸檬」など二十編ほどで、俳句も多くはない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 30112010

 鉄筆をしびれて放す冬の暮

                           能村登四郎

写版の俗称であるガリ版の名は、鉄筆が原紙をこするときにたてる音からきているというが、この名に郷愁を覚える世代も40代以上になるだろうか。鉄筆は謄写版に使用する先端が鉄製のペンである。用紙には薄紙にパラフィンなどが塗ってあるロウ紙を用い、鉄筆で文字を書くと塗料が削られることで、インクが収まる溝ができる。ちょっとした彫刻にも似て、指先にかかる筆圧はおしなべて均等でなければならず、ペンで書く場合とは大きく異る。学校のテストやお知らせ、文集などに活躍したが、コピー機やパソコンという技術にあっという間にその座は奪われた。テスト以外では、生徒を数人呼んで時折手伝わせることもあり、職員室に満ちるかりかりという乾いた音のなかに入ることはほこらしくもあった。子どもにとっては、慣れない文具はどれも新鮮で、間違ったときの修正液のマニキュアのようなボトルを使うとき、なんだかとっても大人になったような気がしたものだ。あっという間に暗くなる冬の日に、先生たちは学生の姿が消えた放課後の運動場を眺めながら、疲れた腕を伸ばすのだろう。鉄筆から生まれた文字は、読みにくい字であれ、きれいな字であれ、どれも先生の匂いがするようなぬくもりがあった。『能村登四郎全句集』(2010)所収。(土肥あき子)


November 29112010

 母すこやか寒の厨に味噌の樽

                           吉田汀史

違っているかもしれないが、まだ作者の母親が元気だった頃の回想句だろう。と言うのも、このところ私の母が歩行困難になり、ヘルパーの手を借りて生活している(現在は心不全で入院中)ので、そう思ったわけだ。ふだんは気がつきもしないのだが、専業主婦である母親の健康のバロメーターは、句のように厨(台所)の状態に表れることにいまさらのように気がついたからである。母が使わなくなった台所の様子は、食器や調味料の類いに至るまでの置き場所一つにしても、どことなく違って見える。同じような配置にはなっているが、やはり母とは微妙に物の向きが異なっていたりするので、すぐに他人の手の働いた跡が感じ取れてしまう。作者はおそらくそんな体験を経た後に、味噌の樽一つの置き場所とそのたたずまいの変化の無さが、実は母親の元気な証拠であったことを発見しているのだ。寒中の味噌の樽は、見た目には当然寒々しい。が、この句のそれは、ちっとも寒々しくもないし冷え冷えともしていない。「母すこやか」の魔法が効いているのだ。『季語別 吉田汀史句集』(2010)所載。(清水哲男)




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