菅内閣は歯切れが悪い。ある意味では誠実なんだけど芝居も必要。(哲




2010ソスN12ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 02122010

 わが家の二階に上る冬の旅

                           高橋 龍

ばしば雨戸で閉ざされた二階を見かけることがある。夜になると一部屋に灯りがともるので誰かが暮らしていることはわかるが、家族が減り二階へ上がることもなくなっているのだろう。掲句はシューベルトの歌曲『冬の旅』が踏まえられているように思う。『冬の旅』は失意の青年がさすらう孤独な旅がテーマだが、その響きには灰色に塗り込められた暗いイメージが漂う。遠くへ行かなくとも我が家の二階に上るのに寒々とした旅を感じるのは、そこが日々の暮らしからは遠い場所になっているからではないか。小さい頃人気のない二階にあがるのは昼でも怖かったけれど、家族がいれば平気だった。そう思えば誰も住まない二階では障子や机も人の生気に触れられることなく冬枯れてしまうのかもしれない。『異論』(2010)所収。(三宅やよい)


December 01122010

 凩や何処ガラスの割るる音

                           梶井基次郎

内を吹き抜けて行く凩が、家々の窓ガラスを容赦なくガタピシと揺らす。その時代のガラスは粗製でーーというか、庶民の家で使われていたガラスは、それほど上等ではなかっただろうし、窓の開け閉めの具合もあまりしっかりしていなかったから、強風に揺さぶられたら割れやすかったにちがいない。聞こえてくるガラスの割れる音が「何処(いづこ)」という一言によって、情景の広がりを生み出していて一段と寒々しい。目の前ではなく、どこぞでガラスの割れる音だけ聞こえてハッとさせられたのだ。同じ凩でも、芥川龍之介の「凩や東京の日のありどころ」とはまたちがった趣きをもつパースペクティブを感じさせる。三好達治がこんなエピソードを残している。あるとき基次郎に呼ばれて部屋へ行ったら、「美しいだろう」と言ってコップに入った赤葡萄酒をかかげて見せられた。なるほど美しかった。しかし後刻、それは今しがた基次郎が吐いたばかりの喀血だったとわかったという。「ガラスの割るる音」にも、基次郎の病的世界を読みとることができる。他に「梅咲きぬ温泉(いでゆ)は爪の伸び易き」がある。この句も繊細で基次郎らしい着眼である。三十一歳の若さで亡くなったゆえ、残された小説は代表作「檸檬」など二十編ほどで、俳句も多くはない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 30112010

 鉄筆をしびれて放す冬の暮

                           能村登四郎

写版の俗称であるガリ版の名は、鉄筆が原紙をこするときにたてる音からきているというが、この名に郷愁を覚える世代も40代以上になるだろうか。鉄筆は謄写版に使用する先端が鉄製のペンである。用紙には薄紙にパラフィンなどが塗ってあるロウ紙を用い、鉄筆で文字を書くと塗料が削られることで、インクが収まる溝ができる。ちょっとした彫刻にも似て、指先にかかる筆圧はおしなべて均等でなければならず、ペンで書く場合とは大きく異る。学校のテストやお知らせ、文集などに活躍したが、コピー機やパソコンという技術にあっという間にその座は奪われた。テスト以外では、生徒を数人呼んで時折手伝わせることもあり、職員室に満ちるかりかりという乾いた音のなかに入ることはほこらしくもあった。子どもにとっては、慣れない文具はどれも新鮮で、間違ったときの修正液のマニキュアのようなボトルを使うとき、なんだかとっても大人になったような気がしたものだ。あっという間に暗くなる冬の日に、先生たちは学生の姿が消えた放課後の運動場を眺めながら、疲れた腕を伸ばすのだろう。鉄筆から生まれた文字は、読みにくい字であれ、きれいな字であれ、どれも先生の匂いがするようなぬくもりがあった。『能村登四郎全句集』(2010)所収。(土肥あき子)




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