追悼集『草森紳一が、いた。』を読んでいる。時は過ぎ行く。(哲




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December 24122010

 蛇の肉わかちて二寸なおくねる

                           秋山牧車

車さんは大本営陸軍情報参謀。大将山下奉文指揮下のフィリピン方面軍に終戦一年前に派遣されマニラ山中にて米軍に抗戦のあと終戦で投降。捕虜となる。この句の真骨頂は「二寸なおくねる」。銃後において戦火の前線を想像で描いた作品はいわゆる「戦火想望俳句」とよばれるが、それらは戦争の悲惨や前線の様子が常識と類型的先入観の域を出ない。体験していない事柄には事実に伴う夾雑物が入らない。表現が扁平になるのである。実はその夾雑物こそがリアルの根源。では俳句はフィクションではだめなのか。だめだとはいわないが、想像だけでこの夾雑物を出せるかどうか。この句のテーマが飢えの果てに蛇を食うことだとすると、そこまでは想望俳句でも詠める。問題はそのあと。「二寸なおくねる」は体験したものにしか詠めない。倫理的な正義やいわゆるそれらしい「想望」にまどわされてはならない。俳句の力はこういう「細部」にこそ宿る。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(今井 聖)


December 23122010

 鬱という闇に星撒く手のあらば

                           四ッ谷龍

ら命を断つ人は10数年連続で年間3万人を超えるという。朝夕の通勤途上、人身事故での電車の遅延は日常の一部となり、その慣れがおのれの感受性を摩滅させてゆくようで恐ろしい。子供からおとなの世界にまで蔓延する「うつ」は正体不明の「もののけ」のようなもので、その閉塞感が暗雲のごとく現代社会全体を覆っている。と、宗教学者の山折哲雄がどこかに書いていた。掲句の「鬱」も行きどころをなくして淀み、人を不安に陥れてゆく闇。つなぐ手を失ったまま個々に切り離された生き難い世の中に「星撒く手」という後半部の願いが眩しく感じられる。まことに生きる希望を撒いてゆくそんな手があるならばどれだけ救われるだろう。闇に閉ざされた人を救うのは人の結びつき以外にはなく、手を差し伸べる優しさ以外ない。今ほどその煌めきが恋しい時代はないのではないか。句にこめられた切実な思いが心に響く。『大いなる項目』(2010)所収。(三宅やよい)


December 22122010

 極道に生れて河豚のうまさかな

                           吉井 勇

豚チリの材料は、今やスーパーでも売っているから家庭でも容易に食べられる。とはいえ、河豚の毒を軽々に考えるのは危険だ。けれども、それほど怖がられないという風潮があるように思う。まかり間違えば毒にズドン!とやられかねない。この場合、河豚は鍋であれ刺身であれ、滅多なことには恐れることなく放蕩や遊侠に明け暮れる極道者が、「こんなにうまいものを!」と見栄を切って舌鼓を打っているのだ。ここで勇は自分を「極道」と決めつけているのである。遊蕩と耽美頽唐の歌風で知られた歌人・勇の自称「極道」はカッコいい。恐る恐る食べるというより、虚勢であるにせよ得意満面といった様子がうかがわれる。極道者はそうでなくてはなるまい。「河豚鍋」という落語がある。旦那は河豚をもらったが怖くて食べられない。出入りの男に毒味をさせようと考えて、少しだけ持たせてやる。二、三日して男に別状がないので、旦那は安心して食べる。男「食べましたか?」旦那「ああ、うまかったよ」男「それなら私も帰って食べよう」。ーーそんな時代もあった。原話は十返舎一九の作。蕪村には「逢はぬ恋おもひ切る夜やふぐと汁」があり、西東三鬼には「河豚鍋や愛憎の憎煮えたぎり」がある。いかにも。平井照敏編『新歳時記・冬』(1996)所収。(八木忠栄)




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