2011N1句

January 0112011

 新年や人に疲れて人恋ふる

                           梧 六和

けましておめでとうございます。お正月の句を、と思いながら探すうち出会ったこの句の作者は、集まった親戚やひっきりなしに訪れる賀客に疲れているのか、初詣に行った神社か初売りの人混みに疲れているのか。いずれにせよ、年が改まったら一番に会いたい人には会えずにいるのだ。それは友人か、家族か、それとももっと特別な人か。一人で居る時しみじみ思うよりも、たくさんの人に囲まれながら、今傍にいないその人を思う瞬間の方がより強く自分の思いを感じるものだろう。恋われているその人も、同じようにふと作者を思っているのかもしれない、などとあれこれ思いをめぐらせながら読んだ。『図説 俳句大歳時記 新年』(1965・角川書店)所載。(今井肖子)


January 0212011

 ノートパソコン閉づれば闇や去年今年

                           榮 猿丸

時記によると、去年今年とは、「去年と今年」という並列の意味ではなく、年の行き来のすみやかなことをいうとあります。ということは今日の句は、大晦日の夜から元旦にかけてノートパソコンで作業をしていたことになります。ノートパソコンという言葉から思いつくのは、やはりオフィスの中です。深夜の、それもその年の最後まで仕事をしているところを想像してしまいます。年末まで仕事をしていた同僚も、一人、二人と「よいお年を」の挨拶をして帰っていったなと、思いながら集中して画面に見入っていたようです。気がつけば広いオフィスは自分のところだけに電気がついていて、あとは右も左も真っ暗です。やっと終えた仕事は、年初の会議に使う資料ででもあるのでしょうか。「なんとか終わったか」と安堵して時刻を見れば、気づかぬうちにすでに新年を迎えてしまっています。ほっと一人で笑みがこぼれてきます。明かりを消して、やっと昨年と、PCが閉じられます。『超新撰21』(2010・邑書林)所載。(松下育男)


January 0312011

 子規うさぎ虚子いぬ年や年巡る

                           矢島渚男

を折って数えてみると、ということは、子規と虚子とは七歳違いだ。二人の干支など思ったこともないけれど、こうして並べられてみると面白い。子規の柔軟さはたしかに「うさぎ」を思わせ、虚子の狷介さは「いぬ」に通じるところがあるような気がする。で、子規が年男ならば、今年は何巡目になるのだろうと、誰もがつい数えてみたくなる。これまた、俳句の妙味というものだろう。それぞれの人には干支があり、今年もまたそれぞれに年が巡ってきた。どんな年になるのだろうか。私が小学一年生くらいで干支を覚えたてのころ、家族や知人にそれぞれの干支を聞きまくったことがあった。自分は「とら」、父は「ねずみ」、母は「たつ」と、みな違っていた。で、遊びにきた叔父に聞いてみたら、「哲ちゃんと同じだよ。とらだよ」と答えた。私は覚えていないのだが、そのときとっさに口をとんがらせたらしい。「そんなことないよ。だって、おじさんはもう大人じゃないか。おんなじトシじゃないじゃないか」。後年、よく母が笑いながら話してくれたものだ。「俳句」(2011年1月号)所載。(清水哲男)


January 0412011

 初鴉わが散策を待ちゐたり

                           相生垣瓜人

くて大きな鴉は、その頭の良さに狡猾を感じさせるところもあり、多くの人に嫌悪される傾向にある。一方、「初鴉」が季語にもなっている由縁は、日常における迷惑な鳥という姿以外に、古くから神の使者としての役割りも担っている。烏信仰として知られる熊野三山の各大社で配布される神札は鴉が絵文字となっており、現在でも護符として使用され、神とのつながりを保っている。掲句はいつもの散策コースに必ずいる鴉が今日は特別な初鴉となって作者の前に現れたのである。一年のほとんどを嫌われ者として過ごす鴉だが、このときだけは堂々と吉兆の象徴として、そのつややかな黒い姿もどことなく神々しく見えてくるから不思議である。歳時記で見られる初鴉、初雀、初鳩。人間の生活とともに繁殖してきた鳥たちへの役どころはどれも清々しく好ましい。『相生垣瓜人全句集』(2006)所収。(土肥あき子)


January 0512011

 おとなしく人混みあへる初電車

                           武原はん女

年の季語には「初」が付くものが驚くほど多い。笑って「初笑い」、泣いて「泣初」である。まあ、めでたいと言えばまことにめでたい。売っても、買っても、「売初」「買初」と「初」は付いてまわるのだから愉快だ。日本人の初ものに対するこだわりの精神は相当なもの。武原はん(俳号:はん女)の場合だったら「初舞」だろう。正月気分で電車は特ににぎやかなことが多いだろうけれど、着飾って妙にとり済ましている人もあるにちがいない。正月も人が出歩く頃になり混み合っているにもかかわらず、乗客はおとなしく静かに窓外に視線を遊ばせて、新年を神妙にかみしめているという図だろう。あわただしい年末、先日までの喧噪との対比が、この句の裏にはしっかり押さえられていると言える。ホッとして、しばしこころ落着く世界。「初電車」にしても「初車」にしても、電車や車はあまりにも私たちの日常身近なものになってしまったゆえに、季語として格別詠みこまれる機会が今は少ないかもしれない。はんは俳句を虚子に学び、句集『小鼓』などがある。虚子の句に「浪音の由比ケ浜より初電車」がある。のどかな江ノ電であろう。鎌倉の初詣とは別ののんびりした正月気分がただよう。平井照敏編『新歳時記・新年』(1996)所収。(八木忠栄)


January 0612011

 鏡餅真ッ赤な舌をかくしけり

                           鳥居真里子

や六日となり正月気分もだいぶ薄らいだ。そうとは言っても部屋を見渡せば、お飾りも鏡餅もそのまま残されている。掲句の鏡餅はパックに入った小さなのではなく、床の間に飾る本格的で立派なものが似合いだ。田舎では蒸してつきあがったアツアツの餅の塊から、まず鏡餅の上下を作った。丸餅を丸める要領で熱いうちに一気に成型しないときれいな形に仕上がらない。飾り方もいろいろあるのだろうけど、うちでは白木の三方の上に裏白を敷いてのせ、上下の餅の間に昆布を挟み込んでいた。真白なモチのどこから掲句の奇想が湧いてくるのか不思議だけど、新年を寿ぐ鏡餅の類想、類句とは無縁だろう。この場合鏡餅と舌の連想をつなぐものは垂れた昆布あたりかもしれぬが、「真ッ赤」の形容にめでたさの裏に隠れた悪意や怖さが感じられる。真赤な舌を隠したまま素知らぬふりで正月の主役を務めていた鏡餅も割られておぜんざいになる日も近い。『月の茗荷』(2008)所収。(三宅やよい)


January 0712011

 冬すみれおのれの影のなつかしき

                           川崎展宏

分の影を懐かしいと思うのは青春期の感慨ではない。人生も半ばが過ぎたと実感するに伴う感慨だろう。この俳人の作風は、優しさ、淡さ、思いやり、挨拶。ゆったり、ひろびろとした、豊かな世界を感じさせるもの。ひょっと口をついて出るような日常の機微。展宏さんは楸邨の弟子だが、同時に森澄雄さんの弟子。自分を追い詰める観念、苦渋の吐露、凝視、その結果の字余り、破調。そんな楸邨の特徴から離れて上記のような世界を希求した。そこで森さんの傾向と重なる。そして展宏さんの方がもっと「俳諧」への関心が強固。『夏』(1990)所収。(今井 聖)


January 0812011

 子の祈り意外に長き初詣

                           小川龍雄

供の頃の初詣の記憶は定かでない。近所のお稲荷さんにちょこちょこ手を合わせていたことは覚えているが、思い出すのは狐の顔と首に巻かれた赤い布が恐かったことぐらいだ。それはきっと、初詣といっても言われるままに形だけ手を合わせ、わけも分からず頭を下げていたからだろう。お願い事をする、というのは良くも悪くも欲が生まれるということで、成長のひとつといえる。この句の「子」は成人男子、父と二人の初詣か。家族の健康と仕事の事少々、くらいを願って顔を上げた父は、目を閉じてじっと手を合わせている息子の横顔をしばし眺めている。願うというよりは祈るような真剣なその横顔に、一人前の男を感じている父。意外に、という主観的な言葉には、父親としての感慨と同時にいくばくかの照れが感じられてほほえましくもある。同人誌『YUKI』(2010年冬号)所載。(今井肖子)


January 0912011

 餅間のピザの出前もよからずや

                           尾亀清四郎

語は餅間(もちあい)。歳時記によりますと、昔は年末だけではなくて小正月にも餅をついたようで、小正月前の餅がなくなった時期のことを言うようです。最近は年末でさえ餅をつく家がほとんどありません。まして小正月に餅をついているところなど、一度も見たことはありません。それでもこの句がちょっと分かるのは、正月のお雑煮やお節が続くと、もうご馳走にうんざりしてきて、いつものあたりまえな食事が懐かしくなってくるからなのです。トーストとコーヒーで済ませたいなと思ったり、お茶漬けやカレーライスが無性に食べたくなったりもしてくるのです。長年生きているから、そんなことはとうに分かっているわけですが、それでも正月近くになると、お雑煮を楽しみにする心が湧いてくるのは、悲しいかな、どうしても押しとどめることができません。『角川俳句大歳時記 新年』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


January 1012011

 この一匹成人の鯛なりき亡父よ

                           駒走鷹志

人の日が巡ってくるたびに、ポール・ニザンの有名な一行を思い出す。「僕は二十歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」。『アデン・アラビア』を読んだのは二十歳を過ぎてからだったが、いつもこの言葉には共感してきた。実際、二十歳とはつづけてニザンが言ったように、ひでえ年頃である。「一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人たちの仲間に入ることも」。現代の二十歳が自分の年齢をどう感じているのかは知らないが、掲句の作者はそうした辛さを踏まえた上で、なお冥界の亡父(ちち)に二十歳になった喜びを報告しているのだと思う。存命でともに祝えれば、どんなに嬉しいだろうか。そんな思いが切々と伝わってくる。が、残酷なことを言うようだが、この感情は父が不在だからこそ湧いてくるのであって、もし存命ならば、作者もまたニザンのように家族や世間の祝福などは昂然と拒否したかもしれない。つまり、今日成人式を迎えた若者たちのなかで、最も生きていることの喜びを味わう者は、父との死別などなんらかの欠落を背負った者たちだろう。かつての私のように何の感慨もなくこの日をやり過ごす若者ばかりではないことを、掲句がひりひりと教えてくれた。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


January 1112011

 遠吠えが遠吠えを呼ぶ霜夜かな

                           松川洋酔

ょうど本日1が重なるワンワンワンの日に合わせて犬の句を。遠吠えとは、犬や狼が身に危険を察知したときにする情報伝達のための呼び声である。町で飼われている犬たちが、パトカーや救急車のサイレンに反応するという現象は、サイレンの高低が遠吠えに似ているためといわれ、大きな車が危険を知らせながら猛スピードで通り抜ける姿に、縄張りを荒らされていると勘違いしたペットが威嚇のリレーをする。群れから遠ざかり、人間との生活が長い犬が、遠吠えという犬同士でしか理解できない声を手放さない事実に切なさを感じるのは、過去の歴史のなかで野生の獣として走り回っていた姿があったことを強く思い出させるからだろう。霜が降りる夜は気温が低く、よく晴れ、風のない日だという。張りつめたような霜の夜、犬が持つ高性能の鼻や耳は、なにを嗅ぎ分け聞き分けているのだろう。イギリスの作家サキの傑作「セルノグラツ城の狼」では、ある家柄の者が死に近づくと森の狼が一斉に遠吠えをする。これが実に誇り高く美しいものだった。掲句に触発され、読み返している。〈明らかに戻りしあとや蜷の道〉〈炭足してひととき暗くなりにけり〉『家路』(2010)所収。(土肥あき子)


January 1212011

 打ちあげて笑顔のならぶ初芝居

                           松本幸四郎

年の「壽初春大歌舞伎」(初芝居)は1月2日に幕があいた。東京では歌舞伎座が改築中なので、新橋演舞場や浅草公会堂などで26日まで。演し物は「御摂勧進帳」「妹背山婦女庭訓」他。大阪は大阪松竹座で上演中である。もう早々にご覧になった方もいらっしゃるでしょう。毎年のこととはいえ、初芝居は出演者それぞれに新鮮な緊張感があるものらしい。千龝楽まで無事に終わって打ちあげともなれば、出演者はもとよりスタッフ一同ホッとして笑顔笑顔の打ちあげであろう。他の興行でも同様だろうと思われるが、大所帯で初芝居を終えての達成感・安堵感は格別のもがあるのは当然。幸四郎は八代目幸四郎(白鸚)の長男として生まれ、三歳の時に初舞台を踏んだ。幸四郎がかつて「俳句朝日」に連載していた俳句に、私は親しんだことがあるけれど、虚子に学んだ祖父中村吉右衛門(初代)の一句「雪の日や雪のせりふを口ずさむ」が、自分を俳句の世界に誘ってくれたと述懐しており、「ひょっとしたら俳句は、神からの短い『言葉の贈り物』なのかもしれない」とも書いている。掲句は『松本幸四郎の俳遊俳談』(1998)に収めた句と、その後の句を併せて編集された句集『仙翁花』(2009)に収められたなかの一句。他に「神々の心づくしの雪の山」がある。初芝居と言えば、宇多喜代子に「厄介なひとも来てをり初芝居」がある。(八木忠栄)


January 1312011

 一月の魯迅の墓に花一つ

                           武馬久仁裕

者が中国へ旅したときに作った句。国内での吟行とは違い海外で句を詠むとなると日本での季節の順行や季の約束ごととは違う世界へ出てゆくことになる。作者は「俳句と短文の織り成す言葉による空間を満足の行く形で作ってみたくなったからである」とこの句集を編むに至った動機をあとがきで述べている。風習の違いや物珍しさで句を詠んでも単なるスナップショットで終わってしまう。(もちろんそれはそれで楽しさはあるのだが)作者は現在の中国を旅して得た経験と歴史や文学で認識していた中国を重ねつつ「日常であって日常でない」世界を描き出そうとしている。一月、と一つという簡潔な数字の図柄が世間の人々に忘れられたかのような寂しい墓の風情を思わせる。その墓の在り方は「藤野先生」や「故郷」といった魯迅の作品に流れる哀感に相通じているように思える。真冬の魯迅の墓に添えられた花の種類は何だったのだろう。「玉門関月は俄に欠けて出る」「壜の蓋締めて遠くの町へ行く」『玉門関』(2010)所収。(三宅やよい)


January 1412011

 励まされゐて火鉢の両掌脂ぎる

                           櫻井博道

邨先生居という前書あり。博道(はくどう)さんは宿痾となった結核との永い闘病生活の果てに平成三年六十歳で逝去。痩身でいつもにこにこと優しい人柄であった。作風もまた人柄に同じ。師加藤楸邨はことのほかその作品と人柄を愛した。句集『海上』にはあたたかい師の跋文がある。楸邨は後年は弟子の句集に序文や跋文は書かない主義を通したので、おそらくこれが最後の跋文ではなかったかと思う。晩年楸邨居の座談会に僕も同席したが、楸邨は博道さんの足の運びにも気を遣っていた。この句も楸邨が博道さんを励ましているのである。脂ぎるという言葉は健康な人間にとっては決して清潔な語感ではないが、宿痾を抱える作者は体全体から噴き出す気持ちの高揚というほどの積極的な意味で用いている。博道さんのあの研ぎ澄まされたような痩身を思いだすとこの脂ぎるがなんとも切なく胸に迫ってくる。『海上』(1973)所収。(今井 聖)


January 1512011

 折鶴のふつくらと松過ぎにけり

                           峯尾文世

が家では正月七日に松飾りをはずすが、所によってさまざまらしく、ひとくくりに関東と関西で異なるとも言えないようだ。ともあれ、松がとれれば松過ぎ、普段通りの生活に戻るが、年が改まったという新しい心地がしばらく残っている。今年の東京は、寒の入りからぐっと冷えこんで来てこれからが寒さも本番だなと思いながら、この句を読んで久しぶりに鶴を折ってみた。直線で形作られた折鶴に最後に息を吹きこむと背中がふくらんで、その独特の姿が完成する。テーブルにそっとのせると、午後の日差しが折鶴にうすい影を作っている。確かに寒いけれど、小正月が過ぎれば立春まで三週間を切るのだとふと思う。冬至の頃、これからは昼が長くなる一方と少しうれしくなるように、松過ぎには待春の心が芽生えるものなのだなと、折鶴の背中のやわらかな曲線を見つつあらためて感じた。上智句会句集「すはゑ(木偏に若)」(2010年8号)所載。(今井肖子)


January 1612011

 夢に見れば死もなつかしや冬木風

                           富田木歩

木風はそのまま「ふゆきかぜ」と読みます。日本語らしい、よい言葉です。ところで、ここで懐かしがっているのは、だれの死なのだろうと思います。普通に考えれば親でしょうか。でも、私も亡くなった父親の夢を時折に見ることはありますが、たいていは若いころの、元気の良かった姿ばかりです。親父の死んだときの夢なんて、見たことはありません。それに、夢に見ているときというのは、つらいことは現実よりもさらにつらく感じるので、人の死の夢を見るなんて、想像するだけでも胸が苦しくなってきます。あんまりつらい夢を見ているときには、そのつらさに耐えられずに目が覚めてしまうことがあります。ああ夢でよかったと、布団の中で安堵したことがこれまで幾度もあります。でも、この句はそうではなく、もっと素直に、死んだ人たちに夢の中で会えて懐かしかったと、まっすぐに受け止めればよいのかもしれません。死も、一生という夢の中の、一部なのだから。『作句歳時記 冬』(1989・講談社)所載。(松下育男)


January 1712011

 老人のさすられどほし日向ぼこ

                           大木あまり

ょっと見には、まことに微笑ましい光景だ。昨年は父母のこともあり、介護施設などに行く機会が多かった。秋口くらいから、職員が自力では歩けない年寄りを車椅子に乗せて日向ぼこをさせる図をよく見かけたものだ。サービスの一貫なのだろう。そんなときに実際に老人の背中などをさする場合もあるけれど、職員の多くは物理的にさするというよりも、「言葉でさする」場合が圧倒的に多い。「今日はあったかくて気持ちが良いねえ」などと、職員は元気づけようとして、とにかく慰めや励ましの言葉を連発するのである。掲句の光景も、そんな日向ぼこを詠んでいるのだと思う。しばらく見ていると、たいていの老人は黙りこくったままだ。「うん」でもなければ「ああ」でもなく、無表情である。が、そんなことはおかまい無しに職員は話しかけつづける。見ていて、私はだんだん腹立たしくなってきた。一方的な言葉の「さすり」は、これはもう暴力の行使なのであって、彼ないしは彼女はちっとも喜んではいないじゃないか。「お前の口にチャックをかけろ」と叫びたくなってくる。「さすられどほし」はかえって不愉快なことが、何故わからないのか。根本的にマニュアルが間違っているのだ。さりげないが、掲句はそんな状況を告発しているのだと読んだ。俳誌「星の木」(第6号・2010年12月25日)所載。(清水哲男)


January 1812011

 梟やわが内股のあたたかし

                           遠藤由樹子

ーロッパでは森の賢者と呼ばれ、日本では死の象徴とされてきた梟は、動物園やペットとして飼われているものでさえ、どこか胸騒ぎを覚えさせる鳥である。集中前半に収められた〈梟よ梟よと呼び寝入りけり〉の不穏な眠りを象徴した梟が印象深かったこともあり、後半に置かれた掲句にも丸まって太ももの間に手をはさんで横になる姿勢を重ねた。左右の脚の間にできるわずかな空間のやわらかなぬくもりが、安らかな心地を引き寄せる。それは自分で自分を抱きしめているような慈しみに満ち、そして少しさみしげでもある。おそらく胎児の頃から親しんできたこのかたちに、ひとりであることが強調されるような様子を見て取るからだろう。寒さに耐えかねてというより、さみしくてさみしくてどうしようもないときに、人は自らをあたためるようなこの姿勢を取ってしまうのだと思う。血の通うわが身のあたたかさに安堵と落ち着きを取り戻したのちは、元気に起き上がる朝が待っている。『濾過』(2010)所収。(土肥あき子)


January 1912011

 思うことなし山住みの炬燵かな

                           石川啄木

の人は思考停止の状態で、炬燵に入っているのだろう。失意の果て今は何も思わず考えず? 北海道時代の啄木のある日ある時の自画像かもしれないが、啄木のことだから、まったくのフィクションとも考えられる。「山住み」ゆえにのんびりとして、暇を持て余し所在なく炬燵にもぐっている。今は何ごとにも手をつける気力もなく、ただ炬燵で時をやり過ごして、何の意欲もわいてこない。まあ寒い時季に、妙にあくせくしているよりはむしろ好ましいか。失意のどん底にあるというわけでもなさそうだ。「……渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川」ではないが、啄木の歌には「思ふ」という言葉が頻繁に遣われている。「ことさらに燈火を消して/まぢまぢと思ひてゐしは/わけもなきこと」――暗がりでわけもないことに思い煩っているよりは、「百年(ももとせ)の長き眠りの覚めしごと/あくびしてまし/思ふことなしに」、つまり余計なことに思い煩わされることなく、炬燵であくびでもしていましょうや、というわけか。啄木の俳句は数が少なく、しかもいずれも月並句のレベルを出ない。年譜からも、幾多の解説の類からも啄木句はほとんど無視されている。だから上手下手はともかく、逆に珍しさが先に立つ。啄木の思考や感情は、俳句という表現形式では盛りきれなかった。十七文字と三十一文字の差異を改めて見せつけられる。ほかに「冬一日火に親しみて暮れにけり」がある。いかにも啄木。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 2012011

 M列六番冬着の膝を越えて座る

                           榮 猿丸

技場の座席を思うか、劇場の座席を思うかで状況はだいぶ変わってくる。天皇杯、ライスボール、全国大学ラグビー、一月は見ごたえのある試合が目白押し。そういえば冬の競技場の雰囲気はナイターと雰囲気が違うなぁ。掲句を読んで思った。座席が狭くて、「すみません、すみません」と膝を脇へよけてもらいながら自分の席に座る状況はいっしょだが、ナイターの場合はひょいひょいと軽快に越えてゆく感じ。カクテル光線に照らし出された球場のざわめきも冬の競技場のそれとは違う。冬着の膝なんてまわりくどい言い方をせずに「着ぶくれ」という季語があるじゃないか、と見る向きもあろうが、季語はときには現実世界を大雑把にくるんでしまう。着ぶくれは上半身にポイントが置かれ、脚の動きは置き去りにされる感じ。字余りを押して書かれた座席番号と冬着の膝に微妙なニュアンスが感じられる。『超新撰21』(2010)所収。(三宅やよい)


January 2112011

 手を容れて冷たくしたり春の空

                           永田耕衣

本尚毅さんの「手をつけて海のつめたき桜かな」と並べて鑑賞すると面白い。「したり」は能動。自分の手が空を冷たくするのだ。直感的に空よりも手の方が冷たいという比較を強調しているように思う。そして句の中には自分と春の空の二者が登場する。それに対して岸本さんの方は手と海と桜の三者が登場する。空間の奥行はこちらの方が構成的。耕衣作品は「春の空」を擬人化しているようにも見える。その分、文学臭が強いようでもある。『殺佛』(1978)所収。(今井 聖)


January 2212011

 水鳥のいくつも浮かぶカプチーノ

                           彌榮浩樹

瞬、カプチーノのほわっとした泡の上に、鳥たちがのんびり浮かんでいるような気がしてしまう、浮かぶ、で切れるとわかっていても。作者は池を見渡せるティールームで、水に遊ぶ鳥たちを眺めながら、ゆっくりカプチーノを楽しんでいるのだろう。これが、白鳥の、とか、鴛鴦の、などと言われてしまうと、まずそれらの鳥の映像がはっきり浮かぶので、カプチーノの上には浮かばない。いくつも、という言葉も、具体的な鳥だったら逆に、何羽くらいなんだろう、などと考えてしまう。水鳥、という大づかみな表現が、いくつも、という言葉の曖昧さを広がりに変えて、カプチーノの泡とともに句全体から、冬日が漣となっている池の空気を感じさせている。『鶏』(2010)所収。(今井肖子)


January 2312011

 冬の雨硝子戸越しに音を見る

                           小林紀彦

が覚めて、朝の新しい雨の音を布団の中で聞いているのが、好きです。勤めのない土曜日の朝であれば、なおさらよく、ああ降っているなと思って、外の濡れた姿をしばらく想像して、それから再び眠りに落ちてゆきます。関東地方に長年住んでいると、しかし冬はひたすら晴天ばかりです。長い冬のあいだを、積雪に苦労をしている地域の人々からみれば、なんと贅沢なことかといわれるかもしれません。今日の句の工夫は、「音を見る」としたところ。特段すごい表現だとは思いませんが、それでもそう言いたくなる気持ちはよくわかります。目に見える姿と、かすかに聞こえる音がぴたりとあわさって、雨をぜんたいで受け止めようとしているようです。ちょっとひねっただけで、句はこれほどに生き生きとしてくるものかと、あらためて句の音を、みつめます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2011年1月23日付)所載。(松下育男)


January 2412011

 白き息賑やかに通夜の線路越す

                           岡本 眸

夜からの帰途だろう。寒い夜。数人で連れ立って、おしゃべりしながら見知らぬ町の踏切を越えている。故人への追悼の思いとはべつに、通夜では久しぶりに会う顔も多いので、故人をいわばダシにしながら旧交を温めるという側面もある。では、そのへんで一杯と、作者も含めてちょっぴりはしゃぎ気味の連中の様子がよく捉えられている。小津安二郎の映画にでも出てきそうな光景だが、小津の場合にはこのようなカットは省略して、いきなり酒場などのシーンになるのが常道だった。どちらが良いかは故人と通夜の客との関係にもよるので、一概にどちらとは言えない。が、掲句の「賑やかに」歩いている姿のほうが、私などには好ましく共感できる面がある。なぜなら、この賑やかさによる見かけの陽気さは、かえって人間存在の淋しさを暗に示しているからだ。生き残った者たちが束の間はしゃいでいるだけで、やがてはみな故人と同じ運命をたどることになるのだからである。だから、彼らのはしゃぎぶりは、決して不謹慎ではない。故人の死によって、あらためて生きていることの楽しさを自覚した人たちの至極真っ当なふるまいである。そのへんの機微を、実に的確に表現し得た佳句だと思う。『矢文』(1990)所収。(清水哲男)


January 2512011

 木星の色を転がし毛糸編む

                           山田真砂年

星といえば赤道方向に伸びるカラフルな縞模様が特徴である。その色かたちはまさにグラデーションのかかった毛糸玉のように見え、掲句の通りと共感する。俳句による「見立て」のむずかしさは、共感を得つつ、平凡ではなく、なおかつ突飛すぎない、という頃合いにある。掲句には生活のなかに存在するささやかな毛糸玉が、みるみる太陽系のなかでもっとも大きな惑星へと大胆に変貌する切り替えの面白さに無理がなく、羨望のクリーンヒットとなっている。そして、このたび何種類もの木星の画像を見たのだが、色彩がタイミングによって赤い大理石のようだったり、青白く映っていたりとまるで折々の気分次第で色が違っているように千差があった。また木星は太陽系のなかでもっとも自転の早い惑星でもあるという。壮大な奥行きとともにテンポのよいホルストの組曲『惑星』の「木星」をBGMに、くるくる回転する木星に今にも飛びかかろうとしている猫の姿など、楽しい空想が抑えようもなくふくらんでしまうのだった。「湯島句会」(2010・第36回)所載。(土肥あき子)


January 2612011

 音もなく雪の重みにしなう竹

                           アビゲール・フリードマン

文は〈heavy with snow the bamboo bends in silence/Abigail Friedman〉。竹林にどっさり雪が降ると、竹は枝葉に積もった雪の重みでそれぞれ弧を描いてしなってしまう。なかには耐えきれずに、途中から割れて折れてしまう若い竹もある。しかし、他の樹木とちがって、竹はポッキリ折れてしまうことはない。この句で思い出すのは(私事になるが)、中学生の頃、雪がどっさり降った翌朝裏山の竹林に行って、雪の重みで弧を描いて大きくしなっている竹を、一本一本ゆさぶって雪を落としてやったことである。誰に頼まれたのでもない。竹はうれしそうに雪をビューンと跳ね返して高く伸びあがる。散り落ちてくる雪をあびながら、そんな作業がおもしろくもうれしかった。雪がたくさん降った後そんな作業をしに、よく裏山の竹林へ出かけた思い出が懐かしい。フリードマンはアメリカの女性外交官で、駐日アメリカ大使館勤務時代、俳句に興味を抱いて黒田杏子に師事し、句会にも参加したという。俳句を学んでいて、「子どものころ未来について夢見たのと同じ畏れと神秘さを味わった」と記している。掲句は彼女の俳句体験記『私の俳句修行』(中野利子訳/2010)巻末の「アビゲール不二句集」に収められている。他に「雪が舞ふ刻(とき)の流れをおしとどめ」などがある。俳句訳=中野利子・黒田杏子。(八木忠栄)


January 2712011

 白髪やこれほどの雪になろうとは

                           本村弘一

髪になるのは個人差があるようで、はや三十歳過ぎから目立ちはじめる人もいれば六十、七十になっても染める必要もなく豊かに黒い髪の人もいる。加齢ばかりでなく苦労が続くと髪が白くなるとはよく言われることだけど、どうして髪が白くなるのかそのメカニズムはよくわかっていないようだ。掲句は「白髪や」で大きく切れているが、「これほどの雪」が暗い空を見上げての嘆息ともとれるし人生の来し方行く先への感慨のようにもとれる。降りしきる雪の激しさと白髪との取り合わせが近いようで、軽く通り過ぎるにはひっかかりを感じる。俳句の言葉とはすっかり忘れ果てたときに日常の底から浮上してきて読み手に働きかけるものだが、この句のフレーズにもそんな言葉の力を感じる。「ゆきのままかたまりのまま雪兎」「ひたひたと生きてとぷりと海鼠かな」『ぼうふり』(2006)所収。(三宅やよい)


January 2812011

 春めくやわだちのなかの深轍

                           鷹羽狩行

の土に幾筋も刻まれた轍のなかに浅い轍と深い轍がある。春の土のやわらかさという季節の本意と、轍という非情緒的な物象が一句の中で調和する。また、凝視の眼差しも感じられる。轍という言葉が示す方向性に目をやって人生的なものへの暗喩に導く鑑賞もありえようが、僕はそうは取らない。あくまで轍は轍。「もの」そのもの。『十六夜』(2010)所収。(今井 聖)


January 2912011

 鵜の宿の庭に鵜舟や春を待つ

                           荒川あつし

の宿は川べりにあるのだろうか。春近い日と水の匂いがして、宿の庭、に人の暮らしが見え風景が親しい。宿のたたずまいとそこに静かに置かれた鵜飼舟、作者はもちろんのこと、あたりの草も木々の枝も、川や舟さえ春を待っているように思えてくる。春は空からというけれど本当だなと思うこの頃だが、待春の心持ちのしみてくる句を読みながら、学生の頃岐阜の友人の所へ遊びに行ったとき観た鵜飼を思い出す。そこだけ照らされた鵜がたてる水しぶきと川風の匂いがかすかに記憶の底にあるだけだけれど。そういえばこの時期、鵜飼の鵜はどうしているのかと思ったが、シーズン中は日々働きオフは食べて寝てのんびり過ごしているらしい。鵜はとても賢いというが、もうすこし暖かくなったらそろそろ勘を取り戻すための練習が始まるのだろう。『縁』(1979)所収。(今井肖子)


January 3012011

 溺愛のもの皆無なり冬座敷

                           佐藤朋子

かれている内容には、どこか寂しいものがあります。確かに若いころには好き嫌いもはっきりしていました。傍からみっともなく見えても、好きになったらその思いを、がむしゃらに相手にぶつけた時期もありました。それが歳を重ねるとともに、好きも嫌いも感覚が磨耗してきて、すべてがほどほどに受け止められるようになってきます。はじめはそんな内容の句だと思っていましたが、どうもそれほど悟りきってはいないようです。仔細に見て行くと、「溺愛」も「皆無」もかなり激しい言葉です。そんなことでいいのかと、自身の心に活を入れているような厳しさが感じられます。それが冬の畳の冷たさに、うまく対応しています。せっかくこの世に生きて、なにひとつ心を奪われるものもなく過ごす日々を、われながら情けないと叱りつけているようです。年齢にかかわりなく、つねになにかに生き生きと惹かれていたいと、この句に励まされもしてきました。『生と死の歳時記』(1999・法研)所載。(松下育男)


January 3112011

 親類の子も大学を落ちてくれ

                           十 四

日は川柳から一句。まず、もう一度掲句に戻って、読後の感想をこころに素直に止めてから以下を読んでいただきたい。この句は北村薫『詩歌の待ち伏せ・上』(2002・文藝春秋)で知った。原句は『番傘川柳一万句集』に収録されているのだそうだ。で、北村さんはこう書き出している。「見た瞬間に、<何て嫌な句だろう>と思いました。自分の子が滑った時のことでしょう。確かに、人にそういう心がないとはいえない。けれど、剥き出しにされては堪らない、と思ったのです」。実は、私も一読そう思いました。読者諸兄姉は、どんなふうに思われたでしょうか。ところが、なのです。この句の解説に曰く。「この『くれ』は命令・願望ではない。連用止めである」。つまり、作者は「落ちてくれ」と願っているのではなくて、親類の子も「落ちてくれた」という意味なのだった。これを読んで、北村さんは「どうして見た瞬間に、感じ取れなかったのでしょう。恥ずかしいし、何より、口惜しい。とにかく、後ろを振り向いて、誰か見ていないか確認したいような気持ちでした」とつづけている。私もまた「あっ」と思い、北村さん同様に、後ろめたい気持ちになってしまった。つくづく、自分の目のいじわるさに嫌気を覚えたのである。読者の皆さんの場合は、如何だったろうか。はじめから「くれ」を連用止めと読んだ人は、そのまっすぐで汚れのない性格を誇って良いと思う。(清水哲男)




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