January 022011
ノートパソコン閉づれば闇や去年今年
榮 猿丸
歳時記によると、去年今年とは、「去年と今年」という並列の意味ではなく、年の行き来のすみやかなことをいうとあります。ということは今日の句は、大晦日の夜から元旦にかけてノートパソコンで作業をしていたことになります。ノートパソコンという言葉から思いつくのは、やはりオフィスの中です。深夜の、それもその年の最後まで仕事をしているところを想像してしまいます。年末まで仕事をしていた同僚も、一人、二人と「よいお年を」の挨拶をして帰っていったなと、思いながら集中して画面に見入っていたようです。気がつけば広いオフィスは自分のところだけに電気がついていて、あとは右も左も真っ暗です。やっと終えた仕事は、年初の会議に使う資料ででもあるのでしょうか。「なんとか終わったか」と安堵して時刻を見れば、気づかぬうちにすでに新年を迎えてしまっています。ほっと一人で笑みがこぼれてきます。明かりを消して、やっと昨年と、PCが閉じられます。『超新撰21』(2010・邑書林)所載。(松下育男)
January 092011
餅間のピザの出前もよからずや
尾亀清四郎
季語は餅間(もちあい)。歳時記によりますと、昔は年末だけではなくて小正月にも餅をついたようで、小正月前の餅がなくなった時期のことを言うようです。最近は年末でさえ餅をつく家がほとんどありません。まして小正月に餅をついているところなど、一度も見たことはありません。それでもこの句がちょっと分かるのは、正月のお雑煮やお節が続くと、もうご馳走にうんざりしてきて、いつものあたりまえな食事が懐かしくなってくるからなのです。トーストとコーヒーで済ませたいなと思ったり、お茶漬けやカレーライスが無性に食べたくなったりもしてくるのです。長年生きているから、そんなことはとうに分かっているわけですが、それでも正月近くになると、お雑煮を楽しみにする心が湧いてくるのは、悲しいかな、どうしても押しとどめることができません。『角川俳句大歳時記 新年』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
January 162011
夢に見れば死もなつかしや冬木風
富田木歩
冬木風はそのまま「ふゆきかぜ」と読みます。日本語らしい、よい言葉です。ところで、ここで懐かしがっているのは、だれの死なのだろうと思います。普通に考えれば親でしょうか。でも、私も亡くなった父親の夢を時折に見ることはありますが、たいていは若いころの、元気の良かった姿ばかりです。親父の死んだときの夢なんて、見たことはありません。それに、夢に見ているときというのは、つらいことは現実よりもさらにつらく感じるので、人の死の夢を見るなんて、想像するだけでも胸が苦しくなってきます。あんまりつらい夢を見ているときには、そのつらさに耐えられずに目が覚めてしまうことがあります。ああ夢でよかったと、布団の中で安堵したことがこれまで幾度もあります。でも、この句はそうではなく、もっと素直に、死んだ人たちに夢の中で会えて懐かしかったと、まっすぐに受け止めればよいのかもしれません。死も、一生という夢の中の、一部なのだから。『作句歳時記 冬』(1989・講談社)所載。(松下育男)
January 232011
冬の雨硝子戸越しに音を見る
小林紀彦
目が覚めて、朝の新しい雨の音を布団の中で聞いているのが、好きです。勤めのない土曜日の朝であれば、なおさらよく、ああ降っているなと思って、外の濡れた姿をしばらく想像して、それから再び眠りに落ちてゆきます。関東地方に長年住んでいると、しかし冬はひたすら晴天ばかりです。長い冬のあいだを、積雪に苦労をしている地域の人々からみれば、なんと贅沢なことかといわれるかもしれません。今日の句の工夫は、「音を見る」としたところ。特段すごい表現だとは思いませんが、それでもそう言いたくなる気持ちはよくわかります。目に見える姿と、かすかに聞こえる音がぴたりとあわさって、雨をぜんたいで受け止めようとしているようです。ちょっとひねっただけで、句はこれほどに生き生きとしてくるものかと、あらためて句の音を、みつめます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2011年1月23日付)所載。(松下育男)
January 302011
溺愛のもの皆無なり冬座敷
佐藤朋子
書かれている内容には、どこか寂しいものがあります。確かに若いころには好き嫌いもはっきりしていました。傍からみっともなく見えても、好きになったらその思いを、がむしゃらに相手にぶつけた時期もありました。それが歳を重ねるとともに、好きも嫌いも感覚が磨耗してきて、すべてがほどほどに受け止められるようになってきます。はじめはそんな内容の句だと思っていましたが、どうもそれほど悟りきってはいないようです。仔細に見て行くと、「溺愛」も「皆無」もかなり激しい言葉です。そんなことでいいのかと、自身の心に活を入れているような厳しさが感じられます。それが冬の畳の冷たさに、うまく対応しています。せっかくこの世に生きて、なにひとつ心を奪われるものもなく過ごす日々を、われながら情けないと叱りつけているようです。年齢にかかわりなく、つねになにかに生き生きと惹かれていたいと、この句に励まされもしてきました。『生と死の歳時記』(1999・法研)所載。(松下育男)
February 062011
大学レストランカレーにほはす春浅く
山口青邨
七十年代初めに早稲田大学に通っていました。時々その頃のことを思い出します。本当は経済を学ばなければならなかったのに、高田馬場の古本屋で、詩集ばかりを立ち読みしていました。帷子耀、山口哲夫、金石稔など、当時まぶしかった詩人を、何時間も食い入るように読んでいました。友人があまりいなかったので、学食ではたいてい一人でうつむいて食べていました。40年経った今でも、あの時のうどんの値段だけは覚えています。30円、メニューの中で一番安くて、よく食べていたから。本日の句にあるように、学食に入った時に匂うのは、うどんではなくカレーのほうです。ああ食べたいなと思って、それから財布の中身を確認して、うどんにするか、あるいはたまにはカレーにするかを決めるわけです。懐かしいなと思うあの日々は、私の人生の春も、まだ春浅くでありました。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
February 132011
かうしては居れぬ気もする春炬燵
水田信子
マンションに住み始めてからは、こたつとは縁のない生活をしてきました。私が実家でこたつに入ったのは、もうだいぶ昔のことです。昔のこたつだから、なかなかうまい具合に温度調節ができず、脛が熱くなりすぎたり、あるいはなかなか温かくならずに肩まで潜ったことなどを覚えています。それでもいったん入ったら、なかなか抜け出ることができません。だんだんだらしなくなってきて、ああこれではいけない、もっとしゃっきりとしなきゃあと、後ろめたい心を抱えながらもずるずると時を過ごしてしまう。いったん入ってしまうと、どうしてあんなに動けなくなってしまうのだろう。大げさではありますが、どこか、自分の意志の弱さを試されているような気分にもなります。それでも時折、こたつに入ってみたくなります。あの心地の良さと、ずるずるとだめになってゆく自分を、感じるために。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
February 202011
夕風 絶交 運河・ガレージ 十九の春
高柳重信
名詞だけを置いてゆくこの句から、どこか北園克衛の詩を連想しました。詩ならこの後で、どんな展開も可能だし、名詞だけが選ばれた理由を含めて書き継いでゆくこともできます。しかし、句ではそうはいきません。助詞や副詞や形容詞や動詞が、句にとってはどうして必要なのかを、逆に考えさせてもくれます。途中に開けられた空白と、中黒の違いはあるのでしょうか。選ばれた言葉から連想されるのは、バイクに乗って運河沿いを走っていた若者が、友と別れ、肩を落としてガレージに帰ってきたと、そんなところでしょうか。しかし、意味をつなげて解釈してしまうと、句の魅力に迫ることができません。たぶんそうではなく、夕風は夕風そのものであり、絶交は絶交という言葉でしかないのです。全体に逃げ場のない悲しみを感じますが、あるいはそうではなく、ただ単にしりとりを、一人でしているだけなのかもしれません。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)
February 272011
この道しかない春の雪ふる
種田山頭火
句がわかる、というのは詠まれている意味内容に不明な点がないということだけではありません。語られていることがわかっても、どうしてこんなことを句にするのだろうと、思っているうちはたぶんわかっていないのです。あるいは、もともと理解を届かせるほどの句ではないということもあります。今日の句は、意味内容ということでは、前半と後半がどのようにつながっているのかが明解ではありません。でも、全体をそのまま素直に受け止めると、不思議とわかるのです。わかったような気分にさせてくれるのです。そこが大切なのだと思うのです。「この道しかない」と、決断した思いの切れ味と、目の前に降っている柔らかな雪のありさまが、ちょうどよく釣り合っているのです。そうだそうだ、こういうふうにしか詠ってはいけないのだと、思わせてくれる句は、理屈抜きにすごいなと思うわけです。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)
March 062011
春服にポケットのなき不安かな
鹿野佳子
ポケットという、かわいらしい響きのためでしょうか。あるいは、まど・みちおの「ふしぎなポケット」を連想するからでしょうか。ポケットというものは、どこか、よいことにつながる通路のような心持がします。春になり、分厚いコートを脱ぎ、さらにジャケットを脱いで身軽になったあとで、でも、どこか物足りない気分がするのはどうしてでしょうか。ああそうか、冬服にはあっちにもこっちにもあったポケットの数が、急に減ってしまったのでした。このポケットには財布を、こちらには定期券とハンカチをと、しまう場所を決めていたもの達も、テーブルの上に置かれて、困り果てています。どこにもしまえなくなった小物たちが、徐々に明るくなってくる春の日射しの下で、持ち主と一緒に、途方に暮れているのです。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)
March 132011
天井に風船あるを知りて眠る
依光陽子
この句が表現しようとしているのは、どんな心情なのでしょうか。吹き抜けの、とんでもなく高い天井の部屋ならともかく、普通の家の天井なら、椅子に乗れば容易にとれるだろう風船を、どうしてそのままにして眠るのでしょうか。体を動かすのが億劫に感じるほどほどの、つらい悩みでもあるのか。あるいは、赤や黄の混じった風船の明るさを、目を閉じる直前まで見ていたいからそうしたのか。どちらにも解釈できますが、個人的にはだるい悩みに冒された人の姿が目に浮かびます。風船と言えば昔、子どもたちが小さかったころにディズニーランドへ行った時のことを思い出します。閉園の時刻まで遊んで、帰りのバスを待っている列に並んでいたときに、土産に買ったミッキーマウスの風船が僕の手から放れて、暗い上空にどこまでも上がって行きました。実に美しい上がり方でしたが、もちろん子どもたちは泣き出し、さんざんな一日の終わりになってしまったのでした。あれもひとつの天井だったかと、ふとこの句を読んで、思いました。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)
March 202011
ひと駅を歩いてみるか花の雨
矢野誠一
この原稿を書いているのは3月15日の朝です。テレビでは休みなく東北関東大震災についての報道をしています。福島原発の事故や、今なお止まない余震に、日本という国は大きな困難のさなかにあります。「文学は平和の為にあるのである」と言ったのは小林秀雄ですが、大災害の渦中にあって文学とはいったい何かと、あらためて考えさせられています。本日の句を読んで真っ先に思ったのは、3月11日の帰りに電車が止まって、仕方なく秋葉原から蒲田まで歩いたことです。できうるならば、この句のほんわかとした優しい雰囲気を、そのまま受け止められる平和な日が、早く訪れますように。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)
March 272011
つまづきて春の気球の着地せり
福地真紀
この句を読んだあと、ああなるほどとうなずいてしまいました。気球が上空から下りてくる姿は、優雅で美しいけれども、いざ地面に着くときには、大地に無様にぶつかって、幾度か跳ね返りもするのでしょう。本当に着地をするところは、それほど見たことはありませんが、様子は容易に想像できます。その姿を人のように、「つまづいている」と見たところに、この句の発見があるのでしょう。気球という言葉が、遠くまでの青空をはるかに想像させてくれますし、つまづいた足元に、柔らかな緑の息吹を感じさせてもくれます。思いの空に、プカリプカリと気球を浮かばせていられるような一日を、生涯に幾日くらいもてれば、幸せな人生だったと言えるのでしょうか。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)
April 032011
酒蔵につとめ法被の新社員
大島民郎
四月になって初めての日曜日です。大震災の影響で、被災地にある会社では内定取り消しを考えているところもあるようです。事情は理解できないでもありませんが、就職難のこの時期に、やっと仕事が決まってホッとしていた学生にとっては、なんとも残酷な知らせです。今日の句は、めでたく会社に入った若者を詠んでいます。酒造会社に勤め始めたその初日に、用意された新しい法被を着て、現場に集合しているところでしょうか。製造過程を知らなければ、事務だって営業だって仕事にならないのだという、先輩の説明を緊張して聴いているのでしょう。晴れてはいるけれども、風はまだ冷たく感じられます。これからここで人生の大切な部分を過ごすのだと、思えば風の冷たさのせいだけではなく、胸も小刻みに震えてきます。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)
April 102011
春の町帯のごとくに坂を垂れ
富安風生
もちろん、誰かに解説をしてもらってやっと言わんとしていることが理解できる句も、悪くはありません。でも、やっぱり一度読んだだけで理屈抜きにいいなと感じる句が好きです。ただ感じたままを無造作に放り投げてくれるような句を、ことに今は読みたいと思います。この原稿を書く机が、さきほども幾度かの強い余震で揺れていたせいもあるのかもしれません。まだまだ福島原発の放射能問題もはっきりとしない毎日に、どしんと落ちついて、しっかりと普通の春をよみあげた句に、もたれかかりたくもなります。ところで、「帯のごとく」と言って、さらに「垂れ」と結ぶのは、ちょっと工夫がないかなと思わないでもありませんが、でも、やはりこれでよいのです。無理に凝った表現をして利口ぶる必要なんか、たぶんどこにもないのです。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)
April 172011
春めくを図形で言へば楕円かな
平川 尭
街中を歩いていると、見ているだけで胸の奥まですっと気持ち良くなる形があります。かというと、どうもおさまりがつかなくて落ち着かない形もあります。目の前にそびえているビルの形だったり、遠くに浮かんでいる雲の形だったり、レストランの看板の形だったり、何の理由もないのに、なぜか心に影響を与える形が、たしかにあります。でもそれは、単に「ちょっと気になる」というだけのものです。でも、そのちょっと気になるものに、一日中心がとらわれてしまうことだって、あるわけです。今日の句、春めくを楕円と感じるのは、個人的な感覚と言うよりも、だれでもが持つ共通の感じ方なのかもしれません。楕円の、長い方のひろがりに、ホッとしたものが入っていると感じられるからです。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)
April 242011
さまざまのこと思ひ出す桜かな
松尾芭蕉
作者が松尾芭蕉なのだから、この句はずいぶん昔に詠まれたものです。それでもと、わたしは思うのです。もしかしたらこの句は、今、この年の春に読まれるために作られたのではないのかと。100人以上の震災孤児と、一万人を超す水死者という事実に、いまだにわたしの思考は止まったままです。それにしても、桜が咲いたことにこれほど無頓着だった年を、経験したことがありません。ああ咲いているなと思い、でも思いはすぐに、もっと大切なことに移ってゆきます。できることならいつの日にか、あたりまえのなんでもない春の中で、無心に桜の花を見上げたいと願うのです。『日本名句集成』(1991・学燈社)所載。(松下育男)
May 012011
平凡といふあたたかき一日かな
東野佐惠子
もちろん平凡な毎日が、ただのんきで、何の気苦労もないものだなんてことはあるはずがありません。そんな人も、まれにいないことはないのでしょうが、たいていの人にとっての平凡な一日というのは、たくさんの辛いことや、みじめな思いに満たされています。それでもなんとかその日を踏みとどまって、いつもの家に帰り着き、一瞬のホッとした時間を持てるだけなのです。でも、その辛い毎日が失われた時には、ああ、あの頃はよかったなと思いだすのだから、不思議なものです。子どもがまだ小さくて、忙しく面倒を見ていた時には、幸せだなんて思う暇もなかったのに、年をとってそのころを思い出すと、ずいぶんあたたかな毎日として受け止められてきます。ということは、うじうじと思い悩んでいるこの時だって、のちに思い出せば平凡というあたたかな布に、柔らかく包みこまれていることになるのでしょうか。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2011年4月24日付)所載。(松下育男)
May 082011
人々に四つ角ひろき薄暑かな
中村草田男
この句にどうして惹かれるかと言うと、つまるところ「ひろき」の一語なのかなと思います。うつむいて歩いていて、ふと目をあげた先に、思いもよらぬ広い交差点があった。それだけのことでも、ああ生きているなと感動できるわけです。そういえば勤め人をしているときには、電車に乗ることは、会社のある渋谷駅に向かうことでした。さて定年になり、もう会社に行かなくてもいいんだと思ったある日、駅のホームで電車を見たときに、身の震えるような「ひろさ」を感じました。逆方向にも電車は走っていて、乗りたいと思えば乗ってもかまわないのだと思ったのです。生きる喜びって、そんなに複雑なものではないのだなと、あらためて実感しました。鬱屈した日々の街角でも、ちょっと曲がった先には広々とした四つ角が待っているのだと、信じて生きてゆきたいと、思っているのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
May 152011
語らひのいつか過去形アイスティ
鞠絵由布子
最近のテレビ番組には、芸能人が評判のお店に入って食事をするというものがずいぶんあります。気になるのは、ケーキや和菓子を食べた後での、「甘すぎなくておいしい」という誉め言葉です。甘いものが甘すぎてはいけないという感じかたは、それほど昔からあったわけではありません。いつのころからか、できるだけ薄味のものを摂取して、身体の中を薄くきれいに保つことに、努力を払う時代になっていました。本日の句に出てくるアイスティに、ガムシロップは入っていないのでしょう。「いつか」は「いつのまにか」の意味でしょうか。話をしている内に、会話の内容が自然に昔に戻ってゆく、ということは、お互いの過去を知っているということ。確かに若いころを知っている友人と、老けてしまってから知り合った友人とは、かなり意味合いが異なってきます。一緒に過去に戻ってゆける友人との会話は、それだけで充分に甘く、何杯でもおかわりできる無糖のアイスティが、似合っているようです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
May 222011
目の覚める時を朝なり五月雨
炭 太祇
つまり、朝になったから起きるのではなく、目が覚めたその時が朝なのだよと、そのような意味なのでしょうか。起きて行動を起こすための眠りではなく、眠りそのもののための眠りを、しっかりととった後の目覚めです。句を読んでいるだけで、長い欠伸が出てきそうです。そういえば、眠りの中でずっと聞こえていた音は、窓の外に途切れることなく降る雨の音だったかと、目覚めて後に布団の中で気づくのです。なんだかこの雨も、そんなにあせって生きることはない、もっと体を休めていてもいいのだよという、優しい説得のようにも聞こえてきます。もちろん、いつもいつもでは困りますが、たまには、五月雨の許可を得て、目を閉じ、そのまま次の夢へ落ちて行ってもいいのかもしれません。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
May 292011
わが死にしのちも夕焼くる坂と榎
加藤かけい
季語は夕焼け。夕焼くるは「ゆやくる」と読みます。人の一生というのは、言うまでもなくその人にとっての「すべて」です。ところが、その「すべて」の外にも、なぜか依然として時は流れ、夕焼けはやってくるのです。自分の終わりが、この世の成り立ちにとって、それほどの出来事ではないのだと気づいてしまうと、ちょっとがっかりします。でも、なんだか気が楽にもなってきます。なにかの一部でしかないということの気楽さをもって、それでも日々に立ち向かってゆく人の命は、なんだか健気にも見えてきます。果てしない空を染める真っ赤な夕焼けは、たしかに坂道や木に似合っています、それでも、字余りになっても榎をここに置いたのは、高い空にすっきりと立つ姿を示したかったからなのでしょうか。あるいは作者の人生の、大切な道しるべにでもなっていたのでしょうか。『合本 俳句歳時記 夏』(2004・角川書店)所載。(松下育男)
June 052011
梅雨深し名刺の浮かぶ神田川
坂本宮尾
この句の中には、気持ちをとらえて放さない言葉が3つもあります。贅沢です。季語の「梅雨」のほかに、「名刺」と「神田川」。とくに神田川と聞けば、多摩川でも隅田川でも江戸川でもなく、特別にしっとりとした抒情を感じるのは、誰もが有名なフォークソングを思い浮かべるからです。固有名詞がまとうイメージに、どこまで邪魔されずに句を詠むかという考えがある一方で、逆に、どこまでちゃっかり利用できるかを考えるのも、創作の楽しみと言えます。ただ、ここに出てくる神田川には、手ぬぐいをマフラーにして歩いている若い二人が出てくるわけではありません。川面に浮かぶ名刺から、何を想像するかは、今度は読者の楽しみとなります。リストラにあった会社の名刺なのか、昇進していらなくなった昔の肩書の名刺なのか。梅雨の雨と、さらに神田川に濡れそぼった名刺から感じられるのは、結局やるせない人生には違いありません。『現代俳句の世界』(1998・集英社) 所載。(松下育男)
June 122011
夏服や弟といふ愚かもの
石塚友二
わたしには4人の姉がいました。親戚の集まりがある時には「松下の家は、女はしっかりしているが、男は頼りない」と言われてきました。子供の頃はともかく、いったんそのような印象がついてしまうと、こちらが老齢になっても、ずっと同じことを言われ続けています。おそらくこの句に出てくる弟も、世間から見たら特別に愚かだというわけでもないのでしょう。ただ、兄や姉から見た弟というものは、とかく愚かに見えてしまうと解釈した方がよいようです。それでも「愚か者」の言葉に含まれた愛情は、容易に感じることができます。男の夏服と言えば、せいぜい長袖が半袖のシャツに変るくらいで、季節が変わったからといって、さしてぱっとしません。無防備に半袖から伸びた腕も、頼りなげに見えている要因のひとつなのかもしれません。兄や姉という存在の深い愛情が感じられて、それからちょっとおかしくて、こういう句、とても好きです。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)
June 192011
アロハ着てパスポートどのポケットへ
山崎ひさを
この句は、パスポートをどのポケットへ入れたらよいのか迷っているということのようです。海外のリゾート地に到着してすぐに、とにかくアロハシャツに着替えたものの、薄い生地の胸ポケットは、何を入れてもだらしなく下がってしまいます。とはいうものの、このだらしのなさが避暑地に来た目的でもあるわけです。たしかに、海外旅行をしていると、なにか失くしていないかと、四六時中探し物をしているような気分になります。出入国の手続きをしている時でさえ、あれはどのポケットに入れただろうか、これはさっきまでこのポケットに入っていたはずだがと、次々にものを探しているようです。アロハを着ているわけだから、それほどたくさんのポケットがついているわけでもないのに、いざ必要となったその時には、パスポートを探すために大騒ぎで両手は、ポケットの底を探し回ります。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)
June 262011
悲しみの席にビールのある事も
岡林知世子
俳句の世界とは違って、現代詩には、吟行をするということがありません。詩というものは、若いころからずっと一人で、隠れるようにして書き続けるものです。だから著名な詩人の名前を知ってはいても、実際に会う機会などめったにありません。僕が二十代後半の頃、ということはもう三十年以上も昔のこと。詩の賞の、誰かの受賞式の帰りでもあったのか、夜遅く、新宿の広い喫茶店に詩人たちが集団で入ってゆきました。僕のいたテーブル席には、同世代の若い詩人たちがいて、話すこともなく静かにコーヒーを飲んでいました。そのうちに一人が、遠くの席を指さして、「あそこに、清水昶がいるよ」と言いました。「えっ」と、僕は思って、薄暗い喫茶店で、かなり距離もあり、その姿ははっきりとは見えませんでしたが、それでも当時、夢中になって読んでいた詩人がそこに本当にいるのだということに、胸が震えていました。幾度読んでも飽きることのない喩の力、というものが確かにあるのだと、教えてくれた詩人でした。「悲しみの席」とは、なんとつらい日本語かと、思わずにはいられません。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)
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