O謔「句

January 0612011

 鏡餅真ッ赤な舌をかくしけり

                           鳥居真里子

や六日となり正月気分もだいぶ薄らいだ。そうとは言っても部屋を見渡せば、お飾りも鏡餅もそのまま残されている。掲句の鏡餅はパックに入った小さなのではなく、床の間に飾る本格的で立派なものが似合いだ。田舎では蒸してつきあがったアツアツの餅の塊から、まず鏡餅の上下を作った。丸餅を丸める要領で熱いうちに一気に成型しないときれいな形に仕上がらない。飾り方もいろいろあるのだろうけど、うちでは白木の三方の上に裏白を敷いてのせ、上下の餅の間に昆布を挟み込んでいた。真白なモチのどこから掲句の奇想が湧いてくるのか不思議だけど、新年を寿ぐ鏡餅の類想、類句とは無縁だろう。この場合鏡餅と舌の連想をつなぐものは垂れた昆布あたりかもしれぬが、「真ッ赤」の形容にめでたさの裏に隠れた悪意や怖さが感じられる。真赤な舌を隠したまま素知らぬふりで正月の主役を務めていた鏡餅も割られておぜんざいになる日も近い。『月の茗荷』(2008)所収。(三宅やよい)


January 1312011

 一月の魯迅の墓に花一つ

                           武馬久仁裕

者が中国へ旅したときに作った句。国内での吟行とは違い海外で句を詠むとなると日本での季節の順行や季の約束ごととは違う世界へ出てゆくことになる。作者は「俳句と短文の織り成す言葉による空間を満足の行く形で作ってみたくなったからである」とこの句集を編むに至った動機をあとがきで述べている。風習の違いや物珍しさで句を詠んでも単なるスナップショットで終わってしまう。(もちろんそれはそれで楽しさはあるのだが)作者は現在の中国を旅して得た経験と歴史や文学で認識していた中国を重ねつつ「日常であって日常でない」世界を描き出そうとしている。一月、と一つという簡潔な数字の図柄が世間の人々に忘れられたかのような寂しい墓の風情を思わせる。その墓の在り方は「藤野先生」や「故郷」といった魯迅の作品に流れる哀感に相通じているように思える。真冬の魯迅の墓に添えられた花の種類は何だったのだろう。「玉門関月は俄に欠けて出る」「壜の蓋締めて遠くの町へ行く」『玉門関』(2010)所収。(三宅やよい)


January 2012011

 M列六番冬着の膝を越えて座る

                           榮 猿丸

技場の座席を思うか、劇場の座席を思うかで状況はだいぶ変わってくる。天皇杯、ライスボール、全国大学ラグビー、一月は見ごたえのある試合が目白押し。そういえば冬の競技場の雰囲気はナイターと雰囲気が違うなぁ。掲句を読んで思った。座席が狭くて、「すみません、すみません」と膝を脇へよけてもらいながら自分の席に座る状況はいっしょだが、ナイターの場合はひょいひょいと軽快に越えてゆく感じ。カクテル光線に照らし出された球場のざわめきも冬の競技場のそれとは違う。冬着の膝なんてまわりくどい言い方をせずに「着ぶくれ」という季語があるじゃないか、と見る向きもあろうが、季語はときには現実世界を大雑把にくるんでしまう。着ぶくれは上半身にポイントが置かれ、脚の動きは置き去りにされる感じ。字余りを押して書かれた座席番号と冬着の膝に微妙なニュアンスが感じられる。『超新撰21』(2010)所収。(三宅やよい)


January 2712011

 白髪やこれほどの雪になろうとは

                           本村弘一

髪になるのは個人差があるようで、はや三十歳過ぎから目立ちはじめる人もいれば六十、七十になっても染める必要もなく豊かに黒い髪の人もいる。加齢ばかりでなく苦労が続くと髪が白くなるとはよく言われることだけど、どうして髪が白くなるのかそのメカニズムはよくわかっていないようだ。掲句は「白髪や」で大きく切れているが、「これほどの雪」が暗い空を見上げての嘆息ともとれるし人生の来し方行く先への感慨のようにもとれる。降りしきる雪の激しさと白髪との取り合わせが近いようで、軽く通り過ぎるにはひっかかりを感じる。俳句の言葉とはすっかり忘れ果てたときに日常の底から浮上してきて読み手に働きかけるものだが、この句のフレーズにもそんな言葉の力を感じる。「ゆきのままかたまりのまま雪兎」「ひたひたと生きてとぷりと海鼠かな」『ぼうふり』(2006)所収。(三宅やよい)


February 0322011

 恐るべき年取豆の多きかな

                           木村たみ子

さい頃は豆の数が少ないのが不満だった。自分よりたくさん豆がもらえる兄や姉が羨ましく、年をとるたび掌に乗せる豆が増えるのが嬉しかった。いつからだろう豆の数が疎ましくなったのは。「恐るべき」というぐらいだから片手に山盛りだろうか。子供たちも大人になった今は鬼の面をかぶることも豆まきをすることもなくなった。試しに年の数だけ手に乗せると溢れそうである。「鬼は外」と大きな声で撒くに恥ずかしく、ぽりぽり齧るには多すぎて、まさに「恐るべき」豆の多さである。「死にたしと時には思へ年の豆」高橋龍の句のように自分の年齢へ辛辣な批判を加えてみるのもひとつの見方だろうが、山盛りの豆に怖気つつ、又ひとつ豆を加えられる無事を感謝したい。『水の音』(2009)所収。(三宅やよい)


February 1022011

 鳥籠に青き菜をたし春の風邪

                           大木あまり

先にひく風邪は治りにくい。インフルエンザのように高熱が出たり、ふしぶしが痛むというわけではないが、はっきりしないけだるさがぐずぐずと長引く。そんな状態が不安定な春の雰囲気に響き合うのか、春の風邪に余り深刻さはなく「風邪ひいちゃって」とハスキーな声でうつむく女性など想像するだけで色っぽい。ぼんやりした「春の風邪」が鳥籠に差し入れる若菜のみずみずしさと鳥籠の明るさを際立たせる。「菜の花の色であるべし風邪の神」という句も同句集に収録されており、作者の描く春の風邪は忌むべき病ではなく、ぽっと身体の内側に灯がともるような優しさすら感じられる。『星涼』(2010)所収。(三宅やよい)


February 1722011

 白板をツモると紅梅がひらく

                           金原まさ子

句白板には「パイパン」とふり仮名がふってある。山から牌を引っ張ってくるとつるりとした感触にそれと知れる。性的な隠語として使われることも多く、ちょっと怪しい響きである。大三元をあがるに欠かせない牌ではあるが、二枚揃ったからと抱え込んでいると「出世の妨げ」と捨てるよう指南されたこともある。大学そばの雀荘もめっきり減ったが、仕事後の麻雀はどうなのだろう。4人揃えるのも難しいと聞いたことがあるが、牌の揃えかたから点数の数え方まで知っている人が少なくなったこともあるかもしれない。それにしてもこの句、白と赤との色彩の対比は白板の白と赤のドラ牌や花牌からの連想かもしれないが、何ともユニークでエロチック。これから白板をツモるたび、紅梅がほころぶ図を思い浮かべそう。作者の金原さんはめでたく百歳を迎えられたそうだが、みずみずしい感受性で彩られた句の弾み具合は過激で面白い。『遊戯の家』(2010)所収。(三宅やよい)


February 2422011

 梅林や学生寧ろ海を見る

                           榎本冬一郎

年この時期になると青梅の吉野郷に梅を見に行く。山また山に梅が咲き乱れる様子は見事ではあるが、兵庫の綾部梅林などは頂上近くから瀬戸内海が一望できるらしい。海を臨む日当たりのよい斜面にある梅の木々を思うだけで気持ちがいい。そんな梅林で観梅する人々と違う方向に視線を振り向けている学生の様子が作者の注意を引いたのだろう。今は若者から老人まで同じようにカジュアルな服装をしているが、掲載句の作られた昭和30年代といえば、普段でも制服、制帽の着用が普通だった時代。だからすぐ学生とわかったのだろう。目の前の梅ではなくかなたの水平線をじっと見詰めている彼は、未知の世界へ心を駆り立てられているのだろう。何時の世も青年たちは遠い眼で海を見詰めてきた。現代の若者も梅林より寧ろ海に心引かれるだろうか。「現代俳句全集」四巻(1958年)所載。(三宅やよい)


March 0332011

 ふと思ふ裸雛の体脂肪

                           後藤比奈夫

に添えられた作者のエッセイによると「裸雛は大阪の住吉大社で頒けて貰える、掌に乗るほどの小さな土雛。」「烏帽子をかぶっているほかは全裸。男は胡坐、女雛は膝をしっかり合わせた正坐。」とある。句の印象からするとごくごく素朴な土人形といった感じ。むっちりとした膝、まるまるとめでたく肥えたお雛さまに体脂肪を思うところが面白い。雛の由来は人形(ひとがた)であり厄災を祓い、川や海へ流されたという。美しい段飾りのお雛さまは可愛い子の未来を願い親が設えるものだろうが、掲句の裸雛はその昔「子授け雛」と呼ばれており夫婦和合を願う雛らしい。日本各地にはいろんな役目を負ったお雛さまが数多くあるのだろう。宮崎青島神社の簡素な「神ひな」は安産、病気平癒などを願い神前に供えられる。わたしも九州の日田で買ってきた小さな土雛を飾って家族の無事を願い、雛の日を楽しむことにしよう。『心の小窓』(2007)所収。(三宅やよい)


March 1032011

 柵ごしの地面しづもる弥生かな

                           山本紫黄

便番号簿を見ていて季題にある植物と同じ地名を見つけたのをきっかけに季題地名一覧として編集したのが、高橋龍の「郵便番号簿季題地名一覧」である。この句は郵便番号113−0032 東京都文京区弥生の例句として出されている。文京区本郷は、弥生式土器が発見された場所であり、もとになる村落という意味をこめて「本郷」と呼ばれたと聞いたことがある。掲句では、ものみな盛んに茂り始める弥生という季語と、柵越しに見える地面が抱えこむ豊かな時間とが響き合っているように思える。むかしを知る手掛かりになる大事な地名も行政の合理化のため味気ないものに統合されてしまった。東京都文京区弥生も消えかかったが、ここに住む人たちが地名を残すべく行政に抵抗して残ったという経緯があったと本書に記されている。わたしが生まれた場所もどこにでもある「中央区」になってしまったが、考えてみればもったいなかった。「郵便番号簿季題地名一覧」九有似山洞・編(2009)所収。(三宅やよい)


March 1732011

 時刻表レレレレレレレ春嵐

                           渡辺テル

車が通過するのを表す「レ」記号は片仮名のレに見える。通過駅を表すこの記号がいつから使われているのか鉄道に詳しい人ならわかるかもしれない。掲句は特急が警笛を鳴らしながら風を巻き起こして通過していく様子から嵐を想像したのか、レレレレと口ずさんでみれば特急に乗って旅している気分にもなる。昨年の7月時刻表を片手にローカル線を乗り継いで気仙沼、釜石を廻り遠野を旅した。先週の金曜日に強い揺れがおさまった直後、職場でつけたテレビで海鮮丼を食べた桟橋や宿泊したホテルが津波に飲み込まれてゆく映像を見て息をのんだ。海を見下ろす駅で、美しい景色を楽しむ観光客のために長めに停車してくれた三陸鉄道の運転士さん。旅先で出会った方々、どうかご無事でと祈るばかりだ。金曜日の午後を境にあのプラットホームから眺めた景色が消え心の冷える現実が残ったことが未だに信じられずにいる。「つぐみ」(2010.No103 10周年記念号)所載。(三宅やよい)


March 2432011

 真っ青な危ない空があるばかり

                           広瀬ちえみ

載句は川柳。震災以降、福島原子力発電所の危機的状況が連日報道されている。息詰まるニュースに今まで関心を持たずに過ごしていた原子力発電がいったん制御不能に陥ればどれだけ危険かを思い知らされることになった。東京では計画停電が実施され、毎日変わる電車の運行に頭を悩ませてはいるが、おおよその生活に支障はない。それに比べ都会への電力を供給するため作られた原発の回りの人達はどれほどの恐怖と緊張にさらされていることか。災害復旧の大きな支障となっている現在の状況が一刻も早く落ち着いてくれることを祈るばかりだ。これからどんな世の中になるかわからないが、便利さに慣れ切った自分の在り方を少しずつでも変えていきたい。空は今日も晴れわたっているが、まだ、間に合うだろうか。『広瀬ちえみ集』(2005)所収。(三宅やよい)


March 3132011

 白すみれ關西へゆくやさしさよ

                           新妻 博

こ10年東京に住んでいるが話すときある種の緊張感がつきまとう。関西に戻り家族や友人と会話して初めて身体の底にある土地の言葉が自由に躍動する感じがする。新幹線を降りて在来線に乗り換え、関西弁のざわめきに包まれるとほっとする。「そやねえ」「ほんまに」と語尾の柔らかさに故郷の心地よさを感じる。関西生れの私にとっては「関西へゆくやさしさ」はそのような体験と重なるが作者にとって「やさしさ」を感じるのはどんな時なのだろう。可憐な「白すみれ」を配合に持ってきているぐらいだから彼の地にはんなりと明るいイメージを抱いているのだろうか。では関西を関東に置き換えるならどうなるだろう。そしてそれにふさわしい花は?句を眺めながらしばし考えている『立棺都市』(1995)所収。(三宅やよい)


April 0742011

 蝶とべり飛べよとおもふ掌の菫

                           三橋鷹女

れまで短歌に親しんでいた鷹女の処女作。戯れに摘み取った手の中の菫がやがてはしおれてしまうことに哀れさを感じたのか、ひらひらと舞う蝶のように飛んでおくれ、と願う気持ちが初々しい。「おもふ」と、自分の気持ちを直截的に盛り込む強さが最期まで自分の感情を大切にした作者らしい。鷹女は昭和四十七年四月七日に亡くなった。その日は満開の桜のころであったが「花冷えなどというにはあまりに底冷えのする寒さであった」と中村苑子が書いている。鷹女最期の句は「寒満月こぶしをひらく赤ん坊」だった。消えてゆく命が、月の光に誘われて握りしめたこぶしを徐々にひらく赤ん坊の生命力に呼応したのだろうか。摘み取った掌の菫から、ひらかれゆく赤子のこぶしまで、四十五年の歳月を俳句に打ち込んだ鷹女だった。(三宅やよい)


April 1442011

 あつ雉子あつ人だちふ目が合うて

                           西野文代

物の雉子にはなかなかお目にかかれないが、名古屋に住んでいたころ、山林を切り崩して宅地を造成している道へ出てきた雉子を見かけたことがある。もちろんそばには近寄れず、遠くから双眼鏡で眺めただけだったが、住み場所を荒らされたあの雉子はどこへ行ったやら。それにしてもこの句、山道かどこかでばったり雉子と鉢合わせをしたのだろうか。「あ、雉子」と声にならない声をあげている人の驚きは勿論のこと、雉子の目にも狼狽の色を読み取っている。こういう出会いは人間からの視点になりがちだけど、目を白黒させている雉子の気持ちになって「あ、人だ」と言わせているのがおかしい。ほんとに雉子は焦っただろうな。仮名遣いの妙を生かして瞬間の情景を生き生きと描き出している。いいなぁこういう句。『それはもう』(2002)所収。(三宅やよい)


April 2142011

 ことば呼ぶ大きな耳や春の空

                           小川軽舟

は閉じれば嫌なものを見なくてすむ。鼻は息をつめればある程度匂いを遮断できる。口を閉じれば話さなくてすむ。なのに耳だけは自分の意思で塞ぐことはできない。ほかの器官がだめになっても耳だけは最期の最期まで機能しているとどこかで聞いたことがある。掲句での「大きな」は耳自体の大きさをあらわすだけでなく、よく人の話しを聞く賢い耳なのだろう。人に語らせる力を持つ耳。人を動かすのは気のきいた言葉や雄弁さではなく、相手の語る言葉の真意がどこにあるのか注意深く聞きわける力かもしれない。そう思ってみても簡単には「大きな耳」の持ち主になれるわけもなく、そんな耳を持つ人に憧れるばかりである。そんな耳の持ち主は和やかな春の空に似通っていて、語る人を包み込む優しさを持っているのだろう。『新撰21』(2010)所収。(三宅やよい)


April 2842011

 鷺草の鉢にサギ子と札を立て

                           榎本 享

草は花が鷺の飛ぶ姿に似ていることからこの名が付けられたという。写真で検索してみると、なるほどちっちゃな鷺が思い思いの方向へ羽根を広げて飛んでいるようで可愛らしい。鉢植えでもよく育つとあるから、花が咲いてくれますようにと願いをこめて札を立てているのだろう。「サギ子」と書くことで、鉢植えを子供のようにいとおしむ気持ちがユーモラスに表現されていて楽しい。当たり前になりがちな行為に言葉のスパイスを加えることでぽかっと風穴が開いたようだ。日々の営みに慣れ切ってしまうと感受性もついつい固くなる。単調になりがちな気分をほぐしつつふっと楽しくなる言葉や思いつきを俳句に詠む。読む側も思わず微笑んで気持ちが軽くなる。そんな明るい循環が俳句にはあるようだ。サギ子の鉢にたくさんの鷺が飛ぶといいですね。『抽斗』(2005)所収。(三宅やよい)


May 0552011

 厖大なる王氏の昼寝端午の日

                           西東三鬼

午の節句は邪気を払うため菖蒲などを軒に差す、それが菖蒲と尚武の繋がりもあって男子の節句とされたと広辞苑にはある。戦後は「こどもの日」とされたようだが、私の子供時代でも3月3日のお雛様は女の子の日、鯉幟を立て、武者人形を飾る5月5日は、男の子中心の日といった気分が残っていた。男の子の祭りは祝日なのになぜ女の子の祭りは休みにならないのだろう。男の子の方が大事なんだと兄を羨ましく思ったこともあった。そんなケチな考えなどどこ吹く風と、でっぷりと太ったワン氏がいびきかいて昼寝している。戦前、戦後三鬼は神戸に住んでいたが、ロシア人、エジプト人、中国人に「センセイ」呼ばれ心に垣根を設けることなく付き合っていた。そんなコスモポリタン三鬼は鯉幟も武者人形より大きな腹をゆすって寝ている王氏に勇猛さを感じているのだろう。季重なりなど何するものぞ、意識せずに俳句の枠からはみだしてゆく三鬼の柄の大きさを王氏のいびきとともに感じさせる一句。『西東三鬼集』(1984)所収。(三宅やよい)


May 1252011

 筍が来てごろごろとしてゐたる

                           水田光雄

かつにも結婚するまで筍を掘ったことも、煮たこともなかった。連れ合いの里にある竹林はうかうかしていると山から下りてきた猪が鼻先で土をえぐって食い荒らしてしまうので早々に収穫して遠くの都会に住む子供たちへ送られる。掘り起こされた筍が宅急便でどかんと台所へ届けられた日には糠や唐辛子を用意し、大鍋を引っ張り出して右往左往した。それでも回数を重ねるうちにこの季節が楽しみになってきた。田舎の土をつけて筍がやってきた日には何をおいても下茹でしなければと気がせく。若竹煮、筍ごはん、木の芽和え、お吸い物。あっさりと炊いてちらし寿司に入れるのもいい。「筍が来て」と、送ってくれた人ではなく筍を主体としたことで、荷を解いて転がり出た筍たちがすぐ料理してくれ、うまく食べてくれと台所に転がってねだっているようで楽しい。『田の神』(2004)所収。(三宅やよい)


May 1952011

 遠雷や生命保険の人が来る

                           渡辺隆夫

本邦雄に「はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を賈りにくる」(「日本人霊歌」)という短歌があるが、たぶんそれを踏まえて作られているのだろう。確かに尋常に考えれば自分の命に値段をつけているわけで、保険というのはコワイしろものだ。塚本の短歌は光っているのは保険屋の汗であるが、掲句の場合は光るものは遠雷である。遠雷は遠來にひっかけてある。普通に考えれば何でもない文脈だが、読み手が塚本の短歌を思い浮かべるだろうことを想定して作られた句だと思う。作者は川柳人。もとの材料にちょいと毒や仕掛けがさりげなく盛られている。季語や故事来歴を逆手にとって詠む。「月山が死後の世界だなんて変」「亀鳴くと鳴かぬ亀来て取り囲む」なんて図を想像するとおかしくなってしまう。大真面目な俳人がおちょくられている。『魚命魚辞』(2011)所収。(三宅やよい)


May 2652011

 五月闇吸ひ込むチェロの勁さかな

                           朝吹英和

ェロは魅力的な楽器である。単独でのチェロの演奏を切り開いたのはパブロカザロスらしいが、古ぼけた復刻版でバッハの「無伴奏」など聴いていると心が落ち着く。チェロは弦楽器であるから、弓で弦を振動させて音を出すのだが、そのチェロの響きを「五月闇」を「吸ひ込む」と表現してチェロの太くて低い音質を感じさせる。雨を含んで暗い五月闇は否定的な印象で使われることが多いが、この句の場合その暗さをゆったりと大きく広がる魅力的なチェロの響きに転換し、しかもそれをチェロの「勁さ」と規定しているところに魅力を感じる。作者自身演奏者なのか、この句集では様々な楽器をテーマに音楽と季節との交歓を詠いあげている。「モーツァルト流れし五月雨上る」「薔薇真紅トランペットの高鳴れり」『夏の鏃』(2010)所収。(三宅やよい)


June 0262011

 あめんぼう吹いて五センチほど流す

                           関根誠子

の沼や水たまりの表面にふわふわと浮くように小さなあめんぼうがいる。よく見ればしっかりと足をふんばった水面にちいさな窪みなどできている。けなげな姿ではあるが、愛嬌があるので、ちょっとかまってみたくなる。ふうっと息をふきかけるとそのままの体勢でつつつつつ、と水面を後ずさりしてゆく。あめんぼうもさぞ面喰ったことだろう。「水馬水に跳ねて水鉄の如し」村上鬼城の句などは水に鋼の固さを感じさせることであめんぼうのかそけき動きを力強く描き出しているが、この句ではあめんぼうへ息を吹きかける子供っぽい仕草とあめんぼうの愛嬌ある反応が句の面白さを引き出している。今度あめんぼうを見かけたらふっと吹いてみよう。何センチ流れるかな。『浮力』(2011)所収。(三宅やよい)


June 0962011

 孔雀大虐殺百科辞書以前

                           九堂夜想

字ばかりの表記。百科事典にはあらゆる分野にわたっての知識を集めこれを五十音順に配列したものだけど、昔は応接間の書棚に学校の図書館に高級そうな背表紙がずらりと並んでいるのを目にしたものだ。思えばパソコンのない昔は何かを調べるにあたってはあの重い本を棚から引き出し、項目を追い、必要な部分を書きうつしていたわけで、百科事典と言えばずっしり持ち重りする感触が思い出される。そういえば何十年も百科事典を開いていない。百科事典のもとになる百科全書が編集されたのはフランス革命の頃らしいが、「百科辞書以前」とは、人間の知識の尺度で測れない「むかし」と言った感触が込められているのだろう。人間の繁栄以前にあった孔雀の王国が何物かに虐殺されて消滅した禍々しさが感じられる。人間もやがては思いもよらぬ生物によってその終焉が語られる時が来るだろうか。こんな神話的世界が書けるのも俳句。今更ながらに俳句の懐の深さを感じさせられる。『新撰21』(2009)所載。(三宅やよい)


June 1662011

 四国とは背伸びの子象風すずし

                           橋本 直

本地図の四国のかたちをじっと見る。細長く伸びる佐田岬が子象の鼻だとすれば、三角にとんがった足摺岬と室戸岬が前脚と後脚にあたるのだろうか。物を別なものになぞらえる見立ては俳句ではあまり好かれないようだ。「四国とは」の「とは」も説明的だと言われそうだ。だけど見立ては決まりきった見方を切り崩し新鮮な側面を描き出す手法でもある。この句の場合、「背伸びの子象」という表現に託された四国は愛らしく微笑ましい。せいいっぱい身体を伸ばす子象に吹きわたる風。この句を読んで四国を思うと水色の海に囲まれた島が夢ある土地に思えてくる。『水の星』(2011)所載。(三宅やよい)


June 2362011

 微熱あり黒く輝くハイヒール

                           久保純夫

込むほどではない、さりとて何かしらだるく熱っぽい。頭がぼうっと霞がかかったよう。普段通りの生活をしているが瞼の裏が熱くて上ずった感じがするそんなうす雲のかかった脳裏に浮かぶハイヒールは幻想なのか、現実なのか。フェティシズムの中でも女の靴に欲望を示す男が多くいることは知られているが、この句にはあのとがった踵で熱っぽい頭を踏みつけてもらいたい。そんな怪しい欲望さえ感じられる。「微熱あり」と最初に置いてしまうとどんな妄想でも受け入れてしまう難しさがあるが、黒いハイヒールの残酷な輝きは、かえってなまなましい現実を意識させる。季語の共感に寄りかからないこの句の場合、読み手の側へ黒く艶のあるハイヒールがくっきりと浮き出てくれば成功というところか。『比翼連理』(2003)所収。(三宅やよい)


June 3062011

 七月の天気雨から姉の出て

                           あざ蓉子

めじめした梅雨が去ると天気予報に「晴れ」マークの続く本格的な夏の訪れとなる。明日から七月。この夏、東京は15パーセントの削減目標で節電を実施することになっている。昨年の酷暑を思うと本格的な夏の訪れが恐ろしい。どうか手加減してください。と、」空に向かって祈りたい気持ちになる。「天気雨」は日が照っているのに細かい雨が降る現象。沖縄県鳩間島では「天泣」という言葉もあるらしい。仰ぐ空に雲らしきものは見えないのに雨が降る不思議、七月の明るい陽射しに細かい雨脚がきらきらと光っている。その天気雨の中から姉が出てくるのだろうか。「キツネの嫁入り」という天気雨の別の呼称が立ちあがってくるせいか、白い横顔をちらと見せる女の姿が思われる。天気雨が通過するたび遠くへ去った姉の面影が帰ってくるのかもしれない。『天気雨』(2010)所収。(三宅やよい)




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