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2011ソスN1ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1412011

 励まされゐて火鉢の両掌脂ぎる

                           櫻井博道

邨先生居という前書あり。博道(はくどう)さんは宿痾となった結核との永い闘病生活の果てに平成三年六十歳で逝去。痩身でいつもにこにこと優しい人柄であった。作風もまた人柄に同じ。師加藤楸邨はことのほかその作品と人柄を愛した。句集『海上』にはあたたかい師の跋文がある。楸邨は後年は弟子の句集に序文や跋文は書かない主義を通したので、おそらくこれが最後の跋文ではなかったかと思う。晩年楸邨居の座談会に僕も同席したが、楸邨は博道さんの足の運びにも気を遣っていた。この句も楸邨が博道さんを励ましているのである。脂ぎるという言葉は健康な人間にとっては決して清潔な語感ではないが、宿痾を抱える作者は体全体から噴き出す気持ちの高揚というほどの積極的な意味で用いている。博道さんのあの研ぎ澄まされたような痩身を思いだすとこの脂ぎるがなんとも切なく胸に迫ってくる。『海上』(1973)所収。(今井 聖)


January 1312011

 一月の魯迅の墓に花一つ

                           武馬久仁裕

者が中国へ旅したときに作った句。国内での吟行とは違い海外で句を詠むとなると日本での季節の順行や季の約束ごととは違う世界へ出てゆくことになる。作者は「俳句と短文の織り成す言葉による空間を満足の行く形で作ってみたくなったからである」とこの句集を編むに至った動機をあとがきで述べている。風習の違いや物珍しさで句を詠んでも単なるスナップショットで終わってしまう。(もちろんそれはそれで楽しさはあるのだが)作者は現在の中国を旅して得た経験と歴史や文学で認識していた中国を重ねつつ「日常であって日常でない」世界を描き出そうとしている。一月、と一つという簡潔な数字の図柄が世間の人々に忘れられたかのような寂しい墓の風情を思わせる。その墓の在り方は「藤野先生」や「故郷」といった魯迅の作品に流れる哀感に相通じているように思える。真冬の魯迅の墓に添えられた花の種類は何だったのだろう。「玉門関月は俄に欠けて出る」「壜の蓋締めて遠くの町へ行く」『玉門関』(2010)所収。(三宅やよい)


January 1212011

 打ちあげて笑顔のならぶ初芝居

                           松本幸四郎

年の「壽初春大歌舞伎」(初芝居)は1月2日に幕があいた。東京では歌舞伎座が改築中なので、新橋演舞場や浅草公会堂などで26日まで。演し物は「御摂勧進帳」「妹背山婦女庭訓」他。大阪は大阪松竹座で上演中である。もう早々にご覧になった方もいらっしゃるでしょう。毎年のこととはいえ、初芝居は出演者それぞれに新鮮な緊張感があるものらしい。千龝楽まで無事に終わって打ちあげともなれば、出演者はもとよりスタッフ一同ホッとして笑顔笑顔の打ちあげであろう。他の興行でも同様だろうと思われるが、大所帯で初芝居を終えての達成感・安堵感は格別のもがあるのは当然。幸四郎は八代目幸四郎(白鸚)の長男として生まれ、三歳の時に初舞台を踏んだ。幸四郎がかつて「俳句朝日」に連載していた俳句に、私は親しんだことがあるけれど、虚子に学んだ祖父中村吉右衛門(初代)の一句「雪の日や雪のせりふを口ずさむ」が、自分を俳句の世界に誘ってくれたと述懐しており、「ひょっとしたら俳句は、神からの短い『言葉の贈り物』なのかもしれない」とも書いている。掲句は『松本幸四郎の俳遊俳談』(1998)に収めた句と、その後の句を併せて編集された句集『仙翁花』(2009)に収められたなかの一句。他に「神々の心づくしの雪の山」がある。初芝居と言えば、宇多喜代子に「厄介なひとも来てをり初芝居」がある。(八木忠栄)




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