January 182011
梟やわが内股のあたたかし
遠藤由樹子
ヨーロッパでは森の賢者と呼ばれ、日本では死の象徴とされてきた梟は、動物園やペットとして飼われているものでさえ、どこか胸騒ぎを覚えさせる鳥である。集中前半に収められた〈梟よ梟よと呼び寝入りけり〉の不穏な眠りを象徴した梟が印象深かったこともあり、後半に置かれた掲句にも丸まって太ももの間に手をはさんで横になる姿勢を重ねた。左右の脚の間にできるわずかな空間のやわらかなぬくもりが、安らかな心地を引き寄せる。それは自分で自分を抱きしめているような慈しみに満ち、そして少しさみしげでもある。おそらく胎児の頃から親しんできたこのかたちに、ひとりであることが強調されるような様子を見て取るからだろう。寒さに耐えかねてというより、さみしくてさみしくてどうしようもないときに、人は自らをあたためるようなこの姿勢を取ってしまうのだと思う。血の通うわが身のあたたかさに安堵と落ち着きを取り戻したのちは、元気に起き上がる朝が待っている。『濾過』(2010)所収。(土肥あき子)
May 212011
十薬のつぼみのやうな昔あり
遠藤由樹子
裏庭にどんどん増えるドクダミと刈っても刈っても増え続けるヤブカラシは、子供の頃我が家の庭の二大嫌われものだった。ほんとに臭いね、などと言いながらよく見ることもなかったドクダミを、しげしげと見たのはやはり俳句を始めてから。近づくと、あんなに嫌だった独特の匂いは郷愁を誘い、葉はハートの形で花は真っ白な十字形、蕾はしずくのような姿で眠っている。ほんとうの花は真ん中の黄色い部分で、白いのは萼だというが花言葉は、白い追憶、とロマンティックだ。そんな十薬の群生する蕾を見つめながら、作者もふと郷愁をおぼえたのだろうか。あのしずくの形が、光に見えたか涙に見えたか、作者の胸に去来したものはわからないけれど、つぼみのやうな昔か、昔っていい言葉だな、とあらためて思った。『濾過』(2011)所収。(今井肖子)
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