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2011ソスN1ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2312011

 冬の雨硝子戸越しに音を見る

                           小林紀彦

が覚めて、朝の新しい雨の音を布団の中で聞いているのが、好きです。勤めのない土曜日の朝であれば、なおさらよく、ああ降っているなと思って、外の濡れた姿をしばらく想像して、それから再び眠りに落ちてゆきます。関東地方に長年住んでいると、しかし冬はひたすら晴天ばかりです。長い冬のあいだを、積雪に苦労をしている地域の人々からみれば、なんと贅沢なことかといわれるかもしれません。今日の句の工夫は、「音を見る」としたところ。特段すごい表現だとは思いませんが、それでもそう言いたくなる気持ちはよくわかります。目に見える姿と、かすかに聞こえる音がぴたりとあわさって、雨をぜんたいで受け止めようとしているようです。ちょっとひねっただけで、句はこれほどに生き生きとしてくるものかと、あらためて句の音を、みつめます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2011年1月23日付)所載。(松下育男)


January 2212011

 水鳥のいくつも浮かぶカプチーノ

                           彌榮浩樹

瞬、カプチーノのほわっとした泡の上に、鳥たちがのんびり浮かんでいるような気がしてしまう、浮かぶ、で切れるとわかっていても。作者は池を見渡せるティールームで、水に遊ぶ鳥たちを眺めながら、ゆっくりカプチーノを楽しんでいるのだろう。これが、白鳥の、とか、鴛鴦の、などと言われてしまうと、まずそれらの鳥の映像がはっきり浮かぶので、カプチーノの上には浮かばない。いくつも、という言葉も、具体的な鳥だったら逆に、何羽くらいなんだろう、などと考えてしまう。水鳥、という大づかみな表現が、いくつも、という言葉の曖昧さを広がりに変えて、カプチーノの泡とともに句全体から、冬日が漣となっている池の空気を感じさせている。『鶏』(2010)所収。(今井肖子)


January 2112011

 手を容れて冷たくしたり春の空

                           永田耕衣

本尚毅さんの「手をつけて海のつめたき桜かな」と並べて鑑賞すると面白い。「したり」は能動。自分の手が空を冷たくするのだ。直感的に空よりも手の方が冷たいという比較を強調しているように思う。そして句の中には自分と春の空の二者が登場する。それに対して岸本さんの方は手と海と桜の三者が登場する。空間の奥行はこちらの方が構成的。耕衣作品は「春の空」を擬人化しているようにも見える。その分、文学臭が強いようでもある。『殺佛』(1978)所収。(今井 聖)




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