今週も寒そうだ。あと二ヶ月もすると桜が咲くとは思えない。(哲




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January 2412011

 白き息賑やかに通夜の線路越す

                           岡本 眸

夜からの帰途だろう。寒い夜。数人で連れ立って、おしゃべりしながら見知らぬ町の踏切を越えている。故人への追悼の思いとはべつに、通夜では久しぶりに会う顔も多いので、故人をいわばダシにしながら旧交を温めるという側面もある。では、そのへんで一杯と、作者も含めてちょっぴりはしゃぎ気味の連中の様子がよく捉えられている。小津安二郎の映画にでも出てきそうな光景だが、小津の場合にはこのようなカットは省略して、いきなり酒場などのシーンになるのが常道だった。どちらが良いかは故人と通夜の客との関係にもよるので、一概にどちらとは言えない。が、掲句の「賑やかに」歩いている姿のほうが、私などには好ましく共感できる面がある。なぜなら、この賑やかさによる見かけの陽気さは、かえって人間存在の淋しさを暗に示しているからだ。生き残った者たちが束の間はしゃいでいるだけで、やがてはみな故人と同じ運命をたどることになるのだからである。だから、彼らのはしゃぎぶりは、決して不謹慎ではない。故人の死によって、あらためて生きていることの楽しさを自覚した人たちの至極真っ当なふるまいである。そのへんの機微を、実に的確に表現し得た佳句だと思う。『矢文』(1990)所収。(清水哲男)


January 2312011

 冬の雨硝子戸越しに音を見る

                           小林紀彦

が覚めて、朝の新しい雨の音を布団の中で聞いているのが、好きです。勤めのない土曜日の朝であれば、なおさらよく、ああ降っているなと思って、外の濡れた姿をしばらく想像して、それから再び眠りに落ちてゆきます。関東地方に長年住んでいると、しかし冬はひたすら晴天ばかりです。長い冬のあいだを、積雪に苦労をしている地域の人々からみれば、なんと贅沢なことかといわれるかもしれません。今日の句の工夫は、「音を見る」としたところ。特段すごい表現だとは思いませんが、それでもそう言いたくなる気持ちはよくわかります。目に見える姿と、かすかに聞こえる音がぴたりとあわさって、雨をぜんたいで受け止めようとしているようです。ちょっとひねっただけで、句はこれほどに生き生きとしてくるものかと、あらためて句の音を、みつめます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2011年1月23日付)所載。(松下育男)


January 2212011

 水鳥のいくつも浮かぶカプチーノ

                           彌榮浩樹

瞬、カプチーノのほわっとした泡の上に、鳥たちがのんびり浮かんでいるような気がしてしまう、浮かぶ、で切れるとわかっていても。作者は池を見渡せるティールームで、水に遊ぶ鳥たちを眺めながら、ゆっくりカプチーノを楽しんでいるのだろう。これが、白鳥の、とか、鴛鴦の、などと言われてしまうと、まずそれらの鳥の映像がはっきり浮かぶので、カプチーノの上には浮かばない。いくつも、という言葉も、具体的な鳥だったら逆に、何羽くらいなんだろう、などと考えてしまう。水鳥、という大づかみな表現が、いくつも、という言葉の曖昧さを広がりに変えて、カプチーノの泡とともに句全体から、冬日が漣となっている池の空気を感じさせている。『鶏』(2010)所収。(今井肖子)




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