地デジ地デジと言うけれど、我が集合住宅は何の対応もしてない。(哲




2011ソスN1ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2712011

 白髪やこれほどの雪になろうとは

                           本村弘一

髪になるのは個人差があるようで、はや三十歳過ぎから目立ちはじめる人もいれば六十、七十になっても染める必要もなく豊かに黒い髪の人もいる。加齢ばかりでなく苦労が続くと髪が白くなるとはよく言われることだけど、どうして髪が白くなるのかそのメカニズムはよくわかっていないようだ。掲句は「白髪や」で大きく切れているが、「これほどの雪」が暗い空を見上げての嘆息ともとれるし人生の来し方行く先への感慨のようにもとれる。降りしきる雪の激しさと白髪との取り合わせが近いようで、軽く通り過ぎるにはひっかかりを感じる。俳句の言葉とはすっかり忘れ果てたときに日常の底から浮上してきて読み手に働きかけるものだが、この句のフレーズにもそんな言葉の力を感じる。「ゆきのままかたまりのまま雪兎」「ひたひたと生きてとぷりと海鼠かな」『ぼうふり』(2006)所収。(三宅やよい)


January 2612011

 音もなく雪の重みにしなう竹

                           アビゲール・フリードマン

文は〈heavy with snow the bamboo bends in silence/Abigail Friedman〉。竹林にどっさり雪が降ると、竹は枝葉に積もった雪の重みでそれぞれ弧を描いてしなってしまう。なかには耐えきれずに、途中から割れて折れてしまう若い竹もある。しかし、他の樹木とちがって、竹はポッキリ折れてしまうことはない。この句で思い出すのは(私事になるが)、中学生の頃、雪がどっさり降った翌朝裏山の竹林に行って、雪の重みで弧を描いて大きくしなっている竹を、一本一本ゆさぶって雪を落としてやったことである。誰に頼まれたのでもない。竹はうれしそうに雪をビューンと跳ね返して高く伸びあがる。散り落ちてくる雪をあびながら、そんな作業がおもしろくもうれしかった。雪がたくさん降った後そんな作業をしに、よく裏山の竹林へ出かけた思い出が懐かしい。フリードマンはアメリカの女性外交官で、駐日アメリカ大使館勤務時代、俳句に興味を抱いて黒田杏子に師事し、句会にも参加したという。俳句を学んでいて、「子どものころ未来について夢見たのと同じ畏れと神秘さを味わった」と記している。掲句は彼女の俳句体験記『私の俳句修行』(中野利子訳/2010)巻末の「アビゲール不二句集」に収められている。他に「雪が舞ふ刻(とき)の流れをおしとどめ」などがある。俳句訳=中野利子・黒田杏子。(八木忠栄)


January 2512011

 木星の色を転がし毛糸編む

                           山田真砂年

星といえば赤道方向に伸びるカラフルな縞模様が特徴である。その色かたちはまさにグラデーションのかかった毛糸玉のように見え、掲句の通りと共感する。俳句による「見立て」のむずかしさは、共感を得つつ、平凡ではなく、なおかつ突飛すぎない、という頃合いにある。掲句には生活のなかに存在するささやかな毛糸玉が、みるみる太陽系のなかでもっとも大きな惑星へと大胆に変貌する切り替えの面白さに無理がなく、羨望のクリーンヒットとなっている。そして、このたび何種類もの木星の画像を見たのだが、色彩がタイミングによって赤い大理石のようだったり、青白く映っていたりとまるで折々の気分次第で色が違っているように千差があった。また木星は太陽系のなかでもっとも自転の早い惑星でもあるという。壮大な奥行きとともにテンポのよいホルストの組曲『惑星』の「木星」をBGMに、くるくる回転する木星に今にも飛びかかろうとしている猫の姿など、楽しい空想が抑えようもなくふくらんでしまうのだった。「湯島句会」(2010・第36回)所載。(土肥あき子)




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