沼尻エリカの「報道過多」が気になる。変な世の中の象徴だな。(哲




2011ソスN1ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2912011

 鵜の宿の庭に鵜舟や春を待つ

                           荒川あつし

の宿は川べりにあるのだろうか。春近い日と水の匂いがして、宿の庭、に人の暮らしが見え風景が親しい。宿のたたずまいとそこに静かに置かれた鵜飼舟、作者はもちろんのこと、あたりの草も木々の枝も、川や舟さえ春を待っているように思えてくる。春は空からというけれど本当だなと思うこの頃だが、待春の心持ちのしみてくる句を読みながら、学生の頃岐阜の友人の所へ遊びに行ったとき観た鵜飼を思い出す。そこだけ照らされた鵜がたてる水しぶきと川風の匂いがかすかに記憶の底にあるだけだけれど。そういえばこの時期、鵜飼の鵜はどうしているのかと思ったが、シーズン中は日々働きオフは食べて寝てのんびり過ごしているらしい。鵜はとても賢いというが、もうすこし暖かくなったらそろそろ勘を取り戻すための練習が始まるのだろう。『縁』(1979)所収。(今井肖子)


January 2812011

 春めくやわだちのなかの深轍

                           鷹羽狩行

の土に幾筋も刻まれた轍のなかに浅い轍と深い轍がある。春の土のやわらかさという季節の本意と、轍という非情緒的な物象が一句の中で調和する。また、凝視の眼差しも感じられる。轍という言葉が示す方向性に目をやって人生的なものへの暗喩に導く鑑賞もありえようが、僕はそうは取らない。あくまで轍は轍。「もの」そのもの。『十六夜』(2010)所収。(今井 聖)


January 2712011

 白髪やこれほどの雪になろうとは

                           本村弘一

髪になるのは個人差があるようで、はや三十歳過ぎから目立ちはじめる人もいれば六十、七十になっても染める必要もなく豊かに黒い髪の人もいる。加齢ばかりでなく苦労が続くと髪が白くなるとはよく言われることだけど、どうして髪が白くなるのかそのメカニズムはよくわかっていないようだ。掲句は「白髪や」で大きく切れているが、「これほどの雪」が暗い空を見上げての嘆息ともとれるし人生の来し方行く先への感慨のようにもとれる。降りしきる雪の激しさと白髪との取り合わせが近いようで、軽く通り過ぎるにはひっかかりを感じる。俳句の言葉とはすっかり忘れ果てたときに日常の底から浮上してきて読み手に働きかけるものだが、この句のフレーズにもそんな言葉の力を感じる。「ゆきのままかたまりのまま雪兎」「ひたひたと生きてとぷりと海鼠かな」『ぼうふり』(2006)所収。(三宅やよい)




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