\@l句

January 3112011

 親類の子も大学を落ちてくれ

                           十 四

日は川柳から一句。まず、もう一度掲句に戻って、読後の感想をこころに素直に止めてから以下を読んでいただきたい。この句は北村薫『詩歌の待ち伏せ・上』(2002・文藝春秋)で知った。原句は『番傘川柳一万句集』に収録されているのだそうだ。で、北村さんはこう書き出している。「見た瞬間に、<何て嫌な句だろう>と思いました。自分の子が滑った時のことでしょう。確かに、人にそういう心がないとはいえない。けれど、剥き出しにされては堪らない、と思ったのです」。実は、私も一読そう思いました。読者諸兄姉は、どんなふうに思われたでしょうか。ところが、なのです。この句の解説に曰く。「この『くれ』は命令・願望ではない。連用止めである」。つまり、作者は「落ちてくれ」と願っているのではなくて、親類の子も「落ちてくれた」という意味なのだった。これを読んで、北村さんは「どうして見た瞬間に、感じ取れなかったのでしょう。恥ずかしいし、何より、口惜しい。とにかく、後ろを振り向いて、誰か見ていないか確認したいような気持ちでした」とつづけている。私もまた「あっ」と思い、北村さん同様に、後ろめたい気持ちになってしまった。つくづく、自分の目のいじわるさに嫌気を覚えたのである。読者の皆さんの場合は、如何だったろうか。はじめから「くれ」を連用止めと読んだ人は、そのまっすぐで汚れのない性格を誇って良いと思う。(清水哲男)




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