東京地方は一ヶ月以上も乾燥注意報が出っぱなし。一雨ほしいな。(哲




2011ソスN2ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0522011

 鉛筆をまだ走らせず大試験

                           高瀬竟二

試験は、入学試験、卒業試験、進級試験などをいうが、現在は俳句にしか見られない言葉だろう。二月から三月はどうしても、受験や大試験の句に目がいってしまう。この句は、大切な試験なのだからともかく問題を熟読、慌てないでよく考え構想を練ってから書こう、という落ち着いた様子とほどよい緊張感が感じられる。つい、試験監督をしている視点で読むと、走らせず、にやや不安感が見え、試験が始まってしばらく経つのに鉛筆を握りしめたままかたまっている受験生が見えてしまう。でもここは、走らせないのは意志であり、沈思黙考する姿は溜めた力を一気に出して合格することを暗示している、と読みたい。『初鶏』(1998)所収。(今井肖子)


February 0422011

 若布干す鳩も鴉も寄つてくる

                           名取里美

ってくる鳩や鴉は若布を狙っているのではないだろう。浜に打ち上げられる雑魚の死骸などが目的か、あるいは干す人の温情にすがって何かもらうつもりだ。この場面から先、鳩や鴉は目的を達したのか。それが気になる。人を介護したり、犬猫を可愛がったり、孫になんでも買ってやろうとしているあなた、鳩と鴉にも少しでいいから喜捨を。『家族』(2010)所収。(今井 聖)


February 0322011

 恐るべき年取豆の多きかな

                           木村たみ子

さい頃は豆の数が少ないのが不満だった。自分よりたくさん豆がもらえる兄や姉が羨ましく、年をとるたび掌に乗せる豆が増えるのが嬉しかった。いつからだろう豆の数が疎ましくなったのは。「恐るべき」というぐらいだから片手に山盛りだろうか。子供たちも大人になった今は鬼の面をかぶることも豆まきをすることもなくなった。試しに年の数だけ手に乗せると溢れそうである。「鬼は外」と大きな声で撒くに恥ずかしく、ぽりぽり齧るには多すぎて、まさに「恐るべき」豆の多さである。「死にたしと時には思へ年の豆」高橋龍の句のように自分の年齢へ辛辣な批判を加えてみるのもひとつの見方だろうが、山盛りの豆に怖気つつ、又ひとつ豆を加えられる無事を感謝したい。『水の音』(2009)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます