メーラーにちょっとした不具合が。いま壊れられると困る。(哲




2011ソスN2ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1722011

 白板をツモると紅梅がひらく

                           金原まさ子

句白板には「パイパン」とふり仮名がふってある。山から牌を引っ張ってくるとつるりとした感触にそれと知れる。性的な隠語として使われることも多く、ちょっと怪しい響きである。大三元をあがるに欠かせない牌ではあるが、二枚揃ったからと抱え込んでいると「出世の妨げ」と捨てるよう指南されたこともある。大学そばの雀荘もめっきり減ったが、仕事後の麻雀はどうなのだろう。4人揃えるのも難しいと聞いたことがあるが、牌の揃えかたから点数の数え方まで知っている人が少なくなったこともあるかもしれない。それにしてもこの句、白と赤との色彩の対比は白板の白と赤のドラ牌や花牌からの連想かもしれないが、何ともユニークでエロチック。これから白板をツモるたび、紅梅がほころぶ図を思い浮かべそう。作者の金原さんはめでたく百歳を迎えられたそうだが、みずみずしい感受性で彩られた句の弾み具合は過激で面白い。『遊戯の家』(2010)所収。(三宅やよい)


February 1622011

 雪の上に/回転木馬をめぐって/馬の歩いた跡

                           ヴィンセント・トリピ

文は〈in the snow/around the carousel/tracks of a horse vincent tripi〉。雪が降った朝の公園だろうか。来てみると回転木馬の周囲に、馬が歩いたひづめの跡が残っているーーまあ、句そのままの意味合いだが、もしかして夜中に回転木馬たちのなかの一頭(a horse)が所定の場所を離れて、周囲を回転するように自由にのびのびと歩いたのかもしれない。そう考えるとファンタスティックな絵とイメージが加わる。それはしっかり固定されている木馬たちの見果てぬ夢なのかもしれない。閉園した真夜中の回転木馬のファンタスティックなドラマ、その入口を思わせるような俳句である。あるいは、どこかからお茶目な馬がやってきて、自由がきかない木馬たちにこれ見よがしに、その周囲を歩きまわって見せたと想定してみるのも楽しい。海外での俳句がさかんであることは、以前から言われている。北米でも、最も大きいアメリカ・ハイク協会が一九六八年に創設された。句会も定期的に開催され、同人誌も発行されているという。広大な北米大陸では、雪深いニューイングランドと雪のないロサンゼルスとでは、季節感に当然大きなへだたりがある。掲句はボストン・ハイク協会が主催したコンテストでの受賞作。上田真訳『俳句とハイク』(1994)所収。(八木忠栄)


February 1522011

 この枯れに胸の火放ちなば燃えむ

                           稲垣きくの

めいてきているとはいえ、唐突な雪があったり、一年のなかでもっとも寒さに敏感になる頃である。毎年バレンタインデー前後にことにそう思うのは、街やマスコミが盛り上げる赤やピンクのハートが飛び交うロマンチックの度合いと、わが身の温度差によるものだろうか。あまたある情熱的な句のなかでも、まっさきに浮かぶ一句が掲句である。ストレートにではないが、恋と示唆するにじゅうぶんな情熱が充溢し、それはどちらかというとおそろしいほどの様相である。しかし、掲句の前提は、その炎となる火を胸に秘めているというところに、作者の懊悩を共に感じ、またそれぞれが隠し持っている種火の存在に意識が届く。フルスロットルで詠う恋の句には健やかなまぶしさを覚えるが、ときには封じていた胸の奥の小部屋を覗いてみたくなるような作品に存分に酔いたくなる。『冬濤』(1966)所収。(土肥あき子)




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