今日通夜。明日葬儀。身内だけで無宗教でこじんまりと。(哲




2011ソスN2ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1922011

 幻のまぶたにかへる春の闇

                           阿部みどり女

の闇は春の夜の暗さをいうが、残る寒さの中にしんとある闇なのか、仄かに花の香りのする濡れたような闇なのか。早春から晩春、夜の感触は時間を追うごとに、またその時々の心情によって変わる。闇をじっと見つめていると、心の中の面影がふと像を結ぶ。こちらに向かって来るような遠ざかっていくようなその面影を閉じ込めるように、そっとまぶたをとじる。まなうらに広がる闇は、ありし日の姿と共に明るくさえ感じられるだろう。この句は、「二月十二日夫逝く、二句」と前書きがあるうちの一句。その直前に「一月十一日長男逝く」とあり〈遅々と歩す雪解の道の我ありぬ〉〈コート黒く足袋眞白に春浅き〉の二句。相次ぐ悲しみにその境涯を思うが、掲出句の、春の闇、に最も心情がにじむ。今年の二月も半ば過ぎて身の回りに相次ぐ訃報、春の闇に合掌。『笹鳴』(1945)所収。(今井肖子)


February 1822011

 石段にのる事二尺春の潮

                           松瀬青々

の潮が街なかの川に満ちてきて、川に下りる石段を浸して昇ってきた。石段は昔から濯ぎなどのためにあったものだろう。二尺だから約60センチ、満潮の刻と思われる。川と街と海とのつながり。そこで暮す人々の喧騒。日本のみならず世界中の海沿いの都市ではこんな自然の動きが何千年も繰返されてきた。「のる事」というふうな言い方は今の俳句にはない。だから新鮮。『蝸牛俳句文庫・松瀬青々』(1994)所収。(今井 聖)


February 1722011

 白板をツモると紅梅がひらく

                           金原まさ子

句白板には「パイパン」とふり仮名がふってある。山から牌を引っ張ってくるとつるりとした感触にそれと知れる。性的な隠語として使われることも多く、ちょっと怪しい響きである。大三元をあがるに欠かせない牌ではあるが、二枚揃ったからと抱え込んでいると「出世の妨げ」と捨てるよう指南されたこともある。大学そばの雀荘もめっきり減ったが、仕事後の麻雀はどうなのだろう。4人揃えるのも難しいと聞いたことがあるが、牌の揃えかたから点数の数え方まで知っている人が少なくなったこともあるかもしれない。それにしてもこの句、白と赤との色彩の対比は白板の白と赤のドラ牌や花牌からの連想かもしれないが、何ともユニークでエロチック。これから白板をツモるたび、紅梅がほころぶ図を思い浮かべそう。作者の金原さんはめでたく百歳を迎えられたそうだが、みずみずしい感受性で彩られた句の弾み具合は過激で面白い。『遊戯の家』(2010)所収。(三宅やよい)




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