とくに何をしたというわけでもないのに疲れました。本日休養。(哲




2011ソスN2ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2122011

 老いて母に友殖ゆ父は着膨れて

                           今村俊三

年の父は掲句のとおりであった。異常に寒がりになり、真夏以外はたいてい炬燵に入るほどだった。母は近隣に友だちが何人もいたけれど、元来が社交的ではない父には立ち話をするような人もいなかった。兄弟も昔の友人知己も次々に他界して、年々賀状の数も減っていった。そんな父が唯一楽しみにしていた行事が士官学校時代の同級会で、毎年春には遠い靖国神社まで出かけていった。とはいえメンバーも欠けて近年は四人になり、後の出席者は未亡人が十名ほどだったらしい。一昨年は介護の人を頼んで、車椅子で連れていってもらった。昨年も認知症が進むなかで行きたい様子を見せた。それが困ったことに、真夜中に突然起き上がり「これから出かけるから」と背広に着替えたりして、母を多いに困惑させた。そんなにも行きたいのか。母から相談を受けた私は、これで最後になるかもしれないので、介護の車は予約するようにと答えた。当日、車がやってきたときには、しかし父は眠っていたという。車には帰ってもらい、何日かして見舞いに行くと、出席の約束を破ってしまったことをひどく悔やんでいて、何度も幹事に電話してくれと言う。既に当日、母が詫びの電話を入れていたのだが、そのことを何度言っても納得しない。母の話によると、その幹事役の人も認知症が進んでいて、電話口には出られないということだった。そこで私は嘘をついた。さっき電話してよく謝っておいたからと言うと、やっと少しはほっとしたような顔つきになった。『冬の樫』(1973)所収。(清水哲男)


February 2022011

 夕風 絶交 運河・ガレージ 十九の春

                           高柳重信

詞だけを置いてゆくこの句から、どこか北園克衛の詩を連想しました。詩ならこの後で、どんな展開も可能だし、名詞だけが選ばれた理由を含めて書き継いでゆくこともできます。しかし、句ではそうはいきません。助詞や副詞や形容詞や動詞が、句にとってはどうして必要なのかを、逆に考えさせてもくれます。途中に開けられた空白と、中黒の違いはあるのでしょうか。選ばれた言葉から連想されるのは、バイクに乗って運河沿いを走っていた若者が、友と別れ、肩を落としてガレージに帰ってきたと、そんなところでしょうか。しかし、意味をつなげて解釈してしまうと、句の魅力に迫ることができません。たぶんそうではなく、夕風は夕風そのものであり、絶交は絶交という言葉でしかないのです。全体に逃げ場のない悲しみを感じますが、あるいはそうではなく、ただ単にしりとりを、一人でしているだけなのかもしれません。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


February 1922011

 幻のまぶたにかへる春の闇

                           阿部みどり女

の闇は春の夜の暗さをいうが、残る寒さの中にしんとある闇なのか、仄かに花の香りのする濡れたような闇なのか。早春から晩春、夜の感触は時間を追うごとに、またその時々の心情によって変わる。闇をじっと見つめていると、心の中の面影がふと像を結ぶ。こちらに向かって来るような遠ざかっていくようなその面影を閉じ込めるように、そっとまぶたをとじる。まなうらに広がる闇は、ありし日の姿と共に明るくさえ感じられるだろう。この句は、「二月十二日夫逝く、二句」と前書きがあるうちの一句。その直前に「一月十一日長男逝く」とあり〈遅々と歩す雪解の道の我ありぬ〉〈コート黒く足袋眞白に春浅き〉の二句。相次ぐ悲しみにその境涯を思うが、掲出句の、春の闇、に最も心情がにじむ。今年の二月も半ば過ぎて身の回りに相次ぐ訃報、春の闇に合掌。『笹鳴』(1945)所収。(今井肖子)




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