今日から普段の仕事に戻らなければ。締め切りの過ぎた原稿三本。(哲




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February 2322011

 風花やわれに寄り添ふ母の墓

                           加宮貴一

雪、淡雪、沫雪、雪浪、雪しまき、雪まろげ、雪つぶて、銀花、六花(むつのはな)、そして風花……雪の呼び方や種類には情緒たっぷりのものがある。雪と闘っている人にとっては「情緒もクソもあるものか!」と言われそうだけれど。豪雪とか雪崩、雪害などという言葉は人に好かれないが、「風花」はロマンチックでさえある。晴れあがった冬空のもと、それほど寒くもない日に、こまやかな雪片があるかなきかに風に舞う。雪景色のなかであればいっそう繊細な味わいが広がる。掲句はもちろん、母の墓が「われ」に寄り添ってきたわけではない。母の墓にお詣りして、しばし寄り添っている静かな光景であろう。そこへ舞うともなく風花がちらほら舞っている。作者の心は墓と風花の両方に寄り添っているのだろう。墓前でそんな束の間の幸福感に浸っている。「寄り添ふ」のはやはり「母の墓」でなくてはなるまい。雪国で雪が降りつづけたあと、からりと青空がのぞく日がまれにあって、そんな時ちらつく風花は冬の格別な恵みのように感じられる。作家・貴一には「戸隠に日あり千曲の秋時雨」他たくさんの俳句があり、本島高弓との共著句集『吾子と吾夢』がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


February 2222011

 猫の子のおもちやにされてふにやあと鳴く

                           行方克巳

日猫の日。つながる2をニャンと読むものなので、日本限定ではあるものの、堂々と猫の句の紹介をさせていただく(笑)。あらゆる動物の子どもは文句なく可愛いものだが、ことに子猫となると自然と相好が崩れてしまう。小さいものへ無条件に感じる「かわいさ」こそ、赤ん坊の生きる力であるといわれるが、たしかに言葉ではあらわすことができない力が作用しているように思われる。掲句では「にゃあ」ではなく、「ふにゃあ」というところに子猫のやわらかな身体も重なり、極めつけの可愛らしさがあますところなく発揮されている。とはいえ、句集に隣合う〈子猫すでに愛憎わかつ爪を立て〉で、罪ない声を出しながら、一方で好き嫌いをはっきりと見定めている子猫の姿も描かれる。子猫はおもちゃにされながら、飼い主として誰を選ぼうかと虎視眈々と狙っている。〈恋衣とは春燈にぬぎしもの〉〈春の水いまひとまたぎすれば旅〉『地球ひとつぶ』(2011)所収。(土肥あき子)


February 2122011

 老いて母に友殖ゆ父は着膨れて

                           今村俊三

年の父は掲句のとおりであった。異常に寒がりになり、真夏以外はたいてい炬燵に入るほどだった。母は近隣に友だちが何人もいたけれど、元来が社交的ではない父には立ち話をするような人もいなかった。兄弟も昔の友人知己も次々に他界して、年々賀状の数も減っていった。そんな父が唯一楽しみにしていた行事が士官学校時代の同級会で、毎年春には遠い靖国神社まで出かけていった。とはいえメンバーも欠けて近年は四人になり、後の出席者は未亡人が十名ほどだったらしい。一昨年は介護の人を頼んで、車椅子で連れていってもらった。昨年も認知症が進むなかで行きたい様子を見せた。それが困ったことに、真夜中に突然起き上がり「これから出かけるから」と背広に着替えたりして、母を多いに困惑させた。そんなにも行きたいのか。母から相談を受けた私は、これで最後になるかもしれないので、介護の車は予約するようにと答えた。当日、車がやってきたときには、しかし父は眠っていたという。車には帰ってもらい、何日かして見舞いに行くと、出席の約束を破ってしまったことをひどく悔やんでいて、何度も幹事に電話してくれと言う。既に当日、母が詫びの電話を入れていたのだが、そのことを何度言っても納得しない。母の話によると、その幹事役の人も認知症が進んでいて、電話口には出られないということだった。そこで私は嘘をついた。さっき電話してよく謝っておいたからと言うと、やっと少しはほっとしたような顔つきになった。『冬の樫』(1973)所収。(清水哲男)




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