2011N3句

March 0132011

 啓蟄のとぐろを卷いてゐる風よ

                           島田牙城

だ冬のコートをしまいきれないが、今日から3月。そして来週には啓蟄。地底深くぬくぬくと冬ごもりしていた虫たちが土のなかから出てくるには、まだちょっと早いんじゃないの、といらぬ心配をしたくなる。それでもひと雨ごとに春の陽気となっているのはたしかで、花はその身を外気にさらしているのだから花の時期を見極めているのだろうと推量できるが、土のなかにいる虫たちはどうしてそれを知るのだろう。ちょうど今時分、今年最初の雷が鳴り、これが合図になっていたと考えられて「虫出しの雷」という言葉もあるが、まさか聞こえているとは思えず、なんとも不思議な限りである。掲句がいう風は強くあたたかな南風かもしれないが、「とぐろ」と称したことでどこか邪悪な獣めいた匂いをもった。目が覚めてのんびり土から出た蛙が、一番最初に吹かれる風がこれでないことを祈っている。〈汗のをばさん汗のおぢさんと話す〉〈土までが地球紅葉は地球を吸ふ〉〈ひるまずに降る雪さては雪の戀〉『誤植』(2011)所収。(土肥あき子)


March 0232011

 カレンダーめくれば春がこんにちは

                           坂上芽衣子

生三月。さすがに寒さもゆるんで来た。寒さということで言うと、一月のカレンダーも二月のカレンダーも寒々しくて恨めしい。早々にやり過ごしたい。二月のカレンダーをめくって三月になると、誰しもホッとして心も表情もやわらいでくるだろう。どんなに豪雪の冬がつづいても、雪国にもちゃんと春はやってくる。厳しかった酷寒もやがて去って、南から北まで隈なく暖かい春が広がる。掲句は、雪国新潟の新聞による「2010年ジュニア文芸大賞」の俳句部門で大賞を受賞した俳句であり、作者は現在中学三年生。受賞の言葉の冒頭にはこうある。「2年生の時につくりました。3月を迎えて、早く3年生になって楽しいことをやりたいなあ、いっそ3月のカレンダーもめくっちゃおうかなという思いを素直に出せたと思います」。その気持ちはよくわかる。三月のカレンダーをめくって、四月になれば上級生。雪に閉じこめられていた中学生が、春を待ちわび、同時に上級生になることへの期待を、率直にこの一句にこめている。春が「やってくる」ではなく、「こんにちは」という表現にいきいきとした若さが感じられる。芽衣子さん、楽しい三年生を過ごせたかしら? 同賞の佳作には、小学六年生の「山の中かくれんぼするきのこたち」(中川果琳)という可愛い句もある。「新潟日報」(2011年2月5日)所載。(八木忠栄)


March 0332011

 ふと思ふ裸雛の体脂肪

                           後藤比奈夫

に添えられた作者のエッセイによると「裸雛は大阪の住吉大社で頒けて貰える、掌に乗るほどの小さな土雛。」「烏帽子をかぶっているほかは全裸。男は胡坐、女雛は膝をしっかり合わせた正坐。」とある。句の印象からするとごくごく素朴な土人形といった感じ。むっちりとした膝、まるまるとめでたく肥えたお雛さまに体脂肪を思うところが面白い。雛の由来は人形(ひとがた)であり厄災を祓い、川や海へ流されたという。美しい段飾りのお雛さまは可愛い子の未来を願い親が設えるものだろうが、掲句の裸雛はその昔「子授け雛」と呼ばれており夫婦和合を願う雛らしい。日本各地にはいろんな役目を負ったお雛さまが数多くあるのだろう。宮崎青島神社の簡素な「神ひな」は安産、病気平癒などを願い神前に供えられる。わたしも九州の日田で買ってきた小さな土雛を飾って家族の無事を願い、雛の日を楽しむことにしよう。『心の小窓』(2007)所収。(三宅やよい)


March 0432011

 うしろより見る春水の去りゆくを

                           山口誓子

人法は喩えるものと喩えられる人の様子があまり解かりやす過ぎると俗に落ちる。春の水に前も後ろもなく、形もないから、この句の強引さが生き生きと擬人法を支える。俗に落ちないのだ。うしろより、で作者の歩く速さが見える。「を」で余韻が強調される。「冬樹伐る倒れむとしてなほ立つを」と同じ誓子自身のリズム。こういうのを春水の本意というのだろうか。違うと思う。これは季節感を作者の方へ近づけた「詩」そのもの。『晩刻』(1947)所収。(今井 聖)


March 0532011

 鶯もちいろを抓みていただきぬ

                           八田木枯

餅、うぐいす餅、うぐいすもち、鶯もち。それぞれ印象がずいぶん違う。餅、より、もち、の方がしっとりとした質感があり、うぐひす、より、鶯、の方が即座にその色と形が見える。色、は、いろ、とした方が、もちのなめらかさを損なわず、抓む、はその字にある「爪」によっていかにも、指でそっとつまむ、という感じがする。そして、食べる、ではなく、いただく。いただきぬ、とやわらかく終わることによって、ほんのりとした甘さが余韻となって残る。漢字か平仮名か、どの言葉を使うか、その選択によって目から受ける印象のみならず一句の余韻も変わる、ということをあらためて感じた。『俳壇』(2011年3月号)所載。(今井肖子)


March 0632011

 春服にポケットのなき不安かな

                           鹿野佳子

ケットという、かわいらしい響きのためでしょうか。あるいは、まど・みちおの「ふしぎなポケット」を連想するからでしょうか。ポケットというものは、どこか、よいことにつながる通路のような心持がします。春になり、分厚いコートを脱ぎ、さらにジャケットを脱いで身軽になったあとで、でも、どこか物足りない気分がするのはどうしてでしょうか。ああそうか、冬服にはあっちにもこっちにもあったポケットの数が、急に減ってしまったのでした。このポケットには財布を、こちらには定期券とハンカチをと、しまう場所を決めていたもの達も、テーブルの上に置かれて、困り果てています。どこにもしまえなくなった小物たちが、徐々に明るくなってくる春の日射しの下で、持ち主と一緒に、途方に暮れているのです。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


March 0732011

 過ぎ去つてみれば月日のあたたかし

                           山田弘子

来「あたたか」は春の季語だが、掲句の場合は明らかに違う。強いて春に結びつけるならば「心理的な春」を詠んでいるのだからだ。ただこのことが理屈ではわかっても、実感として染みこんでくるのには、読者の側にもある程度の年輪が必要だ。若年では、とうてい実感できない境地が述べられている。詩人の永瀬清子に『すぎ去ればすべてなつかしい日々』というエッセイ集があって、昔手にしたときには、なんと陳腐なタイトルだろうと思ったものだが、本棚の背表紙を見るたびに、加齢とともにだんだんその思いは薄らいでいった。父が逝ってからまだ三週間ほどしか経っていないけれど、父とのいろいろなことが思い出され、こっぴどく叱られたことも含めて、それらの月日は不思議に「あたたか」いものとして浮かび上がってくる。そして同時に、自分を含めた人間の一過性の命にいとおしさが湧いてくる。それなりの年齢に達したことが自覚され切なくもあるが、春愁に傾いていく心は心のままに遊ばせておくことにしよう。いまさらあがいてみたって、何もはじまりはしないと思うから。『彩 円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


March 0832011

 春なれや水の厚みの中に魚

                           岩田由美

なれとは、春になったことの喜びを含む心地をいう。「春なれ」を使ったものに芭蕉の〈春なれや名もなき山の薄霞〉があるが、ここにも平凡な山にさえ春を愛でる心が動いてしまうという芭蕉の喜びを感じる。日に日に春らしくなっていくのは、花の蕾も草の芽も、なにもかも新品で揃えられていくように心楽しいものだ。川や池の水さえも、新しく入れ替えられたように、春の日差しのなかできらきらと輝いている。掲句は「水の厚み」といったところに、手触りを思わせる実感が生まれた。そしてそこに魚が泳ぐことに、命の神秘と美しさが込められた。春の喜びを詠む句は数あれど、掲句の中七から下五にかけてのリズムと風情は、一度口にしたら二度と忘れられない心地良さとなって、胸のなかを泳ぎまわる。『花束』(2010)所収。(土肥あき子)


March 0932011

 足のうら足をはなれてはるのくれ

                           武田 肇

は身も心も浮き立つ季節である。日も永くなってきて、やわらかい日ざしのなかを、どこまでも歩いて行きたい心地がする。軽快に歩いているうちに、うっかりしていつのまにか、足のうらが足を離れてしまったような錯覚に陥ってしまったというのであろう。うん、わかります。夢うつつの境地での散策なのかもしれない。足跡には足を離れてしまった足のうらが、名残りのようにそっくりそのまま、ずっと春の宵の口のほうまで、ひたひたつづいているのだ、きっと。足をなくした足のうら、足のうらをなくした足――春なればこそのややこしい椿事? 春の暮ならではの奇妙な時空が、そこに刻みこまれているように思われる。「…はなれて/はるのくれ」の「ha」音の連続が心地よい。「春の暮」と「春の夕」とでは暗さの重みのニュアンスが微妙にちがう。肇は句集にこう記している。「俳句も進化すべきであり、必然的に進化するであらう。もつといへば季題に内在する普遍的な力がさうさせる筈である」。他の句に「あしのうらはどこからきたかあまのがは」「春風や引戸に掛ける手のかたち」などがある。『ダス・ゲハイムニス』(2011)所収。(八木忠栄)


March 1032011

 柵ごしの地面しづもる弥生かな

                           山本紫黄

便番号簿を見ていて季題にある植物と同じ地名を見つけたのをきっかけに季題地名一覧として編集したのが、高橋龍の「郵便番号簿季題地名一覧」である。この句は郵便番号113−0032 東京都文京区弥生の例句として出されている。文京区本郷は、弥生式土器が発見された場所であり、もとになる村落という意味をこめて「本郷」と呼ばれたと聞いたことがある。掲句では、ものみな盛んに茂り始める弥生という季語と、柵越しに見える地面が抱えこむ豊かな時間とが響き合っているように思える。むかしを知る手掛かりになる大事な地名も行政の合理化のため味気ないものに統合されてしまった。東京都文京区弥生も消えかかったが、ここに住む人たちが地名を残すべく行政に抵抗して残ったという経緯があったと本書に記されている。わたしが生まれた場所もどこにでもある「中央区」になってしまったが、考えてみればもったいなかった。「郵便番号簿季題地名一覧」九有似山洞・編(2009)所収。(三宅やよい)


March 1132011

 春障子かすかに鳴りぬ放哉忌

                           石山ヨシエ

日の句は難しい。作家、俳人の場合なら、その人の一般的評価のようなものを基盤に置いてつくりがちである。太宰忌なら放蕩無頼とか、啄木忌なら石をもて追はるるごとき風情か、或いはそれを逆手にとって逆の面を強調するとか。まあ、どちらにしても、その作家に対して自分なりの個人的な評価を持った上での句はあまりない。つまり愛してやまない人物や作家に対する挨拶でないと忌日の句は成功しがたいのでないか。この句は作者が鳥取在住ということで「かすかに」が実感として生かされている。障子のところまで来ている放哉とのこの距離感は同郷を思わせるに十分である。放哉の末期の一句「春の山のうしろから煙が出だした」の季節感も踏まえられている『浅緋』(2011)所収。(今井 聖)


March 1232011

 春曙なにすべくして目覚めけむ

                           野澤節子

まれてこの方点滴というものをしたことがない、と言ったら、野蛮人ねと言われてしまった。花粉症にもならないし、耳が動くから原始人と言われたこともあるし。確かに頑丈で丈夫が取り柄でここまできたけれど、いつかこのなんということもない日々が幸せだったのだということを、しみじみ思う時が来るんだろうな、とふと思うようになった。この句の作者は、このころ脊椎カリエスで病の床についていたという。この世のあらゆる存在に、何もできず臥せっている自分に、今日も等しく美しい夜明けが訪れ一日が始まる。白くなりゆく空の美しさと向き合いながら神に問いかけるような一句を詠むことで、作者の心は少し平らかになったのではないだろうか。けむ、にこもる心情を思いながら、そんな気がした。『未明音』(1955)所収。(今井肖子)


March 1332011

 天井に風船あるを知りて眠る

                           依光陽子

の句が表現しようとしているのは、どんな心情なのでしょうか。吹き抜けの、とんでもなく高い天井の部屋ならともかく、普通の家の天井なら、椅子に乗れば容易にとれるだろう風船を、どうしてそのままにして眠るのでしょうか。体を動かすのが億劫に感じるほどほどの、つらい悩みでもあるのか。あるいは、赤や黄の混じった風船の明るさを、目を閉じる直前まで見ていたいからそうしたのか。どちらにも解釈できますが、個人的にはだるい悩みに冒された人の姿が目に浮かびます。風船と言えば昔、子どもたちが小さかったころにディズニーランドへ行った時のことを思い出します。閉園の時刻まで遊んで、帰りのバスを待っている列に並んでいたときに、土産に買ったミッキーマウスの風船が僕の手から放れて、暗い上空にどこまでも上がって行きました。実に美しい上がり方でしたが、もちろん子どもたちは泣き出し、さんざんな一日の終わりになってしまったのでした。あれもひとつの天井だったかと、ふとこの句を読んで、思いました。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


March 1432011

 たんぽぽや避難テントに靴そろえ

                           渡辺夏紀

作「地震百句」のうち。この句は阪神淡路大震災のとき(1995)のものだ。だいぶ以前に「きっこのブログ」で紹介されていたのを覚えていた(むろん、表記などはいま再確認した)。かつての空襲の焼け跡でもそうだったように、まだ片づいていない瓦礫の隙間から生えて咲く「たんぽぽ」は、つくづく強い花だと感心する。一見可憐とも思える花が、まことに強靭な生命力を持っているのことに勇気づけられもする。そんな花の傍らに、テントに避難している人の靴がきちんと揃えられていた。テントのなかの人の様子などはわからないけれど、どんなときにも礼節を忘れない靴の主の人柄がじわりと伝わってくる。うっかり見過ごしてしまうような小さな情景でしかないけれど、作者のおかれていたシチュエーションを想像すると、逆にこのような情景こそが大きく目に入ってくるのかもしれない。いや、きっとそうなのだと思う。この春の東北のたんぽぽはまだ咲いていないだろうが、もうしばらくすると、花も咲けば鳥も歌い出す。被災地のみなさんの、せめてもの慰めになってくれればと祈っている。百句すべてを読みたい方は、こちらからどうぞ。http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/01/post_b0f9.html(清水哲男)


March 1532011

 鳥雲に入る手の中の海の石

                           廣瀬悦哉

に渡ってきた鳥たちも、間もなく帰り仕度を始める頃だろう。梨木香歩の『渡りの足跡』は、住み慣れた場所を離れる決意をするときのエネルギーはどこから湧いてくるのか、という問いに渡り鳥の後を追いながら考えていく。観察記録とともに、動物として生きていくなかの「渡り」や「旅」の本質を探っていく繊細なエッセイに感銘したばかりなので、今年の鳥たちの様子は例年以上に気にかかる。それにしても、鳥が帰る時期を知るのは、なにかに誘導されるのだろうか。たとえば風が、たとえば雲が、鳥たちだけに分かる言葉で、そろそろ帰っておいで、とささやいているのかもしれない。掲句では、大陸へと引きあげる鳥の姿を思い描きつつ、ふと手に握った石を意識する。海の石。それは、人類になる前のずっとずっと昔の故郷の石である。ひんやりと冷たい小さな石が、一途に海へと針を向ける望郷のコンパスのように感じられる。〈啓蟄や黒猫艶やかに濡れて〉〈空つぽの鳥籠十六夜のひかり〉『夏の峰』(2011)所収。(土肥あき子)


March 1632011

 すこしだけ振子短くして彼岸

                           美濃部治子

分の日(三月二十一日)の前後三日間を含めた一週間がお彼岸。だから、もうすぐ彼岸の入りということになる。彼岸の入りを「彼岸太郎」「さき彼岸」とも呼び、彼岸の終わりを「彼岸払い」「後の彼岸」などとも呼ぶ。昼と夜の長さが同じになり、以降、昼の時間が徐々に長くなって行く。人の気持ちにも余裕が戻る。まさしく寒さも彼岸まで。それにしても振子のある時計は、一般の家庭からだいぶ姿を消してしまった。ネジ巻きの時計は、もっと早くになくなってしまった。振子の柱時計のネジをジーコジーコ、不思議な気持ちで巻いた記憶がまだ鮮やかに残っている。時計の振子を「すこしだけ」短くするという動きに、主婦のこまやかな仕草や、何気ない心遣いがにじんでいる。治子は、十代目金原亭馬生の愛妻で、落語界では賢夫人の誉れ高い人だった。酒好きの馬生がゆっくり時間をかけて飲む深夜の酒にも、同じ話のくり返しにも、やさしくじっとつき合っていたという証言がある。馬生の弟子たちは、この美人奥さんを目当てに稽古にかよったとさえ言われている。馬生は一九八二年に五十四歳の若さで惜しまれて亡くなり、俳句を黒田杏子に教わった治子は二〇〇六年、七十五歳で亡くなった。他に「初富士や両手のひらにのるほどの」がある。彼岸といえば、子規にはご存知「毎年よ彼岸の入に寒いのは」がある。『ほほゑみ』(2007)所収。(八木忠栄)


March 1732011

 時刻表レレレレレレレ春嵐

                           渡辺テル

車が通過するのを表す「レ」記号は片仮名のレに見える。通過駅を表すこの記号がいつから使われているのか鉄道に詳しい人ならわかるかもしれない。掲句は特急が警笛を鳴らしながら風を巻き起こして通過していく様子から嵐を想像したのか、レレレレと口ずさんでみれば特急に乗って旅している気分にもなる。昨年の7月時刻表を片手にローカル線を乗り継いで気仙沼、釜石を廻り遠野を旅した。先週の金曜日に強い揺れがおさまった直後、職場でつけたテレビで海鮮丼を食べた桟橋や宿泊したホテルが津波に飲み込まれてゆく映像を見て息をのんだ。海を見下ろす駅で、美しい景色を楽しむ観光客のために長めに停車してくれた三陸鉄道の運転士さん。旅先で出会った方々、どうかご無事でと祈るばかりだ。金曜日の午後を境にあのプラットホームから眺めた景色が消え心の冷える現実が残ったことが未だに信じられずにいる。「つぐみ」(2010.No103 10周年記念号)所載。(三宅やよい)


March 1832011

 ひばり鳴け母は欺きやすきゆゑ

                           寺田京子

というものは欺きやすいものであろうか。女は弱しされど母は強しという。男からみると恋人や妻は強く恐い存在であり、母は無条件で許してくれる存在である。金子兜太の句に「夏の山国母いてわれを与太と言う」。与太と言われようと子は母の愛情を疑うことはない。この句は娘という立場から母をみている。同性から見た母は息子から見た母とはかなり違うのだろう。ひばり鳴けという命令調にその微妙な感じがうかがわれる。『冬の匙』(1956)所収。(今井 聖)


March 1932011

 ほつとする出逢ひに似たり春の月

                           嶋田一歩

は季節がめぐると共に、その色調や明るさなど印象が変わってゆく。すこし潤んだ春の月は、どこか心許なく見えたり、ふいに寂しくなったり、この句の作者のようにほっと安らぎを覚えたり。見上げる人の心持ちを映しながら、今日も変わらず夜を照らす。晴れていれば円かな月があるはずの今宵、願いと祈りをこめて空を仰ぎたい。『夕焼空』(1985)所収。(今井肖子)


March 2032011

 ひと駅を歩いてみるか花の雨

                           矢野誠一

の原稿を書いているのは3月15日の朝です。テレビでは休みなく東北関東大震災についての報道をしています。福島原発の事故や、今なお止まない余震に、日本という国は大きな困難のさなかにあります。「文学は平和の為にあるのである」と言ったのは小林秀雄ですが、大災害の渦中にあって文学とはいったい何かと、あらためて考えさせられています。本日の句を読んで真っ先に思ったのは、3月11日の帰りに電車が止まって、仕方なく秋葉原から蒲田まで歩いたことです。できうるならば、この句のほんわかとした優しい雰囲気を、そのまま受け止められる平和な日が、早く訪れますように。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


March 2132011

 雨寒し春分の日を暮れてまで

                           篠田悌二郎

るで今日という日に詠まれたような句だ。実際、昨日の天気予報によれば、今日は全国的に雨模様である。句では朝から春雨と呼ぶのがはばかられるような冷たい雨が降り、暮れてもなお降り続いている。晴れていれば、少しくらい寒くても「春分の日」と思うだけで心和むところだが、雨降りだと逆に「春分の日」であることが恨めしくさえ思えてくる。寒さが、ひとしお身にしみる。ましてや今年は地震津波による大災害のあとだけに、いっそう暗く寂しい思いに沈み込む人は多いだろう。祝日法では「春分の日」は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としているが、今年はすべての自然を素直に「たたえる」気にもなれない。週末あたりには桜が咲きはじめる地方もあるようだが、花見どころではない人たちのことを思うと、うかれ気分にはなれそうもない。いま全国でこの句を目にしているみなさんも、おそらく同じ気持ちでおられるだろう。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


March 2232011

 ものの種にぎればいのちひしめける

                           日野草城

眉刷毛万年青の芽
のの種とは、穀物や草花などのあらゆる種子をさす。種は、芽吹きを約束する希望のかたまりである。そっと手に乗せたのち、握りこぶしに力を込めれば、ひと粒ひと粒の種がちくちくと手のひらを刺激する。その心地よい痛みは、命の確かな存在であり、一面の実りを想像させる未来である。恐ろしいニュースが続けざまに流れるなか、パソコンの横に置いてあった眉刷毛万年青(まゆはけおもと)の種がいつの間にか発芽していた。土の上に置いた種から、臍の緒のような管が地面をまさぐるように伸び、接地面であらためて根をおろす。球根植物の神秘的な芽吹きは、不屈の精神と生への渇望を目の当たりにしているようで、健気にして頼もしく、そしてひたすら愛おしい。それは被災された多くの方々への思いにも重なり、愛すべき日常が一日も早く戻ることを、ただ祈り願うばかりである。『日野草城句集』室生幸太郎編(2001)所収。(土肥あき子)


March 2332011

 うらなりの乳房も躍る春の泥

                           榎本バソン了壱

もとの辞書によると、「うらなり」は「末生り/末成り」と書いて、「瓜などの蔓の末に実がなること。また、その実。小振りで味も落ちる」とある。「うらなり」は人で言えば顔色がすぐれず元気のない人、という意味合いもあるが、この句では「乳房」を形容していると思われる。「小振りで味も落ちる乳房」という解釈こそ、バソン了壱好みの解釈と言えそうである。春の泥は、雪が溶ける春先のぬかるみだから、いよいよ春を迎えて心がはずみ、気持ちがわくわくと躍動する時季である。豊かな乳房が躍るのは当然過ぎるけれど、「うらなりの乳房」だって躍動せずにはいられないうれしい時季であり、そこに着目したところに春到来の歓びが大きく伝わってくる。じつは春泥をよけながら、やむを得ず跳びはねているのかもしれない。近年は道路の舗装が進み、よほどの田舎道でないかぎりぬかるみに遭遇する機会は少なくなった。ところで、春泥に躍っているのは何も乳房(女性)だけではない。男性だって躍る。――「春泥に子等のちんぽこならびけり」(川端茅舎)、ほほえましい春泥の図である。バソン了壱には他に「地平線幾度書き直し冬の旅」「この狭き隙間に溢るる臓器学」などがある。『少女器』(2011)所収。(八木忠栄)


March 2432011

 真っ青な危ない空があるばかり

                           広瀬ちえみ

載句は川柳。震災以降、福島原子力発電所の危機的状況が連日報道されている。息詰まるニュースに今まで関心を持たずに過ごしていた原子力発電がいったん制御不能に陥ればどれだけ危険かを思い知らされることになった。東京では計画停電が実施され、毎日変わる電車の運行に頭を悩ませてはいるが、おおよその生活に支障はない。それに比べ都会への電力を供給するため作られた原発の回りの人達はどれほどの恐怖と緊張にさらされていることか。災害復旧の大きな支障となっている現在の状況が一刻も早く落ち着いてくれることを祈るばかりだ。これからどんな世の中になるかわからないが、便利さに慣れ切った自分の在り方を少しずつでも変えていきたい。空は今日も晴れわたっているが、まだ、間に合うだろうか。『広瀬ちえみ集』(2005)所収。(三宅やよい)


March 2532011

 雄鹿の前吾もあらあらしき息す

                           橋本多佳子

服が似合いスラリとして背が高い。今でいうとモデル体型の多佳子。恋の句に秀句の多い多佳子。彼女の句の中のこういう「女」に「天狼」の誰彼がまず瞠目したことは容易に想像できる。殊に西東三鬼などはこういう句を喜んだだろうと思う。雄鹿とあらあらしき息を吐く女性という対比で見ればこの句、性的なテーマとして読まれても無理はない。むしろそのことがこの句の価値を高めていると言ってもいい。この時代にここまで「性」を象徴化して詠った俳人はいない。否、多佳子のあとは誰もいないといってもいいほどだ。俗に堕ちないのは「あらあらしき息す」という7・3のリズムが毅然として作品の品格を立たしめていること。『紅絲』(1951)所収。(今井 聖)


March 2632011

 烈風の辛夷の白を旗じるし

                           殿村莵絲子

しみどりがかったつめたい白が、葉よりも先に吹き出す辛夷。〈立ち並ぶ辛夷の莟行く如し〉(高濱虚子)とあるが、なぜか皆同じ方向に傾いて見えるその莟は、目的地を差しているかのようであり、日差しを集める花は空の青に映える。この時の作者には、きっと自らの運命に立ち向かっていく強い決意があったのだろう。背景を知らなくても、辛夷の眩しさに負けない作者の瞳の輝きが見えてくる。昨日、照明を落とした駅の改札を抜け、24時間営業を止めた店の前を通り、暮れかけた空に白く浮き立つ辛夷の花を仰ぎ帰宅。部屋が薄暗いことにもだんだん慣れ、今までが明るすぎたなあ、と辛夷に残る日の色を思い浮かべた。『樹下』(1976)所収。(今井肖子)


March 2732011

 つまづきて春の気球の着地せり

                           福地真紀

の句を読んだあと、ああなるほどとうなずいてしまいました。気球が上空から下りてくる姿は、優雅で美しいけれども、いざ地面に着くときには、大地に無様にぶつかって、幾度か跳ね返りもするのでしょう。本当に着地をするところは、それほど見たことはありませんが、様子は容易に想像できます。その姿を人のように、「つまづいている」と見たところに、この句の発見があるのでしょう。気球という言葉が、遠くまでの青空をはるかに想像させてくれますし、つまづいた足元に、柔らかな緑の息吹を感じさせてもくれます。思いの空に、プカリプカリと気球を浮かばせていられるような一日を、生涯に幾日くらいもてれば、幸せな人生だったと言えるのでしょうか。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


March 2832011

 列島をかじる鮫たち桜咲く

                           坪内稔典

いぶ前にはじめてこの句を読んだとき、一コマ漫画みたいだなと思った。真ん中に日本地図があって、周囲の海から獰猛な目つきの鮫たちが身を乗り出すようにして、容赦なくガリガリと列島をかじっている。地図の上では、そんなこととは露知らぬ人たちが暢気に開花したばかりの花に浮き立っている図だ。みんなニコニコと上機嫌である。といって、句はそんな人間の営みを揶揄しているのでもなく、批評しているわけでもない。ただ、人間とはそうしたものさと言っているのだと思う。どこか滑稽でもあり、同時に切なくもなる。そして、再びいまのような状況の中で読んでみると、この句の味わいはより鋭く心に刻まれるようだ。日本中に善意の押し売りが蔓延し、「がんばろう日本」などという空疎なスローガンが飛び交うなかで、この句のリアリティが増してくる事態を、どう考えればよいのか。テレビのCMで頻繁に流れてくる金子みすゞの「みんな良い人」みたいな詩よりも、こういうときにこそ、せめてこういう句を流せるようなタフな国になってほしいものだと思う。『百年の家』(1995)所収。(清水哲男)


March 2932011

 海暮れて春星魚の目のごとし

                           大嶽青児

方の魚類にはまぶたがないが、かわりにやわらかな透明の膜で覆われているため、陸に釣り上げられてからも常にきらきらと潤んで見える。とっぷりと日が暮れ、海が深い藍色から漆黒へと変わるとき、春の星がことさらやわらかに輝いて見える。それをまるで海中にいる魚たちの目のようだと感じる作者は、夜空を見上げながら魚のしなやかな感触と流線型を描いている。そして、作者の視線の先にある夜空は、豊饒の海原へと変わっていく。芭蕉の『おくの細道』冒頭の〈行く春や鳥啼魚の目は泪〉にも魚の目が登場する。映画『アリゾナ・ドリーム』で、主人公の魚に憧れる青年が「魚はなにも考えない。それは、なんでも知っているからだ」とつぶやく印象的なシーンがある。大嶽の満天に泳ぐ魚も、芭蕉の涙をためる魚も、どちらもなんでも知っている魚の、閉じられることのない目だからこそ、どこかに胸騒ぎを覚えさせるのだろう。『遠嶺』(1982)所収。(土肥あき子)


March 3032011

 初燕一筆書きで巣にもどる

                           岡田芳べえ

西日本で越冬する燕もいるけれど、春の彼岸頃に南からやってくる燕は、待ちに待った春の到来を強く感じさせる。「燕」「燕来る」「初燕」……いずれも春の季語であり、夏は「夏燕」、秋には「燕帰る」となる。かの佐々木小次郎の「燕返し」ではないが、勢いよく迅速に飛ぶ燕の様子は、まさしく鮮やかな「一筆書き」そのものである。掲句は、一筆書きの筆勢によってダイナミックに決まった。これから巣を整えて子づくりの準備に入るのだろう。燕は軒や梁に巣をつくるが、それは縁起のいいものとして歓迎される。山口誓子には「この家に福あり燕巣をつくる」という句がある。子どもの頃、苗代づくりを控えた時季に、広い田園地帯で遊んでいると、燕がいかにも気持ち良さそうにスーイ、スーイと高く低く飛び交っているのに出くわして、面食らったりしたものだ。同時に、気持ちが晴れ晴れと昂揚してくるのを覚えた。凡兆には「蔵並ぶ裏は燕のかよひ道」という、いかにも往時の上方の街あたりを想わせる一句がある。『毬音』2(2008)所載。(八木忠栄)


March 3132011

 白すみれ關西へゆくやさしさよ

                           新妻 博

こ10年東京に住んでいるが話すときある種の緊張感がつきまとう。関西に戻り家族や友人と会話して初めて身体の底にある土地の言葉が自由に躍動する感じがする。新幹線を降りて在来線に乗り換え、関西弁のざわめきに包まれるとほっとする。「そやねえ」「ほんまに」と語尾の柔らかさに故郷の心地よさを感じる。関西生れの私にとっては「関西へゆくやさしさ」はそのような体験と重なるが作者にとって「やさしさ」を感じるのはどんな時なのだろう。可憐な「白すみれ」を配合に持ってきているぐらいだから彼の地にはんなりと明るいイメージを抱いているのだろうか。では関西を関東に置き換えるならどうなるだろう。そしてそれにふさわしい花は?句を眺めながらしばし考えている『立棺都市』(1995)所収。(三宅やよい)




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