March 052011
鶯もちいろを抓みていただきぬ
八田木枯
鶯餅、うぐいす餅、うぐいすもち、鶯もち。それぞれ印象がずいぶん違う。餅、より、もち、の方がしっとりとした質感があり、うぐひす、より、鶯、の方が即座にその色と形が見える。色、は、いろ、とした方が、もちのなめらかさを損なわず、抓む、はその字にある「爪」によっていかにも、指でそっとつまむ、という感じがする。そして、食べる、ではなく、いただく。いただきぬ、とやわらかく終わることによって、ほんのりとした甘さが余韻となって残る。漢字か平仮名か、どの言葉を使うか、その選択によって目から受ける印象のみならず一句の余韻も変わる、ということをあらためて感じた。『俳壇』(2011年3月号)所載。(今井肖子)
March 042011
うしろより見る春水の去りゆくを
山口誓子
擬人法は喩えるものと喩えられる人の様子があまり解かりやす過ぎると俗に落ちる。春の水に前も後ろもなく、形もないから、この句の強引さが生き生きと擬人法を支える。俗に落ちないのだ。うしろより、で作者の歩く速さが見える。「を」で余韻が強調される。「冬樹伐る倒れむとしてなほ立つを」と同じ誓子自身のリズム。こういうのを春水の本意というのだろうか。違うと思う。これは季節感を作者の方へ近づけた「詩」そのもの。『晩刻』(1947)所収。(今井 聖)
March 032011
ふと思ふ裸雛の体脂肪
後藤比奈夫
句に添えられた作者のエッセイによると「裸雛は大阪の住吉大社で頒けて貰える、掌に乗るほどの小さな土雛。」「烏帽子をかぶっているほかは全裸。男は胡坐、女雛は膝をしっかり合わせた正坐。」とある。句の印象からするとごくごく素朴な土人形といった感じ。むっちりとした膝、まるまるとめでたく肥えたお雛さまに体脂肪を思うところが面白い。雛の由来は人形(ひとがた)であり厄災を祓い、川や海へ流されたという。美しい段飾りのお雛さまは可愛い子の未来を願い親が設えるものだろうが、掲句の裸雛はその昔「子授け雛」と呼ばれており夫婦和合を願う雛らしい。日本各地にはいろんな役目を負ったお雛さまが数多くあるのだろう。宮崎青島神社の簡素な「神ひな」は安産、病気平癒などを願い神前に供えられる。わたしも九州の日田で買ってきた小さな土雛を飾って家族の無事を願い、雛の日を楽しむことにしよう。『心の小窓』(2007)所収。(三宅やよい)
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